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【エッセイ】不安と向き合う

明るい曲が好きだ。長調で、キラキラした、弾むような調子の曲。音を聴くだけで、気持ちが上向きになるような、そんな曲が好きだ。

逆に、短調の曲はそれほど好きじゃない。雨の日を思い起こさせるような、憂いのある曲ならまだ良いけれど、重たくて激しくてきびしい、聴くだけで不安が大きくなっていくような、そんな曲は好きじゃない。


思えば、そうやって「不安」を避けてきた人生だった。じっさい、気持ちが下向きになっているときは、わたしは文章を書かない。


あぁなったらどうしよう
こうなってしまったら、
どうしたらいいんだろう。

わたしって、なんでこうなの。   
こんなことも、できないなんて、
いる意味があるの。


自分も他人も殺してしまいかねないような、そんな言葉で、ノートを何ページも真っ黒くするよりは、楽しい、おもしろい、読んで元気になるような言葉を残したほうが良かろう。


いまでも、わたしのこころをガッチリ掴んで離さない、「300の顔をもつ」名優・大杉漣さんは、生前、このようなことを、よく仰っていた。

「不安と向き合う」


正直、わたしには、まだわからない。







不安と向き合ったら呑まれてしまうし、パニックになってそこらへんにあるものを、手当たりしだい投げ散らかしてしまう。

そうなってしまうと誰も止められない。
お薬に頼るしかなくなってしまう。

言葉で気持ちを伝えることが得意でない、というかできないわたしは、些細な喧嘩がとんでもない事件に発展するほどのパニックを起こし、パトカーが出動するレベルで近所に迷惑をかけたことも、一度や二度ではない。



幼少期にASD(自閉スペクトラム症)と診断され、
3歳過ぎるまで言葉を発さず、療育を受けたものの、幼稚園から大学までを普通級で過ごし、社会に出て仕事もできたほど「軽度」なので、家族を含めたすべてのひとが、わたしを「普通のひと」と見做していた。いまでも、そうだろう。


知的な遅れもなく、コミュニケーションの問題もないように見られるわたしではあるが、根深く残ってしまったのが「感情をコントロールできずパニックを引き起こす」という気質である。


いちど不安が現れると、恐ろしい速さで、それが増幅する。抑えよう抑えようと、人知れず頑張るうちに、いつのまにか真っ黒いモンスターに支配され、奇声をあげたり頭を掻きむしっていたりする。


2〜3歳の生徒たちにピアノを教えていたころ、これが引き金になり、まだ小さな、なにも分からない子供を怒鳴りつけてしまうことが多々あった。


わたしが仕事を辞めたのは、そういったことが原因だったりもする。この先、二度と子どもたちと関わる仕事をしないだろう、とも思ったりする。


いまでも、かわいいわが子に危害を与えることになったら、と、湧きあがってくる不安を秒で打ち消し、震えながら子育てをしている。


感情のコントロールくらい、いい大人ならお薬に頼らずとも、サクッとできてしまうのだろうが、どうもわたしの脳みそは、そういう処理能力を持たないまま、仕上がってしまったらしい。




そんなわけで、わたしは全力で「不安」から逃げてきた。不安のよぎりやすいものには、触れないようにしてきた。重たいストーリーの映画やドラマ、小説などは、読んでしまうといつまでも、日常生活に支障をきたすほど、胸が痛くなる。
もちろん、ホラーなど怖いやつは論外である。 


こころの中にある雨雲、嵐、そして台風を、見ないようにしていれば平穏に過ごせるのだから、それでいい。というより、そうしなければ、自分自身も周りも壊れてしまう。




けれども漣さんは、不安を楽しんでいた。


どんなに仕事が詰まって忙しいときも、
いくつもの現場を掛け持ちして、
体力がもたなくなっているときも。

もう限界だぁぁー! と、
叫びだしたくなっても。

誰もやってくれないから、
自分がやるしかない、と追い込まれても。


漣さんは、不安を楽しんでいた。




朝の番組で、好きな女性のタイプを聞かれ、
「優しくて、ときどき淫乱な子」と、
てらいもなく答えてしまう漣さんが、
わたしは大好きなのだ。


求められればどこへだって出かけて行き、
学生の自主映画のオファーだって引き受ける。


好きなことを理屈なく楽しみ、バラエティ番組では、大物俳優であることを忘れるほど、全力でとぼける。



受けた仕事の大小を決めず、どれもこれも全集中でこなしていく漣さんの姿に、こだわりとか、気取りとか、そんなものはひとつもなかった。


いつでも、誰に対しても、
決して偉ぶることのなかった漣さん。

「不安と向き合う」

どうやって向き合えばいいのか、さっぱりわからないけれど、わたしは、書いてみたくなった。



不安、から出てくるものを。

不安なこころに映るものを、
書いてみたくなった。
詠んでみたくなった。


おなじ景色でも、元気なときと、そうでないときでは、見えかたも違ってくるだろう。

その見えかた、いや「感じかた」を
知りたくなったのだ。


不安の楽しみかたを知ったとき、短調の重厚な、激しさやきびしさをたたえた曲に、どっぷり浸かれるようになるのだろうか。

重たい、怖いストーリーのものは、痛覚過敏もあって消化するのは難しいかもしれないけれど。



漣さんの見ていらっしゃった景色の端っこを、
すこしでも見られれば、それでいい。


今年は少しでも、不安から出てくるものを書いたり詠んだりしてみよう。

ただし、これを「今年の抱負」と明言するのは避けたい。へんな力が入りそうだから。



漣さんについての出典: 
「大杉漣記念館」より、「ゴンタクレが行く」

2001年〜2010年まで、雑誌「音楽と人」にて
連載されていたコラムです。

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