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【エッセイ】こころの中に、ポッと「あかり」が灯った日。

とにかく、自分が嫌いでたまらなかった。わがままで頑固で、気が利かなくて言葉が足りない。人と目を合わせることもできない。


1日の終わりに、そんなことばかり頭をよぎって、布団の中で枕を濡らした青春時代。


「その食べかた直しなよ。みっともない」

わたしに悩みがなさそうと羨んだ友人は、学校で、お弁当を食べるわたしを見るたびに眉をひそめた。

「ばっかり食べ」を指摘されると、夕食のとき、ひとつの皿もしくは碗に集中しないよう気をつけるのだが、翌日また同じお弁当の食べかたで、同じように眉をひそめられた。


結局、高校を卒業してもこの癖は直らず、自分の馬鹿さかげんにイライラした。


付き合っていた彼氏は、お前は根暗だな、笑える話もできないと、いつもため息をついていた。

彼氏の友達が集まる飲みの席で、どんな顔で何を話せばいいのかわからず黙っていたら、彼氏の女友達が、

「笑ってるだけ? つまんなーい」

と、わたしを嘲笑した。


ほんとうは笑うこともできないくらい、知らない人に囲まれると、どうしていいかわからなくてフリーズしてしまうのに。冗談も笑いもわからない、つまらない女。わたしってホントやだ。


くよくよしていると、彼氏が言い放った。

「お前の自虐的なところが嫌い」



もうダメだ。死のう。


大学に通い、彼氏と別れ、新しい友達と他愛のない話をしながら笑顔で過ごしていても、みんなと離れて独りになると、どうやって死ぬか考えた。



でも、いざとなったら、自ら命を絶つ勇気は出なかった。まっとうであるはずの、そんな自分すら、「弱っちい、ダメなやつめ」と、叱りつけていた。




大学を出て、ピアノ教室で働くかたわら、ブライダルシンガーの仕事をしていると、ますます、自分の短所ばかりが目についた。


言われたことを覚えない。指示がないと動けない。忘れ物が多すぎる。



ブライダルシンガーは、挙式本番で賛美歌を歌うだけでなく、挙式前のリハーサルも行う。


もう、この仕事を始めて5年は経っていたと思う。

ある会場で、新婦入場のリハーサルをしたとき、ウェディングステップの説明をするのを、すっかり忘れてしまった。


挙式はじめの大事なシーン。チャペルの扉が開くと、新婦が父親と腕を組み、バージンロードの前で待つ新郎に向かって歩く。

そのときの歩みは、足を出したら揃えて止まる。これを忘れると、新婦と父親の足並みが揃わず、挙式カメラマンが写真を撮れないばかりか、式の厳かな雰囲気も損なわれる。



一緒にリハにあたっていた、先輩シンガーとオルガニストだけでなく、ホテルスタッフにも怒られた。このミス、一歩間違えば新郎新婦からのクレームにつながるものだった。


「もう、この仕事長いよね。リハの流れくらい、いいかげん覚えて!」




わたしは唇を噛んだ。どこかで挙式に入っているだろう、まだ新人のあの子のほうが、いい仕事をしている。


悔しいし、情けなかった。どれだけ一生懸命やっても、ほかの人と同じレベルにならない。


なんで、こんなに時間がかかるの?


挙式が終わって、着ていたガウンの入った袋を手に、重い足どりで駐車場まで歩いたところで、ふと、目が合った。


ともに挙式に入っていた、牧師センセイと。


当時40代前半、長身の痩せ型でスーツ姿、井ノ原快彦さん風の「あの方」は、紺色の乗用車に荷物を積む手を止め、ごく自然に、微笑んだ。 

その瞳は、さざ波みたいだった。

大きなミスをしたわたしを責める気持ち、先輩たちに怒られていたわたしに対する、哀れみ。そういうものは何もない。

もちろん、落ち込んでいるわたしを慰めよう、励まそう。そんな力んだ気持ちも、ない。


たまたま目に留まったわたしを、静かに包むような視線が、ただ、そこにあるだけだった。


お疲れさまでした、と挨拶を交わしたあと、あの方は、荷物を積みおえ車に乗りこみ、そのまま帰っていった。


胸がいっぱいになった。胸の内に収まりきらない気持ちは、あふれる涙になった。


こんな優しい、というか慈愛に満ちたまなざしを持ったひとが、この世にいるんだ。


真っ暗だった心の隅に、ポッと、小さなあかりが、たしかに灯った。


わたしが高校生のころ産まれた、牧師のあの方は、わたしより2年ほど先に、チャペルウェディングに派遣されるようになった。

だが、タイミングが合わなかったのか、一緒に仕事をする機会が、それほどなかった。


あの日を境に、あの方とともに挙式に入ることが多くなり、お話することも増えた。


挙式が終わったあと、派遣先のチャペルがあるホテルの社食で、その日ともに仕事をしたシンガーやオルガニストも交えて、あの方と4人でランチをする機会に恵まれた。


サラダやパスタなどの入った、プレートが載ったトレーをテーブルに置き、椅子に腰掛ける。


ぴかぴかしたカットソーに黒いズボン、黒いパンプスで化粧も華やかな女性陣は、そこにいる、白い制服を着たお掃除スタッフや、黒いスーツの男性ホテルスタッフの中で、どうしたって目立つので、社食の隅のほうを陣取っていた。


わたしの斜め向かい、壁側の角の席で、あの方は、ゆっくり、お食事を楽しんでいた。


どきどきしながら、その様子を見ていると、プッと吹き出しそうになった。


センセイ、さっきから、あさりのパスタしか減ってないです。



ある献立に一点集中な食べかたが、まるで、わたしだった。



別の日は、チャペルを出たところで、「あ、聖書忘れてきた」と、きびすを返した。わたしではない、あの方が。


まるで、チャペルに楽譜やらガウンやら忘れて帰る、わたしだった。


なんだか、力が抜けた。


なぁんだ、別にいいんじゃん。


ばっかり食べが直らなくても、大事な仕事道具を、しょっちゅう忘れても。



あの方は、おもしろいことを言って笑いを取るみたいなことはなく、いつも、奥さまや子どもたちとの日々を、落ち着いた口調で、宝物をひもとくように話していた。


自慢でも、自虐でもなく、ただ、その日あったことを淡々と、だいじそうにお話なさるのを見て、聴いているだけで、わたしの心は、ほぐれていった。


ピアノ教室で、しばらく休んでいた生徒に
「元気だった?」と、声をかけるようになった。

あの方が、久しぶりに顔を合わせたとき、わたしに、そう聞いてくれたように。


どんなに、ややこしい名前でも、生徒たちの名前は正しく覚えた。

あの方が、わたしの紛らわしい名前を、いつだって間違わず、呼んでくれたように。



発表会の舞台袖で、緊張した表情を見せる生徒にも、目が合えば笑いかけられるようになった。あの方の、あの日の微笑みを、思いだして。


あの方の、素敵なところを真似ていくうちに、

「わたし、いいやつじゃん」

自分自身を、褒めることができた。


尊敬するあの方に恥じないひとになるために、日々がんばってるんだ、と誇らしくなった。


欠点だらけの自分が、どこか愛おしく思えてきて、目につく短所も、かわいく思えた。



あの日もらった小さなあかりは、わたしの、真っ黒だった心を、どんどん白くしていった。


ずっとモノクロだった景色が、なんてことない「おひとりさま」の日常が、カラフルに色づいていった。


あんなに嫌いだった自分を、好きになれた。


親でも親友でも恋人でもない、たったひとりの人が、わたしを変えてくれたのだ。



あのとき心に灯ったあかり。いまでは、心の中ぜんたいを照らすまでになった。


今度は、わたしが夫と娘に、あかりを灯す。



あの方よろしく、海のような深いまなざしで、

あるがままに。























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