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日本ではまだ数百人!?シュタイナー学校卒業生から見る日本のオルタナティブ教育の今。


よくご存じの方も、ほとんど知らない方もいらっしゃると思いますが、僕はドイツでおよそ100年まえに生まれた教育「シュタイナー教育」を実践しているNPO法人の学校で、小4から高3まで育ちました。

■そもそもシュタイナー教育って?
オーストリア人の哲学者・教育学者であるルドルフ・シュタイナーさんがつくった教育で、世界では1000校を超えるシュタイナー学校があります。一番の特徴は教科書がないことで、低学年の頃は先生が黒板に書いた内容を、学年が上がってからは授業でディスカッションした内容などを、自らノートにまとめ、自分だけのオリジナルな教科書を作っていきます。また、テストがない(全くないわけではないけど)というか、毎回80点を取る人よりも、最初は30点だったのに60点まで頑張った人の学びのプロセスを評価します。芸術に多く触れたり、手足を使って学ぶことを大切にしたりすることも大きな特徴です。

■日本のシュタイナー教育
日本で高校まである全日制のシュタイナー学校は、僕の母校を含めて4校(たしか)。京都府京田辺、神奈川県藤野町、北海道いずみ野町と東京都立川市(母校)にあって、小学校までとか幼稚園だけとかならもっとあります。とはいえ、シュタイナー学校の卒業生は、母校でようやく100人を超えたところで、おそらく他の学校を足しても数百人程度だとおもいます。母校「東京賢治シュタイナー学校」はNPO法人で、2000年(だったかな)に、故・鳥山敏子という強烈なおばちゃんが、シュタイナー教育と自身が信望してきた宮沢賢治の思想に共通点を見出して設立した学校。藤野のシュタイナー学園などは、特区条例を使って学校法人化したりしているけど、母校はNPO法人のままで、幼稚園~高校+保育園で計200人弱、各学年15名程度が通っている感じです。

■なんでシュタイナー学校に入ったか
母が大学で教育系を専攻していて、学生時代にシュタイナー教育を知り、いつか子どもができたらこんな感じの教育を受けさせたいなーと思っていたそう。偶然、実家の隣市である立川にシュタイナー学校ができたので通わせたいという思いはありつつも、まだできてすぐの混沌とした段階だったこともあり、すぐに入学させはせずに、公立の学校に通いながら、シュタイナー学校の土曜日の体験授業や発表会などに小学生の僕は連れて行かれていました。シュタイナー教育云々とは関係なくとも、わりと子育てについてはユニークな両親で、公立の学校に通いながらも、友だちと河原で泥まみれになりながら遊んだり、市民農園でバジルを大量に育ててバジルソースを作ったり、複数の家族ぐるみで埼玉県ときがわ町の有機農家で田んぼの手伝いをしに行ったり、、、みたいな感じで自由に育ってました。
小4の時に実家の引っ越しのタイミングで、両親にシュタイナー学校に転校しないかと提案されました。公立の学校も先生や友だちにはすごく恵まれていたので、正直転校はあまりしたくなかったんだけど「授業がおもしろい」という感覚はなかった。でも、シュタイナー教育は「授業がおもしろかった」ので、「あそこになら転校してやってもいいよ」って感じで転校しました。

■シュタイナー学校に通ってよかったこと
子どもによって「合う・合わない」はけっこうあると思っています。評価軸がたくさんあるので、5教科7科目は苦手だけどきらりと光るものがある子とか、いろーんなことに興味がある子とかにはすごく合う気がします。逆に、人との競争の中でモチベーションを高めながら、いわゆる学力を伸ばしていくことによって自分の将来を切り拓くことに長けている子にとっては、ちょっと物足りなさとか遠回り感を感じたりもしそうです。僕自身は、以下の3つの理由から、シュタイナー学校に通ってよかったなと思っています。

①とにかくメッチャ楽しい毎日だった
「授業が楽しい」「学ぶことって楽しい」ということを知れたのは、机上の勉強だけではなくて、手足を動かしながら学ぶことを経験しまくれたからだと思っていて、それは今の僕の学ぶ姿勢にも大きく影響していると思っています。

②いろんな考え方、生き方を肯定できるようになった
とにかくいろんな経験をしました。革靴も作ったし、バイオリンも弾いたし、測量したり、有機農業したり、卒論書いたり。何と言っても、全く性格も興味関心も違うクラスメイト(最終的に一緒に卒業したのは12人)と家族よりも長い時間を一緒に過ごす中で、様々な考え方や生き方に触れ、自分と違うことを当たり前に肯定できる力が育ったなと思います。

③常に主体的に自分で意思決定するようになった
決まっているルートはなくて、授業も自分たちで作っている感が強かった。ない部活は自分で作ったし、ワールドカップ観せろ!って教師会に殴り込みかけたし、校庭に池つくったりもした。そうやって自分たちのほしいものを自分で作ることができたのは、それを受け止めてくれる先生をはじめとする周りの大人たちの存在があったからで、その過程の中で意思決定を自分ですることが当たり前になったと思います。

■逆に良くなかったこと
そのまま一条校に通っていたら、それなりに楽しくマジメに勉強して受験戦争も戦って、今よりは堅実な選択をしていたかもなとは思います。良くなかったことってわけじゃないけど。

■シュタイナー教育のどうにかしてほしいところ
とはいえ、内部にいたからこそ感じる違和感みたいなのは結構あります。

①限りなく「禁止」に近い「できるだけやらないこと」がたくさんある
テレビ見ない、ゲームしない、ネット使わない、サッカーしない、、、みたいな「最終的には家庭の判断にゆだねるけどできるだけやらないでね」事項が低学年のうちは特に結構あります。時代の流れの中で、少しずつシュタイナー教育も変化してはいると思うのですが。サッカー少年だった僕にとっては「サッカーは丸いものを蹴るのでダメです!」って言われたときはぶちキレたなあ(笑)ちゃんとそれぞれ理由はあって、分かるっちゃわかるんだけど、「単なる消費者に成り下がらない」という理由の本質を押さえたうえで、今の時代に即したカタチに変わっていってほしいです。この辺、詳しくはまた書きたいところ。

②シュタイナー大好きさんたちが一定数いる
巷の「シュタイナー講座」みたいなのよりはむしろ、実際の学校教育現場の方がましで、シュタイナーさんの言う人智学とか宇宙とつながるなんとやらとか、100年前のドイツだから言えていたような思想は、ほとんど持ち出されないのだけど、とはいえシュタイナー大好き!みたいな人たちが一定数いることは、なんだかなあ、、、って思ったりすることもあります。「シュタイナーはこう言ってるんです!」みたいなこと平気で言っちゃう、”もうちょい柔軟に行きましょー?その辺は、、、”って感じの頭固めな先生とかもいるしね。

■ってわけで、僕が思う日本のオルタナティブ教育の今
オルタナティブ教育の意義って、通り一辺倒の型にハマった日本の公教育に「選択肢」をもたらすことにあると思ってます。そういう発想で、ユニークな教育を展開している学校もかなり増えてきています。でも、まだまだ学校の枠におさまることをある種強いられていて、それを窮屈に感じている子もたくさんいて、そんな中でいかに教育の幅を広げていくのか。そのうねりを起こしていくためには、こうした教育を展開している学校が、いつまでも公教育とは別モノとしてのオルタナティブ教育として自己主張するのではく、連携しながらよりよい日本の「公教育」の在り方をともに模索していくことにあるのかなと思います。だからシュタイナー学校関係者は、他のオルタナティブ教育に対する関心をもっと持ってもいい。そういう意味で2020年現在の僕的に注目どころは、軽井沢にできたイエナプランなどを取り入れた風越学園(https://kazakoshi.ed.jp/)と徳島の超注目な町・上山町ではじまる神山まるごと高専(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000049229.html)です。

■最後に
最近、子どもが集まる場に多くかかわる中で、教育の在り方を改めて考える機会がとても多いわけです。その中で、一時期はあまり表に出していなかったシュタイナー学校の卒業生であることが、やっぱりけっこう自分のアイデンティティであり、価値でもあるのだということを改めて感じるようになりました。将来的に、「がっこう」をつくりたいという思いまで芽生えてきました。シュタイナー教育について、卒業生としてお話しできる人は日本にはまだごくわずかなので、もっと話して!!という方々いらしたら、ぜひ声かけてください!喜んでお話しに行きます。

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