【はじめに】 適応障害で休職してる30歳エンジニアが文章書きたくなっちゃったよっていう話
はじめまして。いくらと納豆です。
好きな食べ物がいくらと納豆。だから、いくらと納豆です。
タイトルの通り、現在、私は適応障害で会社を休職してる30歳エンジニアです。休職してちょうど3ヶ月が過ぎたぐらいなのですが、なぜか創作意欲が爆発してしまい勢いでnoteはじめてみました。
自己紹介がてら、世の中にはこんな人間もいるんですよ、っていう自分語りにお付き合いいただければなと。
なんで休職? - お化け30体事件
自爆型性格に体が追いつかなくなった瞬間
私は幸いなことに「自分が満足する出来」のものをアウトプットしていれば、人に評価してもらえる、人に喜んでもらえることが多い人生でした。
人が求めるもの < 自分が求めるもの
だったので、自分の好きなようにしていれば、特に困ったことがなかった。
むしろ、なんで周りの人はその程度で満足できるんだろう…みたいなことも考えていたぐらいの「こだわりが強い」タイプだったのかなと思います。
また、他人の求めるものだったり、その場の状況、何が全体としてのハッピーか、みたいなのがなんとなく読めて、大体当たっているので、他人とコミュニケーションをとるのは苦ではなかった。
そんな感じで生きてくと、自然と他人から「真面目」「優しい」「リーダーシップがある」みたいな評価をもらえるんですよね。だから、職場ではスターウォーズのクローンウォーズでのレックスみたいな、現場前線で戦いつつ、ジェダイにも信頼を置かれるポジションが取れてたんじゃないかなと思います。
でも、そんな生き方がつい数ヶ月前に限界を迎えてしまったんですよ。
自分が満足するために「3ヶ月死ぬほど集中して、1週間ぶっ倒れる」みたいな生き方を続けていた私が、1週間ぶっ倒れることに失敗しちゃったんです。
仕事のミスが見つかってそれの火消しと、休み明けの案件がどっさり休み前に言い渡されたのと、友達の結婚式と。それで、自分自身の電源をOFFし損ねてしまったんです。
HPとMP共に回復しないまま、また、「3ヶ月死ぬほど集中する」フェーズに…。
お仕事も「自分が満足すること」が楽しかったのと、職場の人間関係も良好で大学のサークルみたいに楽しかったので、「自分がしんどいと思っている感情はなかったことにしよう。大丈夫、次の1週間ぶっ倒れるタイミングで、ちょっと長めのお休みをもらおう。」って思っちゃってたんですよね。
とは言いつつ、プロジェクトのお仕事は相変わらず難しいし、どんどん知識も必要になって勉強しないとだし、私のチームのレベルはまだまだ若葉マークだし、できる人とできない人の溝は深まる一方だし、ただでさえ人が少ない。
そんな状況で「自分が満足する出来」を求めてしまったがために、
「仕事はやれば終わる!多くてもやれば終わる!」
「うーん!私の求めるクオリティまでは今のメンバーだとできないよな、私が全部見よう!」
「このチームとこのチームの連携が悪いから私がプロセス作ろう!」
としんどい気持ちを隠すように自分に言い聞かせて働きました。
結果、どんどん身体が動かなくなっていって、頭も働かなくなっていって、完全に自爆してしまったのです。人生で初めて「緊張の糸が張れない…エンジンがかからない…」状況に陥りました。
「わたしなにやってるかもうわからないです」
1週間ぶっ倒れフェーズに失敗してから、メンタルも体力もダメになっていく一方で、ちゃんとそれに抗うために病院行ったり、お休みもらったりはしてたのですが、このあたりからお化けたちは私の体に少しずつ取り憑いてきたんです…。
一番最初に取り憑いてきたのは、「きし ねんりょ」くん。
また、これは別のタイミングで書こうとは思うのですが、彼とは人生でこれで3回目のお付き合いです。彼が脳みその一部のリソースをずっと占領してくるんですよね。ちょっとずつ形を変えて脳みそを汚染してくんです。
くそう。女性特有のあれが原因かと思ったのに、どんどん侵食してくる。
その後はエネルギー補充をするというよりも、今あるエネルギーを尽きさせないように、火を消さないようにという生き方に変わっていきます。そうなると、もうお化けの思うツボで、どんどん取り憑いてくる。
「あぁ、今お化けが30体ぐらい私の肩に乗ってるなぁー。」って時には、もう、ウィダーインゼリーとそうめんとおかゆで生き延びる生活になってるんですよね。ありがとう、ウィダーイン。この頃は本気で除霊に行くか考えてました。
そんな生き方をしてる上で、お仕事のミスと激重案件が襲撃。
そりゃ、寝れなくなるよね。
あの時の自分を監視カメラで撮っておきたかったもん。
ドラマかよ、って突っ込みたくなるような行動とってたわ。
荒れ狂う役めっちゃ上手いと思うもん。
寝れなくなり、これはあかんと、病院に行ってお薬くださいの説明をするときに「わたしなにやってるかもうわからないです」ってギャン泣き。先生に「まず言おう!」と言われ、そこから上司にギャン泣きしながら連絡。
そして、ひとまず3週間のお休みをもらうことになったのです。
心療内科の先生に「お化けの子」で覚えられる
お休み期間中に人生で初めて心療内科を受診しました。
家族にも「先生の合う合わないがあるから、合わないと思ったら別のところ探せばいいからね!」と言われて、身構えて行った初診。
めっちゃいい先生でした。私、運いいわ。
お化け30体事件について説明したら、「中等度のうつ状態だね。よし、休もう!」ということで、光の速さで休職決定。適応障害で診断書が出て、そのまま休職手続きを進めることになりました。
人生初の適応障害の治療がスタートです。
お薬を処方してもらって、2週間に1回のペースでの通院が始まりました。
お化け30体事件をそのまま話した結果、毎回、「あ、お化けの子だ。」と先生に言われるように。キャラ付けできたっぽそうで、我ながらワードチョイスがよかったなと満足しております。
ほら、こういうのってポップに話した方がいいかなと思って。
どうやら私の人生って他人から見ると険しいらしい
よくメンタル疾患のお話の時に「落ちる」という言葉が使われると思うんですが、多分お休みして最初の2週間ぐらいはそれだったなと思います。泥になったような、人間として形留められてるんだろうかみたいな。ほぼほぼ動けなくて、泣いて疲れて寝て、何もしてないけど疲れて寝て、ぼーっとして寝て、寝て寝て…といったような生活を続けてました。ほぼ記憶ないです。
それから少しずつ回復してきて、ちょっとずつ身体が色々なものを受け入れるようになり始めました。ウィダー、そうめん、おかゆからの脱却。この時はマックが食べれるようになっただけで、「おぉ!人間に戻ってきた!」って思うほど。
休職2ヶ月目に少しずつ「生活をしてみよう」ぐらいの心持ちになり、3ヶ月目にやっと親友になら会っても大丈夫そう!と思えるぐらいに回復。
いやったね!!
しかし、「いやいや、復職するにしても、自爆が原因なんだから、このままだったら自爆する未来しかみえないんだが。」と思い、心理カウンセリングを受けるようになりました。
あれ!”おじちゃん”じゃなくて”おばちゃん”やった!
これは単純に私がおもろ笑、と思ったことを書きたかったので書きます。
心理カウンセラーを探すのもどこがいいかなんてすぐにわからないと思うんです。なので、クリニックにいらっしゃる心理カウンセラーさんにお願いしたいなと思い、心療内科の先生経由で予約をしてもらったんです。
私、その時に「結構しっかりやる”おじちゃん”先生だから。」って聞いたと思うんですよ。だから、家族と「あたなはこういうところがあるからつらいんですよ!ペシッ!」みたいな白衣きてメガネかけたおじちゃんが出てくるのかなーガクブル…みたいな話をしてたんですよ。
ガクブルしながら初めての心理カウンセリング。
出てきたのは”おばちゃん”だったんですよーーーーー。
めっちゃ優しそうな”おばちゃん”だったんですよーーーーー。
ガクブルしてた時間返して!笑
初めての心理カウンセリングは私のことについて話して、これからの流れを説明してもらい、心理検査を行うという流れでした。私のことについて話した時のカウンセラーさんの反応が面白かったので、私のバックグランドの紹介がてら書いていきたいと思います。
一番困る質問は「出身地どこ?」
30年も生きているのに、いまだに苦手な質問があります。
それは「出身地どこ?」です。
初対面の人同士だったら必ず話題になる出身地。
私にとっては強敵なんです。
理由としては「転勤族だったから。」
産まれた病院:東京
〜幼稚園の年中:埼玉
幼稚園の年中〜小5:石川
小6:埼玉
中学:愛知
高校:大阪
大学:神奈川
この生い立ちをみてどこを出身地と言ったらいいのでしょうか?
今のところ、この質問に対しての回答は「転勤族だったんでいろいろ動いてたんですー」が有力候補。だがしかし、そういうと必ず「どこに住んでたことがあるの?」と聞いてくるんですよ。
そして毎回、この生い立ちを説明するにはするものの結局相手には「どこ出身か」の答えがないままこの会話が終わるのです。
あーーーーー、面倒。
そして、転勤族というと大体言われるのが「大変だったわねぇー。」
でも、私にとっては転勤は転勤で楽しかったのです。
(流石に小6の1年間だけ違う学校というのはいただけなかったが。)
どうやら心理カウンセラーさん曰く、「別れというのはストレスの中でも上位ですから、かかってたストレスは大きかったと思います。」とのことでした。
「あら、理系で大学院まで。難しそうなことやってるわね。」
私は流行りの「リケジョ」です。
しかも、リケジョの中では最底辺の物理女子!つまり絶滅危惧種。
流行らせようとしている真っ只中だったのと絶滅危惧種なので、甘い汁いっぱい吸ってきました。世の中の理系男性諸君、すまない!しかし、その分いい結果を求められるから許してほしい!
なぜ、理系に進んだかというと、文系教科が嫌いだったからです。
幼い頃の私は国語の「この登場人物の気持ちを考えてみましょう。」のようなあやふやな問題が嫌いでした。「んなもん、私に聞くなし、作者に聞けし」みたいな。社会の年号4桁の数字を覚えて、何の意味があるのだろうかと思っていました。
一方で理系教科は答えは誰が解いても同じになる。道は違えどゴールは同じ。間違えた時は悪いのは自分。というのが自分の中ではすごいシンプルで受け入れやすかったんです。
そんなこんなで、高校から理系の学科に進み、大学でも電気系の学科へ進学。今のエンジニア職について、ずっと理系の世界で生きてきたわけです。
これはどうやら一般的には厳しい道を進んでいるらしいのです。
「まぁ!吹奏楽部だったの!なんでそんな大変な道ばかり…。」
次は「趣味は何なの?」と聞かれました。
「私は中学校の時から吹奏楽部で、社会人になった今でも音楽は続けてます。今はこのご時世なので全然できてませんが…。」
「まぁ!吹奏楽部だったの!また大変なことに取り組むだなんて、そういった大変なことを選んじゃうタイプなのかしら。」
(…ん?吹奏楽って大変なことだったんだ。確かに大変だったよ。でも、音楽好きなんだもんしょうがないじゃーん。)
音楽はずっと好きで、合唱団に入ってみたり、吹奏楽部で楽器が意図せずころころ変わったり、大学では指揮者やってみたり、社会人になっても楽器続けたり、最近は一人でできる楽器始めようかなと思ってみたり。
飽き性の私が唯一ずっと続けられた趣味が音楽だったんですよね。
でも、こちらもどうやら一般的には厳しい道を進んでいるらしいのです。
そんなこんなで1時間ほど自分の人生を話したら「どうやら私は自ら険しい道に飛び込んでしまう人」だったというところに落ち着きました。
そんなこと言われてもしょうがないじゃぁぁぁぁぁぁぁぁん!
休職して時間ができて、病院いったり、カウンセリング受けたりして、これまでの人生から私が
「ドーパミン脳汁ぶしゃぶしゃで険しい道を時速300kmで走り抜ける妖怪」
だったということに気づかされました。
「妖怪」から「人間」になるにあたって
以上のことから、どうやら「妖怪」として生きてきた私が「人間」に生まれ変わる時期がきたんだなぁーと自分では認識するようになりました。
音楽で言えば第一楽章が終わったような気分です。
とはいえ、何したらいいかようわからん。
ようわからんけど、これからは人生の第二楽章を始めようかなと思います。
きっと世の中には、苦しいのにまだ「妖怪」でいる人もいるかもしれない。
そんな人に届いて、ちょっとでも笑ってもらえたら嬉しいです。
おわり。
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