■タイトル 【りんごジュースの契り】

私が小学校5年生の時、兄は高校3年生だった。
歳が離れていたせいもあってか、兄とケンカというケンカをした記憶がなく、傍から見てもとても仲の良い兄弟だったと思う。兄はとても心優しい人だった。
でも兄は病弱で、小さい頃から心臓がよくなかったらしい。
それでもそんなことを感じさせないくらい元気で活発な人だった。
周りにはいつもたくさんの友達がいて、みんな兄を慕っていることは当時幼かった私にも伝わった。それくらいすばらしい人で、そして最高の兄でした。

兄はその年の夏、入院した。
毎月の検査もいつもならその日のうちに帰ってくるのですが、今回は少し様子が違ったみたい。医者は様子見だとは言っていたけど、兄の体調が優れないことから少し不安を覚えた。

 医師の話を聞きながら持っているカルテをふと見ると、名前のところの違和感に気付いた。
 名前の後ろに「(養)」と記されていたのだ。
医師が去ってから、その場にいた父と母と兄にそのことを尋ねた。

その時にはじめて父と母から話を聞き、兄の境遇を知りました。
当時、父と母はなかなか子供に恵まれなかったらしい。
兄が小学校に上がるときに養子として迎え入れたそうだ。
でも、しばらくしてから母は妊娠した。それが僕のことだ。
僕が生まれてからも、父と母は二人とも同じように僕らを育て愛してくれた。
血の繋がりなど関係ない、私たちの子供への愛は変わらない。
父と母はいつもそう思っていたそうだ。

その時まで実の兄弟だと思っていたので、衝撃を受けたのと同時にその真実を受け入れられなかった。
帰り道、何を考えていたのか記憶がない。気が付いたら家に着いていた。
兄はもちろんそのこと知っていた。

お見舞いには毎日行った。
しかし真実を知った私は普段のように兄と接することができなかった。
どことなくぎこちなさが出てしまう。頑張って普段通りを装うとしても、どこかそういう雰囲気が出ていたみたいだ。
それを見かねた兄は、
「よし! そしたら俺と兄弟の盃を交わそう」とか言って、
どこからか、かぜ薬のシロップを出してきた。それにはそのシロップを飲むための小さな容器がついている。その小さい容器に兄はりんごジュースを酌んでくれた。
「なにこれ?」
と僕は訳が分からず兄に聞いた。
「盃の契りっていうのはな、血の繋がりなんかより強いんだぞ。血が繋がっていようがいまいが、そんなの関係ない。俺とお前は誰がなんと言おうと兄弟なんだ」と兄はニッと笑った。
当時の私にはその行為が何を意味しているのかよくわかっていなかった。だが、兄の説明からこれを飲めば兄と血が繋がるのだと本気で思っていた。そしてそのおちょこみたいに、小さな容器で、りんごジュースを、二人で飲んだ。

兄はそのまま退院することはなかった。
持病の心臓にかなりの負荷がかかっている状態で、年内に退院することは難しいだろうというのが医師の見解だった。しかし兄の病状は良くなるどころか、悪くなる一方。
そして兄はしばらくして逝ってしまった。本当に最後はあっけなかった。
私は兄の死に全く実感が湧かなかった。お葬式、お通夜の時も不思議と涙は出なかった。

兄の死からだいぶ経ったある日、私は外出先でのどが渇いたので自動販売機で飲み物を買うことにした。何気なく選んだりんごジュースを飲もうとしたとき、ふとあの病院での兄との光景を思い出す。
「あれ……」
気付いたら涙がとめどなく溢れてきた。あの優しかった兄はもういないんだと…。
我慢してきていたものが一気に溢れ出した。周りの目を気にすることなんか出来ず、嗚咽を漏らしながら自動販売機にもたれかかって泣いた。
兄のことを思うとたまらなく悲しくなった。

仏壇の前で兄はとても優しい笑顔で私に笑いかけてくれている。
「兄貴……、俺、来月結婚するんだ。」
そう言って手を合わし、兄に報告した。

そこには、かぜ薬のシロップの小さな容器にりんごジュースが入っていた。

「あれから何年経ったんだっけ…」
私にも子どもができ、すくすくと元気に育ってくれている。女の子だ。
この前、子どもが風邪を引いたということで妻がかぜ薬のシロップを買ってきてそれを子どもに飲ませていた。
 その光景を見ていた私は、あの日の、兄の言葉を思い出す。
 「兄弟の盃か…」
 
 りんごジュースが大好きな娘、
それを彼女が飲むたびに兄と交わした盃のことを思い出す。



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