創作的感覚が滞っているのでだらだら考え【絶】

自分が絵を描くモチベーションと文章を書くそれは異なる性質で生じている。

絵を描いている時は、楽しさ、皮肉、配色と構図、パズル的感覚等。
文章を書いている時は、怒り、不快感、理想、変化球を探す作業等。

共通して言えるのは感情を整理する作業に近い。そういうタイプだと思う。


創作を滞らせる一番の敵は怠慢であると同時に、飽きと言い訳しつつ嫌気に近い。
負の感情を利用しつつ、書くべきでない多くを削る作業が精神的に負担で、
要は悪いことばかり考えるので気分が沈んでいる。

書き出ししてしまえばその負の感情は多少相殺させられるが
残されるのはやはり不快の塊のような気がしている。

こうして手が止まった瞬間から、言い訳が頭を巡り軸が常にぶれ続けていく。
だからこんな話でさえ書き出して自分で確かめ合い、自己暗示させる必要がある。

因みにこういった常体で書いているときは自分のためのメモであり、
なるべく人に向けて伝えるものが敬体としている。


コンスタントに創作をするのならデザイン的思考の方が適切だろう。
気に入ったテンプレやジャンル「らしさ」を当てはめ、追い求めていく作業だと。

人間、得意な事や好きな事を続けた方が生産的で健全なのだけれど、
対して自分が行っていることは、自分の中に存在する人格同士の殴り合いを抑制する作業である。

自分の中には三人の人格を飼っている。
馬鹿で無知な女と、残酷で狡猾なヒトラーのような男性像、それからそれを静観している自分自身。
この三つ目の自分自身というのが最近、太宰治の人間失格の主人公のような無責任で無気力な人格と気がついてしまった。

この三人の人格が均衡を保とうとする動力が意欲へと変換させられるのだけれど、
このいづれかの人格の一つでも暴走してしまえば、ただただ発作のような感情の乱れが生じる。厄介だ。

十代頃に自分でもよくかけたなと思う絵や文をゴミ箱にぶち捨てていた時期があったが
あれも自傷行為の一種なのだと思う。今となっては非常に惜しいとも、捨ててしまいたい爽快感が恋しいとも。


言っておくけれど、ここまで全部例え話である。

なんだよ、酔ってんだよ。


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