【映画】 「バッファロー"66」を観直した。
十代の終わり頃にツタヤで借りて一度見たきりで
漠然と好きだったけど、内容もすっかり忘れており
ふと気になったので観直したくなった。
アマゾンプライムには無かったので、わざわざU-NEXTに登録して
観てみたのだが、自分が思っていた印象とはだいぶ違った。
98年に公開された映画であり、思い出すために見たレビュー群から察すると
好き嫌いが結構分かれる作品である。というのも
コンテンツ盛り盛りのエンタメや、意味深を匂わしたり重厚だったりする類とも違い、
意図が見えづらいオシャレ映画だから、というのが理由の一つだろうか。
ラスト30分、それまでの空気からガラッと変わるようにシーンが差し込むのだけど
雰囲気映画だと観ていた為に、なんだかその部分が凄く滑稽に映って見え
その展開の吹っ飛ばされっぷりが、逆に好きな所だった。
が、今改めて観ると衝撃を受ける程では無いし、そこまで違和感のある演出でもなかった。
これにショックを受ける自分がいる。これを書きながら
何故こんなに自分はショックを受けてしまったのかとずっと考えている。
以前より文脈を理解した今となって一つ挙げられるのは、この物語が
『レイラがただの良い女だった』というオチな事に拍子抜けしたという所か。
小説はある程度の読解力がないと楽しめないのだろうけれど、
映画にもある種の読解力のような見方を持つと良いのかもしれない。
このシーンは回想なのだな、とか
この炎の揺らぎが登場人物の心の揺らぎを表している、とかのあれ。
ずっと前はそういうの説明されても「???」という感じだったけれど。
ツタヤ全盛期の頃にCDやDVDを借りたり、Gyao!のようなネット視聴媒体などを通して
細々と観ていた中で「好き」や「合わない」がある一方
「よく分からないけれど気になる」を溜め込んだ時期があって。
当時はそれを良しとしていたし、時間が経ってほぼ忘れた頃に
改めて見直すと、だいぶ印象が替わる事も少なくないので面白い。
それに楽しさを感じる一方、何かをずっと勘違いし続けたまま
記憶に残り続ける諸々も、また少なくないような気がしている。
そして今実感したこれさえも、十数年後にはまた形を変えている可能性も十分あるのだろう。
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