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第6話 先祖は明治維新をお江戸日本橋で眺めたのか?

日本橋の橋本体の近くに三井グループの大きなビルがあるらしい。私の先祖はそこで明治維新を見たのだろうか?


母方の4代前の戸籍に、その妻の父の名「ヒコベエ」があり、住所は「日本橋区通壱丁目」となっている。私の知識にまったくこの方はなかった。

明治6年の沽券地図では、そこの地権者は三井次郎右衛門になっている。まあ、そうだろう。常識だ。

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三井家の地所の借家人ならば三井家に聞け、と無茶なことを考えて、同家の研究機関様にメールで問い合わせた。すると、「筆職人」とご返事をいただけた。非常にありがたいことだ。深く御礼申し上げます。しかし、筆職人? 母方の先祖は士族と聞いているぞ!

筆職人という情報は三井家研究機関所蔵の資料ではなく、国会図書館のデジタルコレクションで戸籍に出ている名前を検索したらヒットしたという。全文検索ができるほど、国会図書館のシステムは進化していたのだ。調査の腕前で負けたのはショックだが、余りある成果だった。『日本紳士録』にも雅号で載っている。

筆墨商「ヒコベエ」の2女が私の4代前、すなわち高祖父、の妻だったのは間違いない。住所と名前が完全に一致する。明治維新も日本橋で見ていたことは証明できた。明治中期には、その住所は時計屋のものとなり、「ヒコベエ」の名は消えた。

高祖父・高祖母の息子があたりまえだが曽祖父だ。国会図書館蔵の別の資料から、この人も日露戦争に出征したあと根岸で筆墨商を営んだと窺える。思い起こせば、祖父の趣味は絵画鑑賞だった。祖父は曽祖父の生業を知っていただろうが、「ヒコベエ」のことも知っていたのか? 沈黙して語らなかったのはなぜだろう?

ファミリーヒストリーは楽しい想像をさせてくれる。日本の道路の結節点ちかくに住んだ先祖がいた、と知れば、すこし誇らしくもある。とはいえ、5代前が誰だろうと、現在の私への影響はあまりないはずだ。「ヒコベエ」は自慢できるほどの先祖でない。隠したい先祖でもない。実際、人間の価値と先祖の価値は無関係だ。

本当に言いたかったことは、戸籍と国会図書館全文検索の恐るべき情報力だ。しかし、日本橋区と下谷区の戸籍は失われ、足立区のそれは廃棄された。浅草区の戸籍が関東大震災で燃えていなかったから、「ヒコベエ」までたどり着けたのだ。歴史記録を未来に伝える方法を考えなければならない。

イギリスやアメリカ合衆国には戸籍はない。家系調査の切り札は出生届、婚姻届、死亡届、兵籍簿、乗船記録、そして国勢調査だ。

ジーニアロジー(genealogy)と家系調査のことをいう。英米の市民登録のシステムにはいくつかの不便な点がある。まず、同姓同名の者を取り違える確率が高い。次に、兄弟姉妹などの家族関係が把握できない。そして、瞬間瞬間を捉えたスナップショットにすぎず、連続した移り変わりがつかめない。

そのかわり、取り扱いは日本の戸籍ほど厳重でない。そもそも、死者にプライバシーはないという意識が徹底していて、100年以上前の記録は子孫でなくても入手できる。伝記作家やリサーチャーにとっては願ってもないことだ。そうした記録は公文書館にアクセスせずとも、民間業者がデータベースを運営していて、有償で入手できる。

個人についての記録は人間の尊厳の基盤だ。それを否定することは、ポル・ポトさん、いらっしゃい、と虐殺者を招き入れるようなものだ。生きたという記録を残さなければ、被害者の数は勝手に変えられてしまう。代表的なところでは、ホロコーストの犠牲者の名前が集められている。


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