見出し画像

お誕生月

お誕生月である。

そのせいか、お誕生日おめでとうのDMが最近やたらと送られてくる。

“あなただけに、特別なプレゼントをご用意しました”

「あなただけ」でも「プレゼント」でも、何でもないじゃん!と思うけれども

まぁ、それはどうでもいい。

4月はだいたい、年度初めの区切りの月であったりするのだけれども、だからではなく、私にとっては、4月の自分の誕生日が一年の区切りの軸となっている。

歴代のお誕生日を思い出すとき、なんだかちょっぴりもの哀しい気分がわき起こってくる。なんでだろう?思い出すとき、いつも哀しさと隣り合わせだったからだと、今ならわかる。

幼少の頃がどうだったかの記憶はないが、小学生くらいの時にはお友達を招いては、なにがしかのお誕生会を親が催してくれていて、お誕生日というものは、そういう風にするものだと当たり前のように思っていたのだから、まぁ幸せな学童期を過ごしていたのだろう。

親の干渉をうるさく感じるようになった思春期、勝手に友達や彼氏と祝うお誕生日が当たり前になることによって、その習慣は自然消滅したのだろう、たぶん。覚えていないけれど。

とにかく、その時代その時代を思い出すときのポイントとして、自分はその年の誕生日を、誰と、どんな風に過ごしていたか、を思い出すと、割とわかりやすく時代が蘇ってくる。

思春期以降のお誕生日は、いつだって特別なものだった。

彼氏と過ごさないお誕生日なんてあり得なかったし、彼氏の居ない時期でも、お誕生日が近かったり、過ぎた直前だったりとか、話題の中でお誕生日がネタとなるだけで「じゃあ、一足早いお誕生会をしようか?」とか「少し遅くなっちゃったけど、プレゼントあげなくちゃね」などと、お誕生日はいつだって、男女を繋ぐ格好の口実にできたものだった。

だからといって、特別豪勢なお誕生祝いを貰った経験もないし、感動するようなサプライズを演出して貰ったことがあるわけではない。何の変哲もない、ごく普通の地味~な青春期を過ごしたに過ぎない、と思っているけれど、それだって見方によっちゃあ、充分幸せな青春時代だったと満足はしている。

今思えば初々しい。高校生の彼氏が、なけなしのお小遣いで買ってくれる指輪やネックレスは宝ものだった。

不遜すぎて口にこそ出さなかったけれど、アクセサリーは、自分で買う物ではなく贈られて身につける物だと本気で思っていた。自分で買ったネックレスを付けるなんて恥ずかしい。安物だろうと何だろうと、とにかくアクセサリーは、自分で買うのではなく彼氏に買って貰ってこそ価値がある、と思っていた。(その考えのまま、大人になるまで突き進めば、男に貢がせられるカネのかかるオンナになれていたのにねぇ~w)

自分史上、究極のプレゼントだったのは、やっぱりなんと言っても結婚指輪をおいて他にはない。後にも先にもあれ以上のプレゼントはなかったなw 誕生石のダイヤモンド。給料の三ヶ月分。恭しく私の手に嵌めてくれた彼(今は亡き夫だった人)の一連の動作。「やっぱりホンモノは違うね。輝き方が全然違う」なんていう言葉を真に受けながら、きらきら光る石をチラつかせ、すすき野の街に繰り出していた独身時代最後の夜々。きっと相当嬉しかったんだな。

彼にとってもまた、人生の一大事業の一つだった、結婚相手に指輪を贈るというその行為。考えてみれば指輪なんて、男にとっては大枚はたいて買う価値があるとは思えない。それだけのお金があれば、もっと買いたい物は他にもあるだろう。そこをあえて指輪に大枚を掛ける。すなわち贈る相手に価値があるのだと示す行為。だから、結婚指輪は嬉しいのだろう。

離婚が成立して、受け取っておく訳にはいかない最たる物、指輪は謹んでお返ししたが、先方は黙って受け取ったなw。その後あのブツはいったいどうなったのだろう?売っぱらっちゃったのかなw?

子どもができると、お誕生日の主役は子どもになった。自分の誕生日は「おめでとう」「ありがとう」で済むようになった。祝って貰うことを期待しなくなった代わりに、子どもらの手もかからなくなった頃、勝手に「バースデイ休暇」と称して一日だけのフリータイムを作るようになった。

“個人的な特別な日。今日だけは、自分の好きなことをしていい日” なんて、まるで普段、自分の好きなことを何もしていない人のような言いぐさだがw、一人遊びの始まりである。一人で映画を観に行ったのが最初だったかな。ある年は、遠くにいる女友達に会いに行く日にあてたり、飲み会を企画して自動的に寂しくない日にしたり。一緒に過ごす相手が居ても、自分が企画して相手に付き合わせている限り、それはあくまでも一人遊びだった。

一抹の寂しさはデフォルトとして抱えながら、だけど誰にも知られていない自由な時間は、なかなか快適な楽しみだった。

結婚以前の「彼氏が居てナンボ」発想の私は、もう居なかった。細胞は3年で入れ替わる。違っていて当然だ。誰かに誕生日を祝って貰えないことを哀しいとは思わなかった。だいたい自分を他人に置き換えてみても、誰かのことを心から祝おうなんてそうそういつも思えるわけではないのだもの。誰かの誕生日なんて、特別な物でも何でもない、本人以外にとっては。ただそれだけのモン。もちろん、アクセサリーは貰うもの、と言う発想も消え失せた。下手に貰って、喜んだフリをしたり、負担に感じたりするのはいかにも億劫だった。内心、なんてスレちゃったんだろうな~と思わないでもなかったけど、本心だった。もしも石が欲しかったら、自分で稼いで、自分に贈る。我ながら、180度の変わり様だと思ったけれど、強がりではなく本心だった。誰かに依存しないで、自分の手で掴み取っていく、という感覚が嬉しかったんだろうな。またそうできる手応えが確かにあったし。

自分で人生をデザインしているつもりだった。             「この日だけは、私の好きなように決めて良い特別な時間なの。だから私はあなたと過ごしたい。」そう狙い撃ちして拒否されることはなかった。山本文緒のエッセイにもあったけれど、男は期待しないでいると、頑張る。結婚して、とか、付き合って、とか、彼氏なんだからこうして、とかって期待は、重い。「自分から祝ってくれって催促するヤツ初めてだw」「じゃあその日は、直接おめでとうが言えるように頑張って仕事片付けるよ」その日だけ限定だったら、男はかえって頑張ってええかっこしぃになる。男は、都合のいいときだけ居てくれればそれでいい。それ以上はいらない。自立したオンナぶって、さも男を都合良く扱っているつもりでいたけど、何のことはない、相手にとっても私は、ただの都合の良いオンナだっただけなんだよね。結婚はいらなかった。でも、“結婚したいと思われるほど好かれたかった” あの頃のことを思い返すたびに物哀しい気持ちになるのは、そのことが自分ではちゃんと分かっていたからなんだよね。
本当は、一緒に過ごしたい人と過ごせない寂しさを紛らわせるために、秘やかな楽しみに置き換えることで昇華したんだ。基本的にはやっぱり、昔のように、自分のお誕生日は彼氏と過ごす日であり続けたかったんだな、きっと。

あの頃のことを今は懐かしく思う。あんな焦燥や煩悩の中に戻りたいとは思わない。ただ、あの頃夢中でそうしていた自分を愛しく思う。私はゲームはやらないけれど、自分の人生RPGゲームのように、そのときそのときを一所懸命クリアーしてきたように思う。ステージががらっと変わってもう、元の場所はない。振り返るに、随分遠くまできちゃったなぁ~という感じ。
今は穏やかに、家族となった男と何の変哲もない、日常の延長の誕生日の回を重ねる。その回を思い返してみても、そこに物哀しさはない。一周回って、思春期以降の特別なお誕生日が、特別でない日常に戻ってきた。

もし、彼とのお誕生日がなくなったら、私はどうするのかな?

またバースデー休暇を作って、誰かに祝って貰う一人遊びをするのかな?

ただ、自分のお誕生日なんてもうどうでもいい、とは思わないようにしようと思うんだ。

















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?