ペルーでの日々の記録

海外にいて見える日本①

任地89日目。日曜日。今日は弟の誕生日(愛する弟よ、誕生日おめでとうでござる。)

海外にいて見える日本。今後も書きそうなので①とつけた。今回はこんな風に感じるんだよって部分だけ。

日本ではこんにちも様々なニュースが物議をかもしている。

そのニュースは遠く離れたペルーにも届く。本当に便利な時代になった。

その届くタイミングは日本が昼の時、こちらは夜の時。そのニュースが届いて、その存在を知って、ペルーでの活動が始まって終わるころには話が進んでいる。

その期間、そのニュースに触れることはほとんどない。

日本にいたら様々なニュースをリアルタイムに聞く。その都度情報が入ってくるし周りの人もそのニュースを話すことだろう。気づかなくても耳に入ってくるし、それについてのいろいろなコメント、進捗の情報も入ってくる。

否が応でも多数の意見を多数として聞くし、友人の意見をその距離の近い意見として聞く。

でもペルーにいるとすべての間隔が遠い。そして時間的な距離がある。通信状況は日本ほどは良くないため、動画もほとんど見ることができない。

私がそのニュースについて考えようとするときにはそのニュースがひと段落していたり、次のステップに進んでいたりもする。当然昼夜が違うと友人や家族の意見に反応するのにも時間的に空くことがある。

そうやってダイレクトにニュースは入ってくるのに距離がどうしてもある日本は、日本にいたときのそれと違って見える。

しかも私が生きているのはこのペルーの小さな町で、日本でどんなニュースがあってもこの町は変わらず動き続けていて、そこに私も存在している。

まだ自分でもどんな感じなのかうまく説明できるくらいには理解していないのだけれど、

日本人として、心は日本のニュースに敏感に反応はしつつ、でも今いる場所を見据えると全然違うこの町の世界に連れ込まれる。その世界で受け取るニュースは距離がある。

だからなのか届く日本のニュース、その一つ一つがパッケージ化されていて色がついていて、そんなように感じる。


時間的にも距離的にも遠くにいて、そして言葉も違えば、否が応でも日本を客観視できるんだなって思う。魂を日本に置いておきたくてもなかなか難しい。

そうやって気付く、「ああ私今、日本と距離があるんだ。日本にいたときに見ていた視点と今の視点て違うんだな」って。

そんな感じでこれからもどのように自分が日本を見ているのかはたまに考えようかなーと思います。


P.S. 私の魂、ペルーにあるかと言われると、ペルーにも日本にもなさそう。。どこにあるんだか。


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