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正しさを求めている

金森さんのYoutube

誰の言っていることが本当ですか?
何が正しいの??

実はこの質問自体がナンセンス。
とはいえ、私自身も正しさを求めがちで、
「わかってる人から話しを聞きたい」なんて思いも持っている。
わかってるということがどういうことなのかもわかってないのに)

絶対的な正しさ
を求めてしまうけど、
この世は相対的で、絶対的なものをズバリ表現するのは難しい、できないんだよなぁ。

そして、一人ひとりが「違う」存在なのだから
同じ言葉や表現で伝わることはないんだろうなぁ。
この一言で全員が納得するなんてことはありえないということは、実体験でもあるよね?
納得する人もいれば、拒否する人もいる。
それが自然。

どのメッセージを受け取るかは
その人が背負ってきた特質にもよるし、その人の勉強の段階によっても変わってくる。
それぞれに合ったメッセージが必要。
必要な人に必要なメッセージが届くようになっている。
だから、違うメッセージがたくさんある。

お釈迦様の「対機説法」もこの形で、
相手によって言うことも変わってくる。
それは、その人の状況や背景にあるものが全く違うから。

「仕事がうまくいかなくて困ってます。」
という質問に対して
Aさんには「ゆっくり休みなさい。」
Bさんには「もっと、がむしゃらに頑張りなさい。」
という正反対の回答が来ることもある。

それに対して、「どっちへの回答が正しいんですか?」と問いただすことはまさにナンセンスなのだ。

語られる全てのメッセージは
たった一つのメッセージが色々な形で表れているだけ。
大元のたった一つの真実は多くの人にはわかりづらいもの。

ユーミンの歌で
「目に映るすべてのことはメッセージ」という歌詞がある。

メッセージを受け取るか受け取らないか
ということしかないのでは?

受け取れないことも多いんじゃないだろうか?
変化は怖いことだから。
気づきたくないこともある。

自分にとって都合のいい(と感じる)メッセージだけ受け取っていないだろうか?

人は「反対意見」を真摯に受け取るのは難しいらしい。
自分の主張は押し通そうとするけど、相手の主張はスルーしてしまうだとか。
お互いそうなわけで、だからさらに、わかって欲しくて自分の主張を強めていく。

なるほど、そうかもしれない。
対話しているようで、相手のターンにはいかに相手を論破するかで頭がいっぱいで、実は聞いてるようで聞いてない、ということは私にはよくあること。反省。

正しいのか正しくないのか
の前に
全ての真実が形を変えて出てきていることを思い出してください。

だから、自分が受け取ったもの
それは最適のタイミングで自分に訪れたメッセージである。
それを信頼して見てもいいんじゃない?

正しいとか正しくないとかそんなことにこだわることは
メッセージを受け取るにあたって、
実は、邪魔なことなのかもしれない。

全て、最適なメッセージだという仮定のもと
受け取ってみたらどうなるんだろう?

面白いんじゃない?

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