全てはお釈迦様の掌の上でおこっている
孫悟空のように、お釈迦様の掌の外へ行けると思ってた。
決められた枠の外へ行けると思ってた。
行きたい、と。
ヒューマンデザインでは「魂の使命」というものがある。
その言葉の通り、「何をするために今世生まれてきたか」ということだ。
ヒューマンデザイン以外でも、そういう考え方ってあると思う。
私はね、そんな枠から外れたいと思っていた。
生まれた時(もしくは生まれる前)に決めてきた使命かもしれないけど
「やっぱり結構です」って言って辞められるはず、と感じていた。
今でもそれをあきらめてはいないつもり。
でも、結局はお釈迦様の掌の上で全て起こってるんじゃないか?
と感じることも多々ある。
「枠」というのは、この世では「身体」のことだと私は思っているし、「身体」なしにはなりえない状態であるからだ。
もちろん、その枠が不自由で嫌だという訳じゃないけど、むしろ、その制限の中で何をするの?ってことは私としては大好きなテーマだけど、ちょっと悔しい自分がいるのです。
ヒューマンデザインを知れば知るほど、恐ろしいほどに道筋が見える、、、というとちょっと語弊があるかもな。
宇宙からの影響の範囲内で生きているってことを実感せざるを得ない。
こんな私でさえも「大いなる力」みたいなものを感じてしまう。
自分で選んでいるようでいて、そうなるようになっていた、みたいなね。
お釈迦様の掌の上で精いっぱい動こう。
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