見出し画像

藤井克徳・星川安之「障害者とともに働く」

私が職場に入った2000年、私の職場では女性だけがお茶入れをしていました。その分業務が減らされていたらそれはそれで腹立たしいですが、そういうわけでもありません。所詮、田舎の市役所だからだ、と思いましたが、誰でも名前を知っている出版社に総合職で入社し都内で勤務していた女性も当時、下の名前でちゃん付けで呼ばれ、会議には女性は出ないという状況だったそうです。
この本を読みながら、当時怒りを感じたこの事実について、違う仮説で見ることもできるのではないか、という気になりました。つまり、どう働いてもらえばよいのか分からなかったのではないか、と。

採用・昇進等での男女の機会均等は事業主の努力義務とされたのが、1986年4月、その後、97 年(平成 9)の改正で差別的取り扱いの禁止が定められます。罰則があるわけではないので、すぐに変わったわけではありません。ですが、そこから20年たち、今は女性だけがお茶くみ、会議にも出させてもらえない、なんて状況はかなり減ってきています。男性が育休を取ることが推奨され、女性の管理職も世界的に見れば割合は低いものの、出てきています。

ひょっとしたら、この考え方は、何を言っているのだろうと思われる方もいるかもしれません。ですが、敢えて、自分の思いついたことを書いてみます。
この状況はもしかして、今の障がい者雇用の問題とも、重なる部分があるかもしれない、と思ったのです。
それは極論だ、と思う人もいるかもしれません。
ですが、この世の半分を占める女性の仕事でさえ、どう働いてもらえばよいのか分からない中で、身近に障がいのある人がいない人たちにとって、さらに想像が難しいことなのではないかと。

障がい者雇用の本を読む中で、いくつか先進的に取り組む事例を見る機会が出てきます。今では法定雇用をはるかに上回る雇用率なのですが、どの会社にも一番最初のきっかけがあります。それはたいてい、特別支援学校(古い話の場合は養護学校)の先生から熱心に実習の受け入れを依頼されて、最初は断ったけれど、再度熱心に頼まれて、実習だけでも受けれいてみようと思いなおした、という話なのです。
もちろん同じようなことがあっても、受け入れをしない選択をする会社もあったと思います。でも今、障がい者雇用に熱心な会社であっても、最初からそういう精神があったわけではなく、実習生を受け入れて、そこからすべてが始まったといいます。

だから今こんな状況でも、まだまだ取り組んでいない会社にはひょっとしたら、があるかもしれない、とも思ったのです。

この本は、4章に分かれています。
最初の章では、働くとはどういうことかについて議論した上で、障がい者にとっての働くについて考えています。

本書より作成

働くことは、それぞれの意義があるでしょうけれど、確かに、1から4の組み合わせになっていると思います。私自身は2や4が日々の実感としてあるとともに、今の仕事に疑問を感じた時などは1を強く感じたりします。
障がい者の場合も基本的には同じはずですが、特に知的障害者の労働の実態はなかなか厳しいものがあり、就労継続支援B型事業所や生活介護などにおいては、給与ではなく工賃が支払われ、その平均も最低賃金をはるかに下回るものとなっています。ですが、事業所が創意工夫することで2が得られたり、また3や4についても期待できるとしています。
この前提を踏まえたうえで、著者たちは障害者の就労実態についてみていますが、市民一般との就労施策との比較や、就労施策と福祉的就労施策の2系統に分かれていることなど、まだまだ理想的とは言えない状況であるといいます。

第2章では障がい者の働く様々な現場を紹介しています。
現場では障がい者にとって働きやすい職場になるように様々な工夫が行われるとともに、障がいがある社員がいたからこそできたことなども紹介されていて、素晴らしいことだと思います。

第3章では障がい者が働きやすい社会となるために必要なことについて議論されていますが、第2章で取り上げられているような意識の大切さよりも、やはり政策が先であると述べています。どんなに経営者が障がい者雇用に熱心であったとしても代替わりで状況が変わってしまったら意味がありません。その点、政策には普遍性と継続性があると言われています。
ですが、その政策においても、日本は他の国より遅れていたり、雇用施策と福祉的就労施策の2系統であることなど、様々な課題があると指摘しています。

最後の章では、星川氏の所属する共用品推進機構の取り組みを紹介しています。共用品推進機構は、障害の有無、年齢の高低に関わらず使いやすい商品を普及する活動を行っている組織です。様々な障害のある方を対象として調査を行ってきましたが、そのチームにも様々な障がいのある方が関わることから、そこで得られた調査結果だけでなく、そのプロセスそのものも、障がい者と共に働くことのヒントになる事例となっています。

そこでもやはり、まずは知ることから始まります。

私の同僚に聴覚障がいのある女性がいます。今はメールやチャットで何でもやりとりするので、特に支障は感じません。外部の方ともほとんどメールで連絡が可能です。なかなか見ない方もいるので、そういう場合には、メールをみてくださいという電話をすることで代わりにサポートしたりしますが、電話で伝えてメモを取るより、メールで伝えた方が確実だな、と思うこともよくあります。
ですが、どうしても口頭で話したいという人もいるようで、マスクを外して口の形を読み取ってもらおうとする人がいるから困るとよく話しています。簡単なことであれば読み取れても、仕事上で間違いがあってはいけないので、口の形で読み取らせて何かを伝えようとするというのは、どうなのかなと思ってしまいます。
また、情報収集はネットからがメインなので、彼女の情報検索能力はものすごいです。私もたまに、自分では調べきれなかったことをお願いすることもあります。
ついでにいえば、私は彼女から手話のことや、ろう文化について教わったので、得られたものは本当に大きいと考えています。

まだまだ男性の仕事、女性の仕事、という役割が強い感じもありますが、女性は会議に出させない、といったことはかなり減ってきていると思います。そして男性だから、女性だから、ではなく、その人それぞれの得意分野不得意分野を見ていき、どう仕事を割り振るかを考えるのがよいのだと思います。
同じ障がいを持っていても、その程度や育ってきた環境や職歴などによって、様々だと思います。この障がいだからこうではなく、一人ひとりに向き合って、考えていくことが大事なのだと思います。
そしてその考え方は障がいの有無に関わらず、一人ひとりの力を最大限に発揮するという観点で、とても大切なことになると思います。
男女の役割の固定観念から解放されたのだから、障がいの有無に関する固定観念も徐々に減っていくはずです。そしてその先には、誰にとっても働きやすい社会が待っていたらいいなと思います。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?