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島内景二「新訳 更級日記」

この本は、島内氏のラブレターだと思いました。更級日記を書いた菅原孝標女、本当の名前は何と言ったのか、それは残っていません。ただ、「更級日記」のほか、いくつかの物語を書いた人です。源氏物語やその他の物語にあこがれて、京に帰りたいと祈っていたそうだけれど、その源氏物語の中にだって、2,000年を超えて、その人のことを考えて、この歌を詠んだ時にどんな状況だったかを調べて、どんな感情を持っていたかを考えて、それを書き記すなんてものすごい憧れのエピソードは出てこない。菅原孝標女の知的好奇心や源氏物語を読み込む力、それをオマージュした短歌や散文の素晴らしさに心ひかれ、それを伝えたいという想いは、2,000年を超えたラブレターといってもよいのではないかな、と考えてしまいました。
「更級日記」は私にとって、あまりよい印象ではありませんでした。まずその作者名です。
子どもの頃の歴史で「更級日記」を知り、その作者が菅原孝標女ということしか分かっていないということ、また、その叔母で蜻蛉日記を書いた藤原道綱母も、本当の名前は何と言ったのだろう。残っていないことが、当時の女の人の扱いを象徴しているようで、とても悲しいと思っていました。
これからの世の中は違うだろう、と思っていました。たくさん活躍している女性がいます。特に東京なんかは、男性も女性も同じように働いている。けれど自分の身の回りを見ると、母親が働いている人はそれほど多い印象はなかったし、仕事と家庭の両立は大変みたいな雰囲気がありました。東京では共働きが普通で、女性だけに負担が偏ることはないのではないかな、と想像したりもしました。
実は更級日記の最初の出発の地上総の国は、私が生まれ育った市原市と言われています。市内には更級通りと呼ばれる場所もできました。こんな鄙びた場所を出たいと言っていたその日記の名をなぜつけたのか、それは、こんなところを出ていきたいと言っている女性たちが未だにたくさんいることを自嘲しているようにも思えました。
こうした理由で、「更級日記」と言うと、何だか、ぼんやりとここを出ていきたいと思いつつ、結局出ていけなかったことと重なって、もの悲しい印象を持っていました。さらに今では、仕事的に「若者・女性の転出が多い」という課題に取り組まなければいけない立場にいるという……。
とはいえ、実は読んだことがあるのは冒頭だけだったのです。現代語訳でも読んだことなく、その後についてはざっくりとしか知りませんでした。なので読んでみました。どの現代語訳を読むか迷いましたが、おススメしていた人がいた島内景二氏の「更級日記」が一番新しかったので、これを選びました。
原文、訳、評が並べられていて、とりあえず全体的な内容が知りたかったので、訳と評だけ読むことにしました。たまに訳を見て気になったときだけ原文を見返す感じで、菅原孝標女さんには申し訳ないけれど、古文の勉強ではないからそこまで頑張らないことにしました。
島内景二氏が再現した更級日記の世界は、夢と好奇心に満ち溢れた女性の物語でした。旅の経過や、京に戻ってからの姉との死別や両親とのエピソード、宮仕えしていた時のことなどに加えて、地名の由来や見聞きしたことなど、物語的なことを詳しく書いています。多分、大きく心を動かされたことを書き留めているのだろうと思われるのですが、33歳の時にした結婚や出産のことがほとんど書かれていないのが、少し寂しい感じもしました。一方で、結婚後に出会い、ただ一度だけ同僚と一緒に「春と秋はどちらが優れているか」について深く語り合った貴公子の話は事細かに書かれていて、忘れられない大切な思い出だったのかなと想像できます。また神社仏閣への物詣のことなどもいくつか書かれていて、泊まる場所が見つからずやっとのことで泊めてもらえた家が盗賊の家だったかもしれなくて朝まで落ち着けなかったことなど、こんなことまで題材にしてしまうなんて、と印象的でした。
夫のことは、突如登場し、なれそめさえ書かれていないものの、単身国司としてでかけていた時期に蓄財できて、暮らしに不自由しなかった時期があることや、宮仕えしたり夫をおいて物詣したりする妻への理解があったことなどが書かれていました。さらに、夫が急に体調が悪くなってあっという間になくなってしまった後の寂しい気持ちなどから類推すると、幸せな暮らしをしていたのではないかなとも思います。
他にとても興味深かったのは、身体も心も弱った親の面倒を見なければいけないことや、なかなか結婚できない(しない)ことや結婚してから宮仕えしたことなどを母親にいろいろと指摘されて、思うようにできないことがあったりというのは、今の時代にも通じることがあって、とても興味深いです。
含みを持たせた短歌と、選び抜いた言葉で綴られた散文が、島内氏の考証によってリアルに表現されていて、読み進めるうちにどんどん続きが気になってしまいました。孝標娘自身は自らを寂しい人生だったと振り返っているけれど、もし自分の死後、こんなに先の時代まで自分の書いたものが読み継がれて、こんなに熱い評が書かれていることを知ることができたとしたら、夢のようだと思ったのではないかと、想像してしまいます。筆写してまとめた藤原定家はじめ、著者のあとがきによれば、神西清、堀辰雄なども高く評価していたということで、時代を超えて「貴公子」に愛される人生だったわけです。
島内氏のラブレターを孝標女が読むことがあるわけはないのが残念ですが、自分の思い描いたような人生を生きることができなかった嘆きながらも実は、彼女の知性と感性あふれるこの日記が、やがて見いだされ、多くの人の心をひきつけるものになることを想定しながら書いていたのだったりして、と妄想したりもしてしまいます。

※更級日記の出立の場所があるとされている市原市では、2020年より、更級日記千年紀文学賞の募集を実施しています。第3回の募集は、2023年2月1日から2月28日となります。
更級日記千年紀文学賞


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