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今村寛「自治体の"台所"事情 "財政が厳しい"ってどういうこと?」


仕事をするにはお金がかかる。個別のサービスに対価をいただいていない行政も同じである。何も、何かを購入したり、委託したり、補助金を出したりするだけにお金がかかっているわけではない。執務室を明るくしている照明、パソコンにもお金がかかっているし、仮に電気を消してパソコンを閉じていたとしても、ただいるだけで、そこに人件費が支払われてしまっているのだ。

その時間を何に振り向けるか、ということを常に意識しなければいけない。コスト意識を持ちながら仕事をすることはとても大切なことだ。

例えば、決められたルールに基づいて支出する補助金があったとする。補助金とは、このような社会になったらよい、と考えられる行動を団体などに起こさせるために、金銭面での支援をすることを指す。団体からの申請があって、ルールで決められていることに合致すれば、補助金を出す。年度末に報告書を受け取り、問題ないかどうかをチェックする。でもそれでよいのか、とふと思うことがある。補助金を出すルールが決まっているから、行政としては実績が欲しい。使いたいという団体があって、補助金を出せば、市の実績になる。でも本当にそれでよいのか、と思うことがある。この団体は、この補助金を出さなかったとしても、行動を起こしたんじゃないだろうか。もし補助金がなければ、もっと工夫して、自分で資金を調達したんじゃないだろうか。補助金がなくなったら、その行動をやめてしまうのでは、意味がないのではないだろうか。そもそも、団体にそういう行動を起こさせようということに無理がある仕組みだったんじゃないだろうか。
特に古くからある制度だと、こういう疑問を感じる可能性が高くなる。社会が変化していて、既に実情が合わなくなっているケースもあるからだ。とはいえ、それをやめようとすると、「来年この補助金を使おうと思っていたのに」と、それを予定していたので、やめると困る人がいるかもしれない。苦情につながるかもしれない。何しろ、そう考えると、その補助金をやめる決断がなかなか難しくなるのだ。

財政が厳しいことは分かっていても、なかなか社会の実情に合わなくなった補助金をやめることは難しい。それ以外にも、これまで当然のように行ってきた事業をやめることは、決断がいる。それをやめることで思わぬ影響があったらどうしよう、と考えてしまう。

けれど、その決断をしなければいけない、と思えるのが、この本だ。
何かをやめるのは、社会の実情にあってないからで、もっと今の社会に必要なことをやるためなのだ。そして、この本を読むと、視点が大きく変わる。つまり、これをやめて、新しいことをしよう、ではなく、しなければいけないことをするために、何をあきらめるべきなのか、という視点に変わるのだ。
さらにいうと、施策の優先順位をつけることになる。どこの自治体でも総合計画を作るけれど、そこに書かれているのはほぼ全ての分野の施策で、何を市が目指しているのか、はっきりしない。総花的とか、玉虫色とか表現される。限られた資金をまんべんなく配っては得られる効果もぼやっとしてしまう。選択と集中が求められる。何も、一部の施策だけに注力して、一部のパイを大きくしようというわけではない。そこから得られる波及効果で、税金を投下せずに変えることを目指すのだ。経済連関表みたいに、ここに投資すると、ここがこう変わる、みたいな流れをつくれるのだ。逆にそうならなければ、そこにはボトルネックがあって、それが何かを考えなければいけない。施策の優先順位をつけるということはどこから着手するかということであり、享受できる人の優先順位をつけるということではない。
どこから手をつけていくか、ということを考えなければいけない。それはとても難しいけれど、そうしなければいけない時期にきている。そして、時間を投入する以上、どうしても人件費はかかるけれど、補助金も委託料もかけずにできることもあるはずで、そこに取り組んでいきたい。というか、どんなことでもまずお金をかけずにできないかを考える方が先だと思うけど。

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