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【年収650万サラリー万の育休日記:序章】父親に”ならせていただく”ということ

はじめに


大学生の時、私は早々に人生を達観し、何者かになることを諦め、「将来の夢は幸せな家族を築くこと」とし、平凡な幸せと子供を育てることを人生の目標に立てた。大学4年間彼女なしだった私は、男として必要とされないのではないか、という不安もあったが、無事に26歳で結婚し、ありがたいことに29歳になるのとほとんど同時に第1子を授かった。

子供が誕生したとき、「父親になる」というよりは「父親にさせていただく」感覚になったことを痛烈に記憶している。
男性が父親になるためのプロセスというと、受精卵を形作る精子を提供した後、やることは何もなくただ待つのみである。対して女性は妊娠が発覚したその時から、お酒をやめ、タバコをやめ、無理な運動やリスクを避け、つわりと戦い、徐々に重くなる体と膨らむ不安と戦い、男性には想像もできない長時間に及ぶ壮絶な痛みと戦い、妊娠してから約10か月後にようやく出産をする。
父親はというと、体に何の変化もないため、好き勝手に生活を続けるか、妻に合わせて行動に制限をかけた結果「我慢をしている」という感覚になる。たまに家事をやったかと思えば「やってあげた」という感覚になるのではないだろうか。
皆様も仕事であれば、クライアントや一緒に働くパートナーと目線を合わせて、温度感を探りながら仕事をするのが一般的ではないだろうか。なぜか家庭だと蔑ろにしたり、当たり前の存在に思ってしまうものである。

「家のことは仕事より仕事として捉えろ」
私は、とある先輩から言われた一言を鮮烈に覚えている。家族や夫婦間のコミュニケーションこそ、一度宣言した約束を守り、必要な会話を積極的に行い、目標を擦り合わせ、協力しながら邁進せよ、という意味に私は捉えた。

「男性が育休を取るのは当たり前だ」という風潮が広まっている昨今だが、それでもまだ育休は取りづらい会社や組織も多く存在をしており、「男性が育休を取得してなにをするんだ?」という周囲の懐疑的な目線が拭い去れないのは先達の男性の責任と思われる。
実際、妻が求めるレベル感で家事と育児をこなしている男性はほとんど世の中に存在しないのではないか、と思えるくらい、そもそもの育児におけるタスクの難易度は高い。加えて、妻が求めるレベルとの目線があっていなければ、男性が使いものにならない、と思われてしまうのは当然である。
例えば男性目線で見ると、綺麗であるものも、女性目線から見ると、除菌ができておらず不潔なもの、となるケースである。この目線の差は知識や準備、意識の差によって生まれるものだと考えている。

これからの時代、より男性が育休を取得しやすく社会を作るためにも、育児に取り組む男性は、入念に準備し、妻と同じ温度感で、同じ目線で育児に取り組む必要があるのではないだろうか。

先にも述べた通り、父親は特段努力をしなくても、母が頑張れば父親にはなる。
妻という存在がいて、妻が出産や育児に対して対峙することを決意し、身を削った血や痛みがあって初めてなれるものである。父はなるものでなく、ならせていただくものだ。

このスタンスが今後の社会に適合した一つの幸せを作ってくれるものだ、と現段階では信じている。

本Noteで残したいこと

結婚し、子供を育て、幸せな家庭を築く。多くの人が当たり前のような顔をして実現している(ように見える)この生き方。29歳になってようやく、努力や労力、時間をかけて少しずつ大切に築き上げたものだ、ということに気が付いた。人生イージーモードだと信じ切っていた大学生の時分からは想像もしなかった。
まだ子育ては序盤中の序盤であるが、特に子供を育てる、ということについて、「背中を見せておけばいい」くらいに思い、甘く見ていたことを現時点ですでに大変恥じている。(実際に父親の役割は背中を見せることも重要だと思うが、それはまだ先の話である)

育児が始まって本日で初七日を迎えた。新米パパもいいところである。しかし、ここまでの段階で既に発見や気づき、価値観の転換を人生で一番感じている。技術の進歩や外部環境に変化によるパラダイムシフトはこれまでも経験してきたが、内的なパラダイムシフトは29年間で初めてではないだろうか。
仕事から解放され、育児に専念できる環境を手にした今この時に、リアルな一人の頼りない父親の情感を記すべく、不定期で本Noteを書き進めていこうと思う。実際に育休を経験した先輩パパや、現在も育児を頑張っているパパからのコメントや意見交換ができることに期待をする。


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