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2.過去の話。テレビ番組編集マンが結婚する為にやったこと。

僕はUターン転職する前はフジサンケイグループの編集を専門にしている会社に所属していた。
フジテレビの中でめざましテレビなどの情報番組を編集したり、当時のフジテレビの日曜ゴールデンの番組や、BSスカパー!の番組を担当していた。
今でこそ珍しく無いが、キー局の子会社が他局の番組を制作することもあり、TBSやNHKの番組を編集することもあった。

実は編集業界に入って2社目の会社だった。

前回の投稿で後回しにした結婚の話や、そのタイミングで一度転職をした話を書いていく。


大学4年の最後に付き合い、いきなり遠距離かつ激務

2009年に新卒で都内のポストプロダクション(編集所)に入った僕は、まだ付き合ってまもなかった彼女(今の妻)といきなり遠距離恋愛だった。
最初に入った会社のシフトは24時間交代制。
例えば月曜日の朝10時〜34時(翌朝10時)まで働き、
火曜日の朝10時に解放されて帰宅。フラフラになりながら家についてシャワーを浴びてとりあえず眠る。泥のように眠る。10時間くらい寝てしまう。
夜9時くらいから起きて晩ご飯を作ったり、あるものを食べたりして深夜2時くらいまで自由に過ごして翌朝に備えて寝る。
そして水曜日の朝10時には業務が始まる。

それの繰り返し。

月曜  10時-34時
火曜  明け休み
水曜  10時-34時
木曜  明け休み
金曜  10時-34時
土曜  明け休み
日曜  休み

例えばこんなスケジュール。週に72時間ほど働く。どうやら普通は週40時間くらいらしい。繁忙期になると日曜日の休みってのはなくなり、ひたすら24時間と明け休みのループに入る。

仕事内容は最初にマシンルームというひたすらダビング等の業務をするブタ箱にぶちこまれるのだが、そこにいる間に血反吐を吐く思いでテロップを作る練習をすると、アシスタントというテロップを作る仕事の研修を始めてもらえる。僕はタイミングよく先輩が辞めるなどの事情があったため入社半年ほどで研修に入らせてもらえた。先輩がテロップを打っているのをひたすら隣で見る。眠い。テープのかけ掛けのある仕事はまだ起きてられるが見てるだけの時は本当に眠い。やっていられない。
その当時使われていた「DEKO」という業務用のソフトがあるのだが、これをひたすら覚える。

本当に先輩が辞めてしまってからはできないながらもとにかく必死に仕事をこなすテロップを打つだけの機械になる。機械ほど高性能じゃないので、怒られながらひたすらテロップを作る。1日何百枚とテロップを作る。でもここでDEKOを使うのがめっちゃ速くなったから、のちに転職できた。それはまた後半で。

一方妻は妻で塾講師の仕事をしていたのでバリバリ夜型。
中学生相手の塾だったので、終わるのが21時台、もろもろ片付けて帰るのは22時過ぎていたり23時近かったりしたんじゃないだろうか。
妻の帰りの車の中でハンズフリー通話をしていた。
その当時、今のようなスマホ普及率でもなく無料通話アプリという概念もなかったので、通話し放題の代名詞「Willcom」を契約し、妻と長時間の通話をしていた。(のちにauが月額500円ほど?で指定した通話先との通話し放題のオプションが出たのでWillcomとは短い付き合いになった。)
妻が家に帰ってからはなぜかskypeで話していた。僕はiMacのスピーカーから音を出して通話していたら、当時住んでいたアパートのポストに「女の声がうるさい」と苦情を入れられていた。すまない。

無論僕は先述のような24時間勤務で2日に1度しか家に帰ってこないので電話ができるのは2日に1回なのだが、本当に2日に1回ちゃんとずっと話していた。よほどの仲良しか、思考停止か、継続力だけはあったようだ。

しかしながら、やはり遠距離でお互い忙しいというのもあり、会えるのは年に4回ほど。妻の塾はゴールデンウークは死ぬほど宿題を出して先生が休むという生徒任せの体制を取ることで社員の休みを確保していた。
なのでゴールデンウイークに東京の僕の家に泊まってもらい、僕は希望休を出して
1日目明け休み、2日目仕事、3日目明け休み、4日目休み のような形で3日ほど一緒にいられるようにしていた。

あとの3回は同様に妻の夏休み(7月の夏季講習入る前)と僕の遅めの夏休み(9月くらい)で名古屋に帰る時、冬休みで年始に名古屋に帰る時。
なので毎年1月、5月、7月、9月に会えた。織姫と彦星の4倍会えた。

いよいよこの遠距離恋愛も、後にも先にもずっと続けていくのはしんどそうな気がしたので、電話してる最中に妻に結婚しようと伝えた。自分でもあまり覚えていないが、話の流れで「じゃあ結婚しよっか」と言った気がする。確か妻も今の塾講師の仕事がそろそろしんどくて辞めたいというようなタイミングだったような。
それなら結婚して一緒に住もうの「じゃあ結婚しよっか」だったと思う。

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ドラゴンボールばりの最強のプロポーズだったはずなのだが、なぜか妻はもっと作り込まれたプロポーズが良かったらしく、一生恨まれている。
しかしながらいきなり渋谷の真ん中で下手なダンスでフラッシュモブとかされたら、それはそれで頭おかしいと罵られたであろうから女心は難しい。
金婚式のお祝いのとき、フラッシュモブをやればいいのか。あと約40年あるので、それまでにダンスを練習しなければ。人生は苦難の連続だ。


結婚が決まったら働き方は変えたい→転職

まぁ一生恨まれながらも結婚することが決まったので、自分の人生を考えなければならない。
マシンルームというブタ箱から脱出して編集室という牢獄へアシスタントとしてぶち込まれた訳だが、編集室という牢獄は10時-34時というシフトがついていても、その編集室に入っている最後の仕事が終われば、基本的には帰っていいのだ。だからたまに始発で帰れるし、ミラクルが起こると終電で帰れる。

とはいえ2日に1回しか家に帰ってこないし、帰ってきたら寝てるだけのような生活で幸せな新婚生活が送れるハズがない。そう思い込んでしまったので少しでもマシな牢獄を探すべく転職活動に励んだ。

たまたまその時転職サイトに冒頭に書いたフジサンケイグループの企業の求人が出ていた。こんな書き方をしているが、僕はテレビが大好きだった。小さい頃から親に1日3本まで(親の想定は30分番組×3)と番組を制限されても
サッカー中継を1本と数えてまで尺を稼ごうとうするほどテレビが好きだったのだ。
その中でも当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったフジテレビの番組が大好きだった。東京に家族旅行に行った時にはお台場まで無理やりつれていってもらった。

僕の高校生の頃の夢は「放送局の中で働くこと」だったし、フジテレビの中で働くチャンスなんて後にも先にもないだろうと思って応募した。
当時25歳でバリバリにテレビ番組のテロップが作れる人材。そんな僕を放っておくわけもなく余裕で合格した。(本当は落ちるかもって思っていたが、入れて良かった)

当時その会社のテロップのメインソフトがDEKOではなかったのだが、
業界標準がDEKOだったため、たまにDEKO希望の仕事が入る時に困っていた
というのが僕の採用理由だったのだと思う。
DEKOを死ぬ気でマスターして良かった!ありがとうDEKO。
結婚する4ヶ月前くらいに無事に転職できた。

新しい会社は前の会社みたいにそもそもシフトが24時間ではなかった。
前の会社はその編集室に2本3本仕事が入っていても全部1日来るそれらの仕事をこなすというシフトだったが、
新しい会社はそれぞれの番組に人がついていた。だからその番組が終わったら帰っていいのだ。
普通に朝来て、夜帰れる仕事がある。それにまずびっくりした。
もちろん24時間やる仕事もある。なんなら3日くらいぶっ続けでやる仕事もある。
良い部分もあれば悪い部分もあると思った。

でも給料は上がった。正直最悪から抜け出せればいいと思った転職だったので多くは望まなかった。憧れのフジテレビの建物の中で働けるだけで嬉しかっった。入構証をもらって普通にフジテレビの中に入れたのは自分の中でも結構嬉しい思い出として残っている。
最初は時間給の契約だった。時給1000円。でも深夜早朝手当もつくし、規定時間を超えた分には残業割増もついた。
転職前に月に300時間超えることも多かった僕はそれでもめっちゃ嬉しかった。
転職前はどれだけ働いても20万5千円しかもらえなかったのに、300時間働けば30万円以上もらえる。

そんな感じで僕の新しい会社での生活や、新婚生活がスタートした。
次回はそんな僕の夢が叶った会社をいよいよ辞めなければならない話。
この転職が成功して5年半先の話。


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