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23.双子をワンオペ育児したら育児うつになりました。

前回の投稿で妻には頑張って僕の育児休業が明けるまでの間に
なんとか再就職を決めてもらうことに成功したが
その裏で僕は育児うつになっていた。

僕が本格的に育児に参加できるようになったのは
育児休業を取った後、双子たちが生後1ヶ月半くらいになっていた。

でもその時に僕の隣には常に妻がいたのだ。
僕がそれまでにワンオペ育児をしたのは
妻がどうしても見にいきたい東京での展示があるといって
日帰りで東京へ行った時くらい。

その点、僕は副業や仕事の営業を兼ねて前の職場を訪ねたり
妻のお兄さんからの仕事の撮影が東京であったりなど
何度も妻にワンオペをお願いして都内に行っていた。
(しかもほぼ毎回泊まりだった。)

それから考えれば僕のワンオペなんてたかが知れている。
妻の仕事は1日5時間程度。往復の出勤を入れても7時間ほど。
それが週に2〜3回あるくらいなのだ。

今思えば、何がそこまで大変だったのだろうと思うのだが
やはり1歳児2人と常に一緒にいるのは疲れる。

新生児や乳幼児の育児で一番負担があるのは
自分が少し気を抜いたら万が一命に関わるというストレス。

育児を経験したことある人には分かると思うが
少し気を抜いただけで1歳児はどこに行くかわからない。
当時僕がワンオペ育児をしていた頃はまだ1歳になったばかりの頃。
まだ歩けはしないが、ハイハイでどこまででも行く。つかまり立ちもできる。

もちろん危険なものはある程度どけてはいる。
でも厄介なのは何かつかまり立ちができそうなものがあると
それにつかまって立とうとする。
そのままバランスを崩して机などに頭をぶつけるのだ。
やめてほしい。

そんな願いも叶わず、それぞれが自由に動き回る。
双子の大変なのは、片方のオムツを変えていても
もう片方は待ってくれない。
こちらが手が離せないことなんかお構いなしに何かが起きている。

そんな状況で子どもたちを連れて外に出かけるなんて全然できなかった。
何より怖いのは、外でも双子が二手に分かれてハイハイしていったら
ワンオペではどちらかしか捕まえられないのだ。
出かけるとしても室内ではあると思うが
例えば商業施設のキッズスペースに行って自由にさせてて
「どちらか追いかけてる間にどちらか見失ったら…」と考えたら
なかなか外出のハードルは高かった。

また妻がいてくれた日はちょっと自分のことをやりたいから
子どもたちを見てもらうことができたが、それが全然できない。
ワンオペ育児をしていた人に言ったら
「何を言ってるんだ、そんな時間なくて当たり前だろう」と怒られると思うが
そのくらい育休を取って2人で双子を見るのはゆとりがあったのだ。
その育児しか知らない僕にとって1人で7時間も子どもたちと一緒にいるのは
本当にしんどい。トイレに行くタイミングすら見失う。
失禁しない程度に行くけれども。その間双子たちが何するか本当に不安。
大の方だと時間がかかるから更に不安。

よく「大人と話す時間がないのが辛い」と言う人がいるが
それは本当に実感した。
言葉の通じない双子とずっと一緒にいると、本当に疲れる。
何をやりたいのかは大体分かる、でもたまに泣き止まなかったりする。
その時はお手上げなのだ。妻がいればその状況を笑い合えたりするのだが
ただただ自分がどうにもできない事に苛立ちを覚える。

そもそも、なんで育休なんて取って仕事してないんだ?

そしてそんな週に3回程度のワンオペ育児が何週間か続くと
いよいよ自分がダメになっているのが分かった。
考えることもどんどん変わっていった。
1年も会社に行っていないと自分が社会と断絶されているような気分になる。

最初はあんなに楽しかった育児休業生活。
でももうすぐ終わるのが見えてくる。また仕事をしなければならない。
しかもあのうまくいっていなかった地元の中小企業で。

そんな状況の中、自分が本当に社会復帰できるのだろうか?
この1年のブランクは大丈夫なのか?
そもそも何で俺は自分のしたい仕事もできていないんだ。
俺のアイデンティティは何なんだ。

完全に自分を見失っていた。
妻がいる日、意味もなく1時間くらい外を歩いた。
何が変わるわけでもなかったが、子どもたちと離れる時間ができたおかげで
少しはマシになったような気がした。
でも気持ちが晴れることはなかった。

妻と相談して診療内科に行くことにした。
とりあえず出される薬を飲みながら様子を見ていた。
おそらくそれが3月中頃だったろうか。
復帰は5月。保育園の入学は4月だ。
ちょっとずつ育休復帰が近づく中、また1つ仕事が舞い込んできた。

育休を取る前後でFacebook広告の仕事をしていた
東京のWEB系の代理店の人だった。
どうやら独立して自分の小さな会社を持ったらしい。
その人から今度YouTubeで広告を出すから一度一緒にできないかと相談された。

実際打ち合わせをして一度作業をしてもらいたいとのことで
都内に仕事をしに行った。
12月に以前勤めていたテレビ番組の編集所で仕事をして以来
久しぶりの仕事だった。
その仕事は継続するとのことで自宅でやることにした。

妻に話して少し仕事に専念させてもらうことにした。
そのくらいから少し気持ちが楽になった。
ひょっとしたらこれは自分の勤めてる会社でもできるかもしれないと思えたから。
一生懸命仕事をしながら保育園の慣らし保育が始まったり
今の会社の社長や上司と復帰の相談をしたりしているうちに
うつうつとした気持ちはやっと晴れてきた。

次回、仕事復帰や保育園の慣らし保育など
僕がどうやってこの状況から復活できたかを詳しく書いていきたいと思う。

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