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21.子が1歳になる前日に保育園が決まらなければ育休は延長できる。

僕の育児休業生活も当初は双子たちが1歳になる前日までと規定されていた。
ただしのっぴきならない事情があれば半年までの延長が許される。
(制度としてはさらにもう1回半年の延長が許されて最長2年は取れる)
主な理由として挙げられるのが「保育園に落ちた」というもの。

この落選通知があれば、それを元に延長の申請ができた。
うちの双子の場合2月生まれだったので2月に復帰の予定ではあったが
そもそも双子の0歳児が同時に2月に入れる保育園なんてそうそう無い。

ってか本当に自分たちの住んでいる地域にそんな保育園なかったのだ。
区役所で聞いても1人なら入れる園があるとは言われたが
向こう数年バラバラの園に通わせるなんて判断できるはずがない。

ということで高をくくって、4月に1歳児を2人入れられる保育園を探していた。
0歳児と1歳児ではそもそも保育園の受け入れ人数も違う。
基本的に年齢が上がっていけばいくほど
1クラスで見られる子どもの人数は増えるのだ。
(保育士1人あたりで見られる子どもの人数が年齢によって決まっている)

しかも4月入園の申し込みは前年の10月にあるのに、
それ以外の月は基本的に前月か前々月に申し込む。
ということは2月の申し込みより10月の申し込みの方が早いのだ。矛盾。

ということでもう我々は確実に4月に入れる保育園を第4希望まで書き
2月入園で希望する(というより落としてもらう)保育園は
兄弟同園、同時で希望を出して1園だけ書いて出した。

当然2月に入れる保育園などなく、育休の延長が決定した。

前情報で2月に入れる保育園がないということはわかっていたので
会社には相談済みだった。
「4月ないし慣らし保育があるので5月から復帰でお願いします。」と
伝えておいた。
結局5月から復帰することになる。

この5月は令和元年の5月だ。
世間が沸きに沸いた改元のゴールデンウイーク。
だから結局復帰初日は5月の2週目くらいだったと思う。
復帰についてはまた改めて詳しく書いていく。

でも正直育休終わってほしくない。

僕も妻もこの1年近くの育休生活をとても楽しんでいた。
不思議なものでその時は結構大変な思いをしたと思うのだが
やっぱりなかなか人生で1年も休める期間そうそう無い。
後から思い起こせば本当にいい1年1ヶ月だったと思う。
僕はそれを噛み締めるように日々過ごしていた。

この連続投稿の最初の方で書いたが
僕は転職して仕事があまりうまくいっていなかった。
自分のお客さんを見つけたかった。
副業で前の会社の人と連絡を取ったり、妻のお兄さんから仕事をもらったりしたが
どれもこの2月の段階では
春から会社の仕事として受けるというところまで進んでいなかった。

もう少し猶予がほしい。
正直、あのうまくいってない仕事場に戻るのはとても苦痛だ。
周囲はそれほど気にしていないと思うのだが、
僕にとっては本当に何一つ自信満々でできる仕事がなかった。

社会人10年目でこれだ、どうする。
本当に地元に戻ってきたことを後悔していた。
とはいえ東京に戻るというのもこの双子育児を経験した今、難しい。
うつ病を経験した母もすっかり良くなっていたから
何かあったら僕の実家はかなり頼りにしていた。

5月に復帰するとしてあと3ヶ月。
どうにか活路を見出したい。
そんな思いもあっての延長だった。

妻は妻とて再就職をしたい思いがあった。

実は妻は東京にいる時に一念発起をしてネイリストのスクールに通っていた。
当時まだ妊活も始めていなかった頃だろうか。
本当にいきなりスクールに電話をかけ、実際にスクールに行き説明を受けて
80万円ほどするスクールに入学を決めた。

ここで妻の貯金はほぼなくなったのではないだろうか。
その後、妻はほぼ貯金できていない。

その当時はパートタイマーでテレオペのスーパーバイザーをしていたため
比較的時間も作りやすく週に1〜2度渋谷のスクールに通っていた。
僕も何度か妻のネイルの練習モデルになった。

ネイリストの試験は、ネイリスト検定とジェルネイル検定の2種類あり
それぞれ3つずつランクがある。
(詳しい名称など間違っていたら申し訳ない。)
計6回試験をパスすることをスクールは目標にしていた。

毎回大変そうにしながらも5回の試験は受け終わっていたが
最後の試験、ジェルネイル検定の上級を受ける頃には
もうかなりお腹も大きくなっていた。
さすがに何かあったら大変なので僕がネイル試験のモデルになった。
初めての本番モデルだ。

会場は東京ビッグサイト。
確かもう僕が有給消化していた頃。秋くらいだったと思う。
そう考えると妊娠5ヶ月くらい。
双子だったのでそれでもおなかが大きいのはわかった。

試験当日、妻はなんとか試験で僕の爪にネイルを施してほどなく
つわりで救護室へ連れて行かれた。
ただ、僕はまだ僕の爪を審査員の先生に見てもらわなければいけない。
その場から離れることもできず、ただ待っていた。

そして審査員のチェックを終え、妻のネイル用品を試験のスタッフの方に
手伝ってもらいながら片付け、妻の待つ救護室に向かった。
もちろん大事には至っていなかったが、
妻の体調が少しマシになった段階で一緒に帰路へつく。
本当に僕がモデルでよかった。

後日、その結果は無事に合格。
妻はスクールが設定していた6つの試験すべてをパスして卒業した。

しかし妻はそのまま名古屋に戻り、出産に備え
出産・育児期間に入ってしまった。
つまり全くネイリストとして働けていなかったのだ。
当然、本当にやりたいと思ったネイルの仕事には就いてもらいたい。

これから僕の育休復帰までの間にネイリストとして
就職を目指すことになる。2人にとって勝負の3ヶ月が始まる。

次回、妻の再就職をサポートするためワンオペ育児をしていたら
僕が育児うつになってしまった話をしたいと思う。

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