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10.年も明け、ついに双子が生まれる。

仕事の方はまだまだ本調子ではないものの、
胎児の成長はそれを待ってはくれないのだ。
2018年がついにスタート。
会社では仕事始めという全員顔を合わせて朝礼で御神酒をいただく。
これも社会人生活で初めての経験だった。

妻の帝王切開の日程は病院の都合で平日しか選べなかったので
そこは事前に休みを申請していた。
幸い2月はそこまで忙しくなく迷惑をかけることもなく休みが取れた。
というか、そもそもまだそこまで戦力になっていない自分が休みを取ったところで
大した影響なんてなかった。

そして帝王切開の予定日。
当時、平昌オリンピックの真っ只中だった。
テレビでオリンピックを見ながら妻と一緒にその時を待っていた。
帝王切開手術なので立ち会うことはできなかったが
さすが帝王切開。めっちゃ早い。
連れて行かれて1時間ほどで呼ばれたような記憶がある。
その日は僕の両親や妻の両親も来ていた。

こちらで触れたが妻のお母さんは脳出血で倒れて入院をしていた。
この頃にはリハビリの成果も出て左半身に麻痺は残っていたが
なんとか杖をついたり、車椅子で押してもらい移動ができるようになっていた。

そして運命の対面

妻はベッドに寝た状態で出て来た。性別は事前の告知通り女の子と男の子だった。
息子は保育器に入ってガラス越しに見られるようになっていた。
2895g。双子で予定日より1ヶ月も早く出て来た割には大きく生まれた。
娘は2355gだったせいか、体温が低いせいかでその日は会うことができなかった。
翌日妻がスマホで動画を撮って送ってくれた。

こちらが双子が生まれた日の動画。
生まれたばかりの赤ちゃんの声を初めて聞いた。
正直、その当時の気持ちはよく覚えていない。
多分かわいいとか、小さいなと見た目の感想を持ったとは思うが
よく男性が言いがちな「よしこの子のために頑張るぞ」という
訳わからない理由で急にやる気が出るみたいな記憶は一切ない。
いまだに子どもたちのために仕事を頑張るという気持ちは本当にない。

何はともあれ双子が生まれたのだ。確かその日が火曜日。
次の週末に僕は妻の入院している病院の個室へ泊まりに行った。
そこで初めて娘に会った。息子よりちょっと小さな娘だったが
立派に生きていた。

本当にそこで初めて双子が並んでいる姿を見て
「双子の父親になってしまったのだな」と実感できた。
頑張る気は毛頭ないのだが、無駄に責任感だけは増えた気がした。
責任感が増したところで慣れてない仕事が急に慣れて大活躍できる訳じゃないし
それでも生きて行かなくてはいけないという思いが込み上げて来たのだろう。

僕はそこで初めて子どもたちにミルクをあげた。オムツも変えた。
母子同室は始まっていたが、
双子たちを2人同時に同室させることはなかったようで
僕がいるその日に初めて双子を同時に同室させた。
寝てる時におなかが空いて泣いていたと思うが、
やはり妻が先に起きて授乳していた。
男性が赤ちゃんの泣き声で起きないというのはどうやら事実らしい。

そして生後1週間ほどで退院。

さすがに妻の体調もあり
いきなり自分たちのマンションに帰る選択ができなかった。
帝王切開の痕は相当痛いらしい。動くとすぐに傷が痛むそうだ。

前述の通り妻のお母さんはまだまだ左半身に麻痺が残る状態で
とても頼れる状態ではなかったので
僕の実家でしばらくお世話になる事にした。
妻としてはやりづらかったろうが、こればかりは仕方がない。
僕もなるべく早く帰るように心がけた。

僕の母や妹がある程度身の回りのことはやってくれていたのだろうか。
おそらくご飯などは用意してくれていて、
妻が家事などすることはあまりなかったとは思う。
その時僕もまだまだ新しい職場に慣れるのに必死で
全然妻のことまで気が回っていなかった。

8畳の寝室を僕らの部屋にしてくれていた。
毎日帰ってくると20時〜21時の間くらいだった。
夜の授乳当番は僕がやることになっていた。
妻には23時〜24時くらいには寝てもらい
双子たちが泣いたら僕がミルクをあげてオムツを変える。
そして深夜3時くらいのミルクをあげ終わったら僕が眠り
次に双子のどちらかが泣いたら妻に起きて対応してもらう形になった。

これで2人とも4時間程度はまとまって眠れる。

また、なぜかこのタイミングで以前ランサーズで繋がった
動画編集の副業の方が継続案件になり始めた。
実家にパソコンを持ち込んで
ミルク当番の間の待ち時間をひたすら動画編集に充てていた。
やはりどこかで会社で成果が出せていない事に
自分がどんどん価値のない人間になっていると感じ始めたからなのか
会社以外の場所でお金が稼げていたことで少し気持ちは楽になった。
(会社があまり楽しくないことには変わりはないのだが)

そして僕の実家での生活が2週間ほど経った時、
妻から「もう自宅に戻りたい」と言われた。
当初1ヶ月くらいは実家にいるつもりで話していたので驚いたが
やはり妻にとってはいづらかったのだろうか。
後にこんなに早く帰りたくなったのには理由があったことを知るのだが
それはまた次回以降、なぜ育児休業を取ることになったかを記す時に
詳しく書いていく。

次回は自宅に戻った後に待ち受ける仕事の繁忙期。
どんどん追い込まれていく話を書きたい。

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