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『嫌』に隠れている可能性

次男(6)は時々、
園の担任の先生が嫌だと言うことがある。

なんで嫌なのかを聞いてみたら、
自分がやりたいことをやらせてもらえなくて
やりたくないことをさせられる、のだそうで。

家でもそうだけれど
次男は自分にとって不快なことから
スルリと離れていく。


さらに聞いてみると、やっぱり

やりたいことはもう既にできること
やりたくないことは苦手なこと。

そうだよねぇ。


少し難しいことに取り組むタイムが
設けられているので


「できることはそれでいいから
ちょっと難しいことをやってみる時間だよね。」

と言うと、ニヤリとしながら納得していた。


この会話が2〜3日前で、今朝、

その時間が楽しみなんだーと言って
「初めてやることをやるんだよ!」
と、かなり強調していた。

僕はやったことのないことに
チャレンジするんだ!

と言いたいのだろう(笑)


快・不快のセンサーはもちろん大切だけれど
こういう本人の意志の芽生えも大切なことで。

色んな体験ができるという
家とは違うコミュニティーならではの
魅力だなぁと思う。


そして「先生が嫌」の一言の中には
可能性がつまってる。




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