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徒然綴る

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#ひとりごと

櫻井敦司さん

※この記事は、わたしの感情の整理のため、前を向くために書き綴るものです。加筆修正が繰り返されます。ご了承ください。 BUCK-TICKのボーカル、櫻井敦司さんが2023年10月19日23時09分に亡くなりました。 死因は脳幹出血。57歳でした。 10月19日、ファンクラブ限定のライブ中、3曲を歌い切ったあと、スタッフを自ら呼び、そのまま抱えられて退場。不調が伝えられライブは中止。翌日の公演も中止が決まりました。 夜中にギターの今井寿さんのインスタが更新されました。 翌日

櫻井さんと星野さんのハモリが好きだったの。ハモリ曲もっと出してほしいと思ってたの。叶わぬ夢になってしまった。諦めきれない自分がいる。

ガザで起きていることを、あの頃櫻井さんはもう知っていたのだろうか。報道が続く今、止まぬ虐殺に深く胸を痛めたであろうと思うと、あの日の旅立ちで良かったのかもしれない。そう思い納得させようとしている自分がいる。

櫻井さんの紡ぐ言葉が大好きだった。中学2年のあの日からずっと。どの歌詞もインタビューで答えたことも。櫻井さんの言葉があったから生きてこられた。多大な影響を受けて今がある。近年は今井さんと融合具合が増して、一瞬どっちが書いたのかわからないものもあったりして、それも含めて好きだった。

調べればわかる用語の意味を質問されるのがしんどい。自分で調べてくれと伝えたいけど「感じ悪くならない、相手を刺激しない文章を考える」という手間と時間をとられるのもしんどい。答えを求める行為は「自分のために時間を使え」と要求しているのと同じだと知って欲しい。

Toshiya さん、最後の姿を教えてくれてありがとうございます。大切な思い出を綴ってくれてありがとうございます。 https://www.co-yomi.com/utakata/column.php?page=20231115

暗黒宇宙彼方の塵にしたいもの。 高校生の頃に書いた長編夢小説とペンネーム。 カフカにかぶれて書いた短編はそこそこいい味わいなので、人名を変えていつか大人の御伽噺にしたい。

コロナ禍に、親離れ的な距離感での「好き」に移行、もしくは依存から自立に移行したのかもと思う時期もあったのだけれど、今回のことでやはり自分の精神状態に大きな影響があるのだと痛感した。BUCK-TICKはわたしにとって「人生の背骨」です。

永野さんのYouTube、チャット欄も含めて愛がいっぱいで泣きながら笑ってる。一気には無理だから少しずつ観ます。 https://www.youtube.com/live/3H9_SvacI34?si=Gq4WjPXWdNIiUBn4

タイッツー、依然リプライ機能が搭載されない。でもそれで気づいたことがあったんですよ。精神衛生上、とても良いことに。「リプ返しを期待されてたりするのかな、しないと感じ悪いかな、でもその余裕今ないんです、本当にごめんなさい」と心の中で謝って自分の狭量を責めなくて済む。

人の死を消費し数字稼ぎをする記事を読んだ

実話とも創作とも触れていないところに狡猾さを感じた。 わたしは読んだ瞬間に、これは体験の伴っていない言葉だと思った。 もしもそれが誤解で、あの物語が事実だったとしても「読み物」に整えるために、書き手が見たい、そして魅せたい虚像に仕上げたようにしか感じられなかった。 脚本書きを仕事にしてる人間の視点で言わせてもらうと、「さながら」は小説的な表現で、生身の人間が使う話し言葉としては無理がある。 全世界を探せば、ひょっとしたら何人かは小説めいた口調で語る人もいるかもしれない。

ご飯食べながらSUGIZOさんのラジオをタイムフリーで聴いていたら、また蓋が開いて発作みたいに泣けてしまった。まだまだダメである。偲ぶ会、わたし行けるのだろうか。