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櫻井敦司さん

※この記事は、わたしの感情の整理のため、前を向くために書き綴るものです。加筆修正が繰り返されます。ご了承ください。


BUCK-TICKのボーカル、櫻井敦司さんが2023年10月19日23時09分に亡くなりました。
死因は脳幹出血。57歳でした。

10月19日、ファンクラブ限定のライブ中、3曲を歌い切ったあと、スタッフを自ら呼び、そのまま抱えられて退場。不調が伝えられライブは中止。翌日の公演も中止が決まりました。

夜中にギターの今井寿さんのインスタが更新されました。
翌日には、ファンクラブ会員向けに発信されるゆうたさん(ベースの樋口豊さん)のブログで、毎日欠かさず更新されてきたブログの一時休止と彼が出演するトークイベントの中止を知りました。

このとき、実は最悪のことが過ぎっていました。
でもすぐに打ち消しました。
言葉にしたら本当になってしまうと思ったからです。

わたしたちファンは、ただただ無事と回復を祈る数日を過ごました。

10月24日13時53分。
「大切なお知らせ」としてファンクラブから訃報が届きました。
わたしはそのメールに気づかず、夕方、知人からの「Buck-tickのニュース見て、まっさきに、あなたを心配したよ」「若すぎる。ショック」というDMでその事実を知りました。

わたしがBUCK-TICKのファンであること。
BUCK-TICKが人生の背骨であること。
表現の師だと思ってきたこと。

これらを知る方々から、ご心配をいただくメッセージが届き始め、お一人お一人へ丁寧なお返事ができないことから、実感のないまま混乱のままに、なんとか上記の言葉をまとめてTwitterに発信しました。


心配してくださるお気持ちは嬉しいです。
でもまず思ったのは、「わたしの心配なんかより、どうかBUCK-TICKを知ってください。櫻井さんの歌に触れてください」ということでした。

長くファンを続けている中で、「BUCK-TICKって今もやってるの?」という言葉を数えきれないほど投げかけられました。
今まで見向きもしなかった人が、テレビでの露出が多かった80-90年代の曲だけを挙げて、SNSで櫻井さんの死を消費していく抵抗でもありました。

近年の、現在進行形のBUCK-TICKを知って欲しい。
いちファンとしての願いは今も変わりません。

10月24日はたくさん泣きました。
10月25日の午前4時に涙を止めました。
ワークショップが控えているからです。
貴重な時間とお金をかけて参加してくれる方々に、余計な心配をかけさせない。
主宰として「いつも通り」すべきことをする。
これが今の務めだと思いました。
わたしがこれまでBUCK-TICKのから学んできたことです。

今井さんは2011年の東日本大震災のとき、「大丈夫ですか? がんばろう  俺たちは強い」というメッセージを発信してくれました。

これは今もファンの中で魔法の呪文のように浸透しています。
これ以外にも「進め 未来だ」という言葉もあります。
今井さんの強く大きな父性的な言葉が、わたしを支えてくれています。

だから「大丈夫。俺たちは強い」と言いきかせて未来に向かうのです。

ワークショップの準備をしながら、それでもふと悲しみが襲い、何かをしないとダメになりそうで、冒頭に添付した画像をつくったりしました。

10月25日。
ワークショップを無事に終えました。
ちゃんとできてホッとしています。
夜中には映画の打ち合わせもしました。

オーディションが控えています。
原稿の締切もあります。
まだ、櫻井さんの死は実感できていません。
向き合うことも怖いのです。

でも、溢れる思いを吐き出さないと前に進めないのも事実です。


前に進むための独り言です。
とりとめもない乱文は続きます。

この32年間、コンサートには何回も行ったのに、他のメンバーの名を発することはできても、櫻井さんに対しては神々しくて畏れおおくて、あとずっと「櫻井さん」だったから「あっちゃん」という声かけが気恥ずかしくて発することができなかったんです。こんなことなら勇気を出してたった1度でも叫べばよかったです。

でも何年か前に一度だけお手紙を書きました。BUCK-TICKが人生の背骨、表現の師である理由。表現し続けてくれていることの感謝。世界観への憧れ。自分が創作者として得意とする世界と重なることのない悲しみ。それでもオリジナリティの追求という姿勢をBUCK-TICKから学んだからこそ、自分は自分の表現を突き進むという覚悟を綴りました。

もっと力をつけて自分を広げて、お役に立てる日を引き寄せたいという夢も添えました。あつくるしい、とても長い手紙です。伝えたいことはあの時にすべて書きました。だから思いを伝えられなかったという後悔はないんですよね。

ただあの時、ふざけているように思われるかもしれないと書けなかったことがひとつだけありました。

畑は違っても表現の道を志すわたしにとってBUCK-TICKは、ずっと背中を追うお父さんのような感覚があります。そして櫻井さんは、その父さんたちの中にいるお母さんでした。14歳のとき、一度死を選ぼうとしたわたしに、その歌詞によって再び命を与えてくれた人。自己受容できないままのわたしに、「それでも生きていていい」と、歌詞やインタビューやパフォーマンスを通じて伝え続けてくれた人でした。お父さんなんだけど「お母さん」と呼びたくなる存在でした。

もしもお会いできる機会がめぐってきたら、「“お母さん”と呼んでもいいですか」と言ってみたいという、ふざけた夢もありました。いなくなってしまった実感はないから、まだ会える気もしているんです。「お母さん、わたし成長してこんなこともできるようになったんだよ」と伝えられるよう頑張ります。

会ったこともご縁もないのに、頭おかしいですよね。でもこれからも妄想を原動力にして歩き続けます。

2023.10.26-17:00


櫻井さんは戦争のない世界に旅立ったんですよね。もう胸を痛めることのない世界へ。優しい人だから、遺された人のことをしばらくは心配していそうだけれど。

完全なステージの最後が、35周年の締めくくり、それも故郷でのコンサートだったなんて。
最後に浴びたスポットライトが36周年の始まりのステージだったなんて。
スターとして出来すぎの旅立ちだよ、櫻井さん。


この喪失とどう向き合ったらいいか、あなたはずっと歌を通し、言葉を通し、わたしたちに教えてくれてたんですよね。
苦しいからこそ、あなたの声に、あなたが綴った歌詞に触れていくよ。

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