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【恨みや敵意-2】

愛する人や大切な人を亡くしてしまった。
今まさにそのような状況に直面しようとしている。
そのような方に向けて私なりの悲嘆(グリーフ)について当時、そして今の気持ちを綴っています。
辛すぎる時って、自分だけがなんで・・・と思いがちですが、ここにも悲嘆に暮れる日々を送った人物がいた事を。
現在苦しみの渦中で泥沼から抜けられない、深い哀しみの中で真っ暗闇に感じている方にとって少しでも気持ちが楽になるような記事が綴れていれば嬉しいです。

昨日記事を綴りながら、改めて当時の自分の気持ちに向き合って思い出してみました。

恨みに思っていた根本のひとつ、これは夫にも生前に直接伝えた事でした。

私たち夫婦には息子が二人いますが、長男と次男の間に死産だった長女が居ました。娘の妊娠初期に、成長の生命線でもある大切な胎盤が子宮から剥がれるという大変な事態に見舞われました。

妊娠4か月から産まれるまで勿論絶対安静を言い渡され。
出血の酷かった私は緊急入院となり自分自身も生死の境をさまよう羽目になったのです。

輸血ギリギリのところまで出血は繰り返しました。
今でも良く覚えているのが眠っているのか、はたまた私はあの世に居るのかその境目が分からず。目が覚めて見ているその風景には色も無く、音も遠くに微かに聞こえる、そんな危ない日々を集中治療室で過ごしました。

この時私は25歳、夫は27歳の冬でした。

なんとか持ち直し、その状態からは脱して集中治療室から一般病棟へ移り3か月という月日をベット上で過ごしたのでした。

結局、努力の甲斐も虚しく娘は7か月に入ったその日の夜中にへその緒が首に三重に巻き「死産」という形でこの世に出てきたのでした。

この3か月以上に渡る入院期間が、夫に対する恨みの原因の一つです。

集中治療室ではそのような状態だったので、よく覚えていないというのが実際で。一般病棟へ移ってからが私を辛く寂しくさせたのでした。

4人部屋だったそこは、新婚夫婦もいました。
隣のベットは幸恵ちゃんという年齢は同じくらいの方で、ご主人も毎日のように来ては、病室のベットでいつも一緒に昼寝をしたりしていました。

勿論私の夫も毎日欠かさず通っては来てくれました。
しかし、幸恵ちゃんのご主人のように私のベッドで一緒に昼寝をしたり優しい言葉や励ましの言葉をかけてくれたり、ましてや手を握ってくれるなんてことは一度たりともありませんでした。

その事を私は何十年経っても恨んでいたのです。
手を握って欲しかった・・・だって、私自信がそんな状態なのですから。不安で不安で毎日一人で病室のベットから降りることすら禁止され、24時間点滴に繋がれて過ごしていたのだから。

毎晩見る夢は、点滴がぶら下がっている車輪のついた器具を押しながら走って逃げる。そんな日々が続きました。

僅か25歳、新米母の私です。

家に残してきた、2歳の長男が気がかりで何時でも一人涙していました。お腹の子が無事に産まれてくれるのか不安に思ったり。この状態から一日も早く脱し家に帰りたいと願ったり。

私は日に日に追い込まれ、娘を諦め家に帰りたいと主治医に懇願したことさえ何度もありました。
主治医は「今の段階だと、子宮ごと摘出になるからそれは出来ない」と説明してくれたけれど、私はそれでも良いと食い下がり怒られた事もありました。

点滴は両腕の他、足や首と場所を変え針を刺す場所が無くなり肌は荒れその状態を見ると更に情けなくて逃げ出したいと思う日々でした。

そんな思いをしている私の手さえ握ってくれなかった夫に、思い切り仕返しをするチャンスが到来したと言わんばかりに、私はがん闘病中の夫が私の手を握ることを拒み振り払ったのでした。

人間の恨みとは、なんと恐ろしいのでしょうか。そこまで恨まれた夫も気の毒ですが、亡くなるほんの少し前に「何故あの時私の手を握ってくれなかったのか」と問いただしたことがありました。答えは「だって・・・恥ずかしかったから」と。

「なんなのよ、それ!」と勿論、私は更なる怒りへと気持ちが動いたと共に夫って結局そういう人だったんだね~と本質が分かったような気もしました。

人一倍、私に対しては恥ずかしがり屋だったくせに私の友人達には「女房に褒められたいから、今ごはん作ったりできる事をしてるんだ」と余命少ない時に家の手伝い始めた夫は、亭主関白だった時とは別人のように、ほんの数か月の間色々と手伝ってくれました。

そんな事を友人に話していたとはね。
「女房に褒められたいんだ」なんてことを後から聞かされた私は、夫って本当に不器用な人でバカだったな、なんて苦笑してしまいました。

そんな事を聞かされたって、夫は既にこの世には居ないし。私は夫に詫びることも出来ない。どうすれば良いのよ・・・その気持ちがその後の酷い悲嘆に繋がっていった訳です。

遷延性悲嘆症は、娘死産の時も辛さに耐え人前で泣くこともせず。そして夫が亡くなった時でさえ泣く訳でも叫ぶ訳でも無く耐え忍んだ。まるでそれが美学のように。しかし全てがマイナスの方へと引っ張っていった原因となったのでした。

これだけではありません。原因は他にもあって、幼いころの両親の離婚や私だけ母親が再婚するときに連れて行って貰えなかったこと。

これはまた詳しく綴りますけれど。

その時、その時の気持ちを無理に閉じ込めても意味が無いという事です。
結局そのような我慢はコップの水が溢れるように、止められない事態に発展していくからです。それもじわじわと時間をかけて。

今、苦しい方。我慢しないで自分の気持ちを表に出しましょう。泣いちゃいけない、しっかりしなきゃなんて考えないで良いのです。
男性だって、泣いて良いんですよ。ジェンダーバイアスが掛かりがちだとは思いますが気持ちは表現し、そしてそんな自分を許してあげましょうね。




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