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【悲嘆のプロセスとは④】

悲嘆のプロセス12の段階の詳しい説明は①をご覧ください。

今回はその7~9段階目までを私自身に当てはめて振り返りたいと思います。

7段階 空想形成や幻想
故人がまだ生きているのではないかと思い込んで、実生活でも生きているようにふるまってしまう。
例えば、「故人が帰って来るのではと部屋のそのままにしておく」「食事の準備を変わらずする」などがこれに当たります。
↓ ↓ ↓ 私の捉え方
私にはこういった感情はありませんでした。冷たいのか、はたまた現実主義なのかは分かりません。
一つ言えるのは「予期悲嘆」が長かったことから受け入れがたい事実ではあるものの、受け入れるしか無いと覚悟を決めていたことが功を奏したのではないでしょうか。(予期悲嘆の記事も綴っていますので、宜しければそちらもご覧ください)

8段階 孤独感と抑うつ
葬儀などが一段落し、急に現実を感じ寂しさが襲ってきます。
手続きなどで追われている時よりも、ホッと一息ついた時に感じるのが特徴とも言えるでしょうか。
↓ ↓ ↓ 私の捉え方
こちらに関しては酷かったです。でもこれを経験する方は多いと言いますし、ほぼ皆さんこの状態になるのでしょう。勿論私も同じでした。葬儀を終えると直ぐに四十九日の事を考えます。しかし、その間に様々な手続きが待っていますよね。竜巻に巻き込まれたような状態から、急にその渦からポッと外に出されたようになった時。あれ?私一人なんじゃないのかしら。色々と忙しかったけれどこれから何をして良いのか・・・少しホッとするような気持ちと共に、コントロールできない寂しさと孤独感が襲ってきました。


9段階 精神的混乱と無関心や無感動
アパシーともいう。本来ならば反応するような感情体験が生起しない状態のことを指します。
生活目標を見失い、どうしていいか分からず、感情が動かない、関心もなくなるような状態のことを指している。
↓ ↓ ↓ 私の捉え方
この段階に対しての備えはバッチリ!用意周到、準備万端、私は自分のこの先の事を考え完璧にしていたと自負しており、私はなんて自己コントロールが完璧に出来る人間なのだろう。と高らかに宣言できるはずだったのですが。そこに大きな大きな落とし穴がありました。このことについては、また細かく分析し綴りますのね。

悲嘆に対して、コントロールできる人間なんていないのです。私はしっかり者で、今までの人生の中では自叙伝を何冊もかけるのではないかと友達に言われるほど様々な経験をし苦労もし、そして数々の困難を乗り越えてきました。

しかし「最愛の夫との死別」これは私にとっては別格で。後の記事でホームズ&レイの社会的再適応評価尺度でにも触れますけれど、伴侶との死別はMAX100のストレス度に位置付けられています。

逆に、完璧にコントロールできるような人間だったら私はロボットだったかもしれません。
遷延性悲嘆症※を患ったのも、ある意味人間たらしめる出来事だったのかなと振り返ったりしています。

※遷延性悲嘆症とは(複雑性悲嘆)とは「その文化において通常予期される範囲よりも、悲嘆に関連する症状の強度と持続時間が過度であり、それによって実質的な生活の支障をきたしている状態」であると言えます。
引用元:長引く悲嘆に悩んでいる方へ 複雑性悲嘆(遷延性悲嘆症)のための心理療法 (J-CGT、ENERGY) ウェブサイト (umin.ac.jp)



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