見出し画像

【恨みや敵意-1】

愛する人や大切な人を亡くしてしまった。
今まさにそのような状況に直面しようとしている。
そのような方に向けて私なりの悲嘆(グリーフ)について当時、そして今の気持ちを綴っています。
辛すぎる時って、自分だけがなんで・・・と思いがちですが、ここにも悲嘆に暮れる日々を送った人物がいた事を。
現在苦しみの渦中で泥沼から抜けられない、深い哀しみの中で真っ暗闇に感じている方にとって少しでも気持ちが楽になるような記事が綴れていれば嬉しいです。

第五段階のところで、医療者に対する恨みなどは一切無く恨みと敵意を夫に向けたと綴りました。

この気持ちは夫が生存中から恐ろしいほど牙を向き、恨み倒したと思います。
振り返ってみても、酷い、酷すぎる。
正しくこれは「鬼畜の所業」という表現以外には見つかりません。
体調の優れない夫を何度罵ったか分かりません。今から考えてみても酷い女房だったと思うし、自分自身も何故あそこまで恨み罵倒しそれでも気が済まなかったのか分かりません。

これが後に私自身の強い「自責の念」となったのは想像に難くないと思います。

私は、夫を間違いなく近い将来失う事に耐えられなかったのでしょうね。
死別から5年経った今はそんな風に感じています。
10年経って振り返ったら、もしかして違う気持ちかも知れないけれど。

どれだけ罵倒したって、がん発覚前の状態には戻れない。それは当然のことです。
冷静さも失い、人間として最低な発言だったとしても最愛のひとを失う恐怖で当時は私自身が崩壊していたのでしょう。

あの時、夫になんて言わせたかったのか・・・亭主関白で女房に誤ったことなど無かった夫は何度も私の手を握りしめ「ごめんね」と言いました。
そんな言葉がきっと欲しかったのではないと思います、あの時の私は。

それでも私は夫を許せず、亡くなるまで「早く病院に行っていればこんなことにはならなかった」と繰り返しました。
では、なんという言葉が欲しかったのか。夫の手を振り払って怒り狂った私はきっと鬼の形相だったに違いない。

欲しかった言葉なんて無かったはず、現実を受け入れられず藻掻き苦しみそれでもどうすることも出来なかった。ただそれだけだったのでしょう。

この記事を綴りながらも、思い出しては涙が出ます。
どうすることも出来ないことって人生にはありますね。

このような事の積み重ねで、私は死別後酷い悲嘆に苦しむことになったのです。「遷延性悲嘆症」これについては改めて詳しく綴っていこうと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?