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【悲嘆のプロセスとは②】

悲嘆のプロセスとは①で12の段階があると綴りました。

今回はその3段階目までを私自身に当てはめて振り返りたいと思います。
現在進行形で悲嘆に向き合っている方もいらっしゃるかと。
自分だけが特別では無いのです。どこかの誰かもこのような状態で苦しんでいるかも知れません。現に私は苦しみ抜きました。

でも、絶対に光は見えてきますからね。


1段階 精神的打撃と麻痺状態
(大切な人の死に直面して頭が真っ白になってしまいます。
何が起こったのか、起きていることが分からないといった感じです。)
↓ ↓ ↓ 私の捉え方
夫は突然死ではなく、がんで4年3カ月闘病していたので正直頭が真っ白にはならなかった。起きていることはしっかりと現実なのだと受け止め、不謹慎かも知れないけれど「やっとこの時が来た」と安堵の気持ちに似たものと、「これって現実なの?本当にこの日が来るのか・・・」という気持ちが入り混じって複雑な感情でした。
そして「葬儀社に連絡しなければ!」「葬儀を立派に終わらせなきゃ」とやる気に満ち溢れ、自分自身はスーパーハイテンションだったと記憶しています。

2段階 否認(別れや喪失を受け入れられないというもの)
大切な人の死を認めることができず否定する状態。突然死の場合は、否認が顕著に表れることが多くあります。生きている、亡くなったなんて嘘だと受け入れられない状態になります。
↓ ↓ ↓ 私の捉え方
この感情はありませんでした。亡くなったなんて嘘だとは思わなかったけれど、ふと玄関から「ただいま~」という声がして、階段を上がってくる感覚は未だにあります。しかし、喪失を受け入れられないというよりも30年も一緒にいたのだから当たり前の感覚が抜けないのかもしれません。

3段階 パニック
死に対しては確信しているものの、哀しみが強過ぎて恐怖を感じたり否定したい感情が合わさってパニックになったりする状態を指します。
↓ ↓ ↓ 私の捉え方
パニックの自覚は無かったものの、そのような表現をするのだと改めて知りました。この段階が強過ぎて、否定したいというよりも最愛の夫が居なくなった恐怖をどうにか打ち消そうと必死に藻掻き続ける日々でした。

特に夕方から夜にかけての恐怖は、思い出しても鳥肌が立つ感覚があります。仕事から帰宅して、どうやってご飯を食べていたのかすら思い出せないくらいです。ベットを見れば眠りたい、兎に角起きていたくない。ずっと眠っていたい。そして夫が処方されていた大量の睡眠薬を見つけ、毎晩飲み続けていました。一錠飲めば少し眠れる、しかし神経が立っているからすぐ目が覚める。そしてまた薬に手が伸びるの繰り返し。辛くて辛くて眠り続けたい、目が覚めたくないと思う日々で夜が恐怖で仕方が無かった時期です。
ベッドに横になると、底なし沼にズブズブと沈み込むような感覚もありました。でも抜けられなくてもいい、このままどこまでも沈んでしまえと思ったほどでした。夜明けが待ち遠しい。そればかり思っていました。

しかし、自分から命を絶つことだけは考えなかった。というよりも、実は考えていたのかも知れないけれどその時はいつも「父親が逝ってしまって、母親も居なくなったら息子達が気の毒だ」を思考のなかでループしていたことは毎日のことでした。

当時は自分の身体の半分を失い、真っ直ぐ歩けていないような感覚もありました。その感覚は4年ほど続きました。この段階辺りから、後に発覚した重大な疾患を患う兆候が出ていたのだと思います。

本当はこの3段階目の自分の状態を早く気づいて対処出来れば、その後の私は全然違う悲嘆回復のプロセスを辿れたのでしょうけれど。その時はそんなことは考えなかったのです。

次回は4~6段階について振り返ろうと思います。


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