感情は語彙力である
20200429編集
20180401編集
タイトルの通り『感情は語彙力』であると私は提言しています。
これが私なりの結論です。
感情:ヒトなどの動物がものごとや対象に対して抱く気持ちのこと
感受性:生活文化においては、単に「情」と略する事がある。他人の感情を深くくみ取り・・・
参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%83%85
また、語彙力がないことを否定しているものではありません。
上記の結論と、言葉の意味を前提とし、話を進めます。
感情は事実に基づく
まず、感情は何かしらの事象に対して発生するものです。
つまり、「事実」に基づいて生じるものなので、「事実」がないと感情は生まれません。感情ファーストで進むことはあり得ないのです。
伝えられないことは“まだ”感情ではない
巷にはこの言葉が溢れています。
『なんかモヤモヤする、その言葉にならないモヤモヤを大事に』
私は否定します。
言葉にならないのではなく、自分の語彙力が足りないために言葉にできないのです。
「感受性が豊か」と自分でいう人、たくさんいませんか?そういう人に限って、感情を「言葉にできない」という人、いませんか?そんな感覚を大事にしているとか。
それは何も生まれていません。感情は生まれていません。
ただモヤモヤするという言葉の通りでそれ以上はありません。中身がありません。言葉が伴って初めて感情が生まれます。
さらに、他人の感情は、語彙力がないと汲み取れません。汲み取れるのはあくまでも仮説で、それは言葉でのみ成り立ちます。言葉にできない感覚を訴えて会話しようとしている人に、「感情論で話さないように」と諭しても無駄な場合がほとんどです。その人は感情論にすらなっていません。
なので、言葉にならないものは、感情ではないと唱えます。
語彙力があって感情というものが生まれる
大事なのは圧倒的に語彙力/ボキャブラリーです。
とにかく語彙力を鍛えること。
何か新しいアウトプットの為に使わせていただきます!