タブロイド(第十八話)

18、
 きみの〈取材〉の何が、あれほどアルシェ医師を恐慌状態に陥れたのだろう。
 その疑問は翌日、大学の敷地を取り巻く並木の陰から、職員用の通用門を見張っているときにようやく解けた。
 年の瀬の十二月十八日の午後は、幸いなことに日差しのある穏やかな陽気だった。会社の電動三輪車トライクにまたがったきみが、いつものようにギグワーカー姿で張り込みをしていると、高級セダンを運転するアルシェ医師が出てきた。医師の自宅を見張ろうにも、上流社会ラ・オート・ソシエテ御用達の摩天楼群〈イルーニュ・タワーズ〉は、セキュリティが厳しく棟を特定することすら、できなかったのだ。
 例によって動画撮影をしながらセダンの後ろについて行った。セダンには同乗者がいた。助手席でふんぞり返っている様子からして、医学生の息子に違いないと思われた。だが目視では確認できない。
 セダンは、〈イルーニュ・タワーズ〉の地下駐車場に同乗者を乗せたまま入って行った。
 帰社して、撮影装置のデータで同乗者の顔を確認した。その画像をSNSで検索すると、あっさりとヒットした。若者は息子のトーマ・アルシェと判明した。しかし、きみの呆然とさせたのは、彼がアルシェ医師の息子という点ではなかった。トーマの顔に見覚えがあったのだ。
 トーマ・アルシェは〈ビヤーキー〉のメンバーーーきみが襲われたあのときに、フェイクファーのコートを着ていた若者だった。
 

 きみは気分が悪くなる。自分がひどく出来の悪い陰謀論のさなかに迷い込んだみたいな気がする。何もかもが〈ビヤーキー〉に繋がっている。
 前日に整理した要点を、きみはまた思い起こす。すなわち『ダヴィドは〈ビヤーキー〉に計画的に殺されたのではないか?』という点だ。そして、ダヴィドを検視し、血中にアルコールを含んでいると同定した医師が、ダヴィドのトラックを銃撃したとおぼしき〈ビヤーキー〉のメンバーの父親だった。
 もし見立てが間違いでないならば、アルシェ医師の検視に重大な疑念が生じる。
 だがーー。
 まったく証拠はない。例のごとく。再度の検視を裁判所に認めさせ、埋葬されたダヴィドの遺体を掘り起こすほどの根拠がない。それにどのみち、損傷の酷かった彼の遺体は火葬され納骨されていた。
 完全犯罪になりそうだった。
 

 結論を先延ばしにするために、時間稼ぎをしている自覚はあった。実のところきみは、一晩中グルグルと頭を廻らして、ある方途を絞り出していた。この疑念に答えを出すにはおそらく非合法な手段に訴えるしかない。少なくともきみにはそれしか思いつかない。だがそれは探偵の領分を逸脱する行為だった。
 思い悩みながら、翌日の午前中きみは、〈血の風車ル・ムーラン・サングラン事件〉の第一発見者ダニエル・ヴァンドスレール氏の家を訪れていた。サン・ジャン教会から歩いて十分ほどの距離である。
 教会に近づくのは気が進まないーーというより危険ですらあった。あれほど関わり合いになるなと警告されたのだから。
 だが思いきった一手を講じかねるきみは、もう一つの〈ビヤーキー〉絡みの事件ーー〈血の風車ル・ムーラン・サングラン事件〉について聴き込みをするくらいしか、出来ることが浮かばなかった。
 〈ル・プログレ〉紙のシャンポリオン記者に泣きつくと、意外にもあっさりと姐さんは、ヴァンドスレール氏の住所を調べてくれた。リストラをちらつかせての泣き落としが功を奏したのかもしれない。引くぐらい真に迫っていたろうから。
 老人の家は古いタイプの民家で、煉瓦と木の平屋建てだった。
 おとないを入れるが返事がない。年齢的に、出てくるまで時間がかかることを見越して待っていると、案の定、ほどなくしてドアが細く開いた。
「わたくし、こういう者です」
 チェーンの隙間から名刺を差し出した。今日もきみは週刊誌のライターだ。
 ヴァンドスレール氏は、筋張って痩せてはいたものの、かくしゃくとした印象の老人だった。グレーのシャツにウールのベスト、下はグレーのスラックス姿。血色もよく、記憶力の方も期待できそうだった。しかし名刺を見るなり老人は、露骨に顔をしかめた。
「あんたら、いい加減にしてくれませんか。あのときのことは思い出したくもないって、何べんも申し上げたでしょ!」
 そのまま、ドアを閉めようとするので、慌てて押し止めた。
「すみません。お腹立ちなのは分かりますが確認して戴きたいことがあるんですーー」
 きみは用意してきた作り話を述べる。
 わが社の独自の調査で、犯行にさるギャング団アイヤールの一味が関与しているとの疑いが浮上してきた。彼らは大変危険な連中で、司祭の殺害のみならず、他の事件への関与も疑われている。この先も、残虐な犯行が続くやもしれず、自分はそれを何としても止めたいのだーー。
「だったら警察に行きなさいよ!」
 もっともな意見だがきみは怯まず、まだ根拠が薄弱なんです、と言いつのる。もっと決定的な証拠がなければ警察官は動かない、と。
「ムシュの証言が犯人逮捕に繋がるかもしれないんです。ご協力いたただけませんか?」
 粘り勝ちだった。老人がしぶしぶと頷いた。
「教会に出入りしていた方々の中に、若者はいたでしょうか? あるいは周辺で若者を見かけたことは?」
若僧モルピオンなぞ、ここらにはおらんよ」
 老人が苦々しげに言い捨てる。確かに一帯は普通のーーむしろどちらかと言うと寂れたーー住宅街であり、ギャングの溜まり場とて無さそうである。
「では事件の日の前後ですけど、ここら辺りで自動車を見かけませんでしたか? 黒いヴァンなのですが」
 きみは、〈ビヤーキー〉のヴァンの特徴を挙げる。だが老人は首を振った。街の住民は高齢化しており夜は皆早く仕舞う。ニエマンス司祭の殺害時刻に目撃情報が皆無なのは、そのためらしい。考えてみれば、不審な車があったならとっくに警察が調べているはずである。
 手がかりなしかーーとひとりごちつつきみは、いよいよ老人の夜を苦しめている殺人現場の様子に踏み込んでいく。
 そもそも〈ビヤーキー〉は何故、ニエマンス司祭を殺したのか? 
 出発点としてきみは、ごく単純に「ニエマンス司祭はシスター・ソニエールの〈前任者〉であったろう」という推測を立てた。つまり司祭もまた〈闘争リュット〉の担い手だったということだ。そして彼が殺されたためにシスターが、後任としてアントワーヌ市にやって来た。
 きみの推測ーーあるいは妄想ーーはこうだ。三脚巴紋トリスケリオンは、〈ビヤーキー〉の謂わば署名シニャテュールだ。彼奴きゃつらにとってそれは、単なるギャングの落書タギングに収まらない重要な意味を持つ印であり、自己を顕示するためのシンボルなのだろう。わざわざ危険を犯して殺人現場に残すくらいなのだから。
 さらに進めるならば、殺害現場に施された装飾も、単なる虚仮威しだけでないメッセージを含む可能性がある。今のところ彼奴きゃつらは、無軌道に思えて存外、合理的に行動しているように思える。合目的的とでも言おうか。ゆえに、現場装飾を読み取ることで、〈ビヤーキー〉の企図に迫れるのではないか。
 無論きみは、ハリウッド映画の犯罪心理分析官プロファイラーではない。専門知識も技術もない。だがどうせ駄目元ゴー・フォー・ブロウクである。
「他社さんの記事で読んだんですがね、ムシュ・ヴァンドスレール。あの日サン・ジャン教会の床に、奇っ怪な道具があったとおっしゃっていらっしゃいましたようですがーー」
 きみの質問への答えは、意外なものだった。
 まずもって、マスコミの書いた〈黒魔術の儀式めいた装飾〉というのは、かなり大げさな表現だったようだ。実際にヴァンドスレール氏が目にしたのは、バラバラにされた死体と床に書かれた文字のような記号、それに動物の体の一部のような奇妙な道具だけだったようだ。
 文字についてはまったく見当もつかないということできみは、携帯電話を取り出した。操作してから画面を、ヴァンドスレール氏にかざす。そこには、ネットで拾い集めた魔術道具の画像が映し出されている。殺害現場が儀式めいた装飾をされていた、という記事を読んできみが調べたのだ。
「その現場にあった道具はこの中にありますか?」
 きみは携帯電話をスワイプして画像を次々と見せていく。
 ロープで形づくられた魔法円、ベルベットの敷物アルタークロス、香炉、燭台、王冠、短剣……といった魔術の儀式に使う様々な道具がそこにあった。あるいは貴石の振子ペンデュラムだの、金属製の護符タリズマンなどの道具類が。
 ある画像に、老人の目が吸い寄せられる。目が見開かれ、唇が震える。みるみる顔色がんしょくがなくなる。手が伸びて携帯電話をむしり取った。きみは自己満足のために、静かに暮らしていた老人の忌まわしい記憶を呼び覚ましたことを僅かに後悔した。
 ヴァンドスレール氏が亡霊でも出会ったかのように見ていた道具は、〈栄光の手ハンズ・オブ・グローリー〉というアイテムだ。絞首台で死んだ罪人の腕を切断し死蝋化させたもので、儀式においては蝋燭代わりに使用したという。様々な魔力があり、使用者に魔術的な加護をもたらしたり、人間を麻痺させたりできると信じられていた……とネットの解説にある。
「これが教会にあったのですか?」
「似ているがーー」
 老人は、画像を気味悪そうに眺めて首をひねる。それは現存する唯一の本物と言われる、英国ノース・ヨークシャー州のウィットビー博物館にある〈栄光の手ハンズ・オブ・グローリー〉である。
「見た感じは近いが形はもっとこう、人間の手じゃなくて……たとえば山羊の後ろ足みたいな……」
 その言葉にきみは、ギョッとする。
 人間以外の生き物で作られた〈栄光の手ハンズ・オブ・グローリー〉。それはーー。
 それはあの、〈スファンクス〉の肢《あし》でできたモノなのではないか。 
 きみは己の想像が指す忌まわしい方向に身震いした。
 

 きみを見るなり〈小さな王子ル・プティ・プランス〉は、細い眉を片方だけ器用に持ち上げてみせた。
「特別サービスは終了したはずだが?」
 例の第四区〈オーゼイユ街〉のバーだった。〈情報屋〉は、相変わらず古代ローマ時代のガンジーみたいな風貌である。
「今回は、正規料金を払うよーー」
 疑わしそうに〈小さな王子ル・プティ・プランス〉が、きみをめつける。
 きみは腹を括って、カネを出すつもりだった。ここで引いてダヴィド事件を投げ出したら、この先起こる事どもすべてを投げ出してしまいそうな気がしていた。
「ふん。……で、何を知りたい?」
「あんた確かーー周旋屋プラッシャアもやってるんだろ」
 〈小さな王子ル・プティ・プランス〉は無表情にきみの言葉を待つ。以前、マザラン支局長に聞いたところでは、彼はその情報網を活かして、人材派遣ーーと言えば聞こえがいいが、かつての手配師のような仕事ーーをしているらしい。100%アナログのマッチングアプリというわけだ。
「探偵会社でも紹介して欲しいのか?」
 きみはゾクッと背筋が冷たくなった。どうしてだかこの男は、きみの事情がお見通しのようだった。
「いやーー」
 気を取り直して話を進める。
「こっちに、ある〈人材〉を紹介して欲しい」
「何をさせたいんだ?」
 きみが概要を説明すると〈小さな王子ル・プティ・プランス〉は、呆れ顔になった。
「その程度のこと、いちいち斡旋するまでもない。俺がやってやる。もちろん料金はもらうが」
 きみは目を丸くするが結局承諾する。代金を支払い、幾つか細部を確認して、きみは立ち去ろうとする。
 幕扉から出ようとしたとき、きみは思わず振り返って彼に問うた。
「あんた何者なんだ? ひょっとしてマザラン支局長と関係があるのか?」
 〈小さな王子ル・プティ・プランス〉は薄く笑い、きみに試すように言う。
「質問が間違っている。俺が何者か、じゃない。そっちの上司パトロンが何者かを問うべきだろう」
 その謎めいた科白の意味をきみが知るのは、もう少しあとになる。

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