私が心の豊かさをテーマに人生を歩き始めるまで②

さて、私はnoteをその日のその熱量で書ききりたいので
2記事も真ん中に入れ込んでしまったが
①に引き続き、前職からの経験を経て
今やっていること、考えていることを書こうと思う。

今私はデザインコンサル会社の
プランナー/デザイナーとして働いている。

社長が大手コンサル出身の
ベンチャー企業だ。

その会社はデザイン会社と謳っているが、デザイン/コンサルワークをやりながら自社施設を3つもち、一つはキャンプ場、一つはアーティストインレジデンス、もう一つは食品工場という非常に多種多様なことをやっている会社だ。

私はそこで自社施設のデザインや企画をやりながら、一部クライアントワークのデザイン、そして自社工場を利用しての商品開発もやっている。

で、前回記述した通り、今まで飲食のある環境の中でホールスタッフとして働きつつ企画デザインをおこなってきたわけだが、この会社に入って一気に間口が広がった。

前職の転職理由として
①コミュニティに求めていた居心地のよさが前職のカフェでは達成できなかったこと
②飲食業の範囲内でできることしかやらないことでアウトプットの可能性を狭めていたこと
の2点がある中で、今の会社においては比較的なんでも挑戦できる環境が整っている。

上記のことが今の会社に入ってどう変わったかというと、
①に関しては求めていた「居心地のよさ」を「場作り」に限定せずによくなったので、商品開発など「商品から生まれる先の時間づくり」に目線を向けられるようになったということ。
②に関しては、飲食という枠組みを超えたことでいろいろな得意をもつ人たちと一緒に働けていて、飲食できる場をベースとせずになにか別のものに「食の価値」を付加する選択肢をもてるようになったということ。
があげられる。

そしてものづくりをするうえでいちばん大事な部分、今の会社が千葉で運営している自社施設で掲げているキーワード「自律性」「優しさ」「現実的」という部分にとても共感していて。私自身それほど自信満々で行動力のあるタイプではないので、上記のキーワードがすごく染みたのだ。詳しいことはHPに乗っているのだが、私なりの解釈としては、下記である。

「自律性」・・・これは行動力大事!あまえんな熱を持て!みたいなことではなく。行きたかったお店に一人でいってみるとか、ちょっと頑張ってご飯をつくる、とか自分のために手間を掛けることを大事にすることだと思っている。一つ一つが小さくても、その体験はきっと明日の糧になる、自信になる。
「優しさ」・・・いろんなところに視野を広げて「優しく」あるということ。「優しさ」って本来難しい。人によって何が優しいかということが正解は一つではないから。でも、そういう「共感する姿勢を持つ」「人の気持に立つ視点を持つ」みたいなことって、きっと正解じゃなくても伝わるんだ。そしてそれは、きっと伝えた誰かにも伝わっていく。
「現実的」・・・非現実も魅力的だが、誰も救ってくれない。「現実的」ななかでうまれる心の豊かさこそが日常の温かい / 愛しい部分を見つけ、自分に活力を与える事ができると思っている。

さて、自分の話に戻る。今の会社に入った当初はまだまだ未熟で自分がなぜ「居心地の良さ」をもとめているのか考えられていなかったが、最近になって自分が「嗜好的な食」が生み出す「心の豊かさ」みたいな部分に興味を持っているんだと実感した。上のキーワードでいうと、日常の中に自分に手間を掛ける時間をもつことで、次の日の自分の活力や人へ優しくする余裕が芽生えると思っている。

もともと飲食で働いていたので「飲食」のイベントにはよく足を運んでいたが、思い返せば私自身それほど「食べる」という行為自体には興味がなかった気がする。それこそ、「食べる」から自然に生まれるコミュニケーションだったり、空間やスタッフさんによる落ち着く空間に身を置くことだったり、お酒を飲むによってすこし心が軽くなる、自分らしくいれて、自分にちょっと自信が持てる、みたいな付加価値の部分で魅力を感じていた。

また次回経緯を記載しようと思うが、自分の特性的に一人でいるときに充電をしているのもあって、一人でいるときの心の豊かさをすごく考えるようになった。(人と会うことももちろん好きなのだが疲れてしまう、、、)

「生きる」ために必ず必要とされているものでないからこそ生まれる余白に自分が生きる意味を見出すこと、「仕事」でうまく立ち回れなかったり自分に対する劣等感があるからこそ気付ける感情の機微を大事にする時間を「食の嗜好性」を通じて生み出すことができたら。

場としても、商品としても、デザインとしても色々なアプローチでそれができればいい。


昔、現代文の先生が卒業アルバムに書いてくれた
「人間回復の空間づくりのために、美の世界を極めてください」という文。
当時はよくわからなかったが、今になってようやく分かった。

私が「心の豊かさ」をテーマに人生を歩き始める、第一章。
「ウェルビーイング」という言葉じゃなく、新たな言葉で本当の「心の豊かさ」を示せるようになれたら。


p.s.
ふと学生の時に書いたメモをみていると、拙い日本語でこう書かれてあった。あ、根底の部分は何も変わっていないんだな、となんだかほっとした。

元の何かがあって、
それをもっとよくする何かとか
みんながちょっと幸せになるものをプラスしたい
感情が動く付加価値をつくりたい


私は別に世の中が一気にガラッと変わるような革新的なデザインがしたいわけではなくて、

例えばいつもの作業がちょっと楽しくなったり、

疲れた時に明日からまた頑張ろうって思えたり、

クスって笑えて元気がでるような、

そんなデザインがしたい。
からあんまり周りに惑わされず自分らしく頑張る

なくてもいいけど、
あったらちょっと幸せになれるもの

1日がちょっと贅沢になるもの
ちょっと嬉しくなるもの楽しくなるもの



広告も、いいけど、少なからずそこには物を売ってる人の売れてほしい気持ちとかが入ってくる。

主役は物だったりする。

わたしは、純粋に人が幸せだとおもえる瞬間を作りたい。それを動機に作りたい。

売りあげとか、革新とか、便利さとか、合理的なものをきっかけにするのではなく、
人の感性で動いて、感性をきっかけにしたい。
人の感情を大事にしたい。

あ、なんか幸せだな。を大切に

なくてもいい、でもあったらいつもよりちょっと幸せになれる。そんなデザイン。




例えば、カフェ
雨の日、全身びちょびちょでお気に入りの服も汚れてテンションがだだ下がりの時

雨宿りのために入ったカフェが、気分を変えてくれた。
折り畳み傘を袋に入れやすいように店員さんが長傘用の袋を開けて待っててくれた。
美味しいご飯に、心地いい空間
冷えて寒くなったからだにかわいいアートがかかれたラテが身にしみた。
それだけで雨の日の憂鬱がなくなった
そんな小さな幸せでいいと思う

1人でも、誰かと一緒でも、
小さな幸せを共有する空間があるのは素敵なことだし、それはライフスタイルのデザインにもなる

大きな便利さとか革新なものよりも、そうゆう小さな幸せとか楽しみのほうが、人生を濃くすると思う


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