「今この瞬間」に目を向ける余白の時間こそが豊かさを生む


テーマ
飲食がもたらす心の豊かさはどこから生まれているのか?

今、蔵前にある『蕪木』というコーヒーとチョコレートのお店に一人できている。
心地よく、一人でも行きやすいお店だ。

ふと、なぜこの空間が居心地がいいと感じるのか、気になったのでメモ程度に残しておこうと思う。

このお店は席の間隔が広いのと、一人のお客さんが多い。以前友人と二人で来てなんとなく内側の空間も把握していたので、不安障害の気のある私でも視線が気にならず過ごせるお店だ。

一人でほんのりとあたたかいアイリッシュコーヒーを飲みながら、薄暗い店内でぼーっとした時間を過ごす。

アイリッシュコーヒーを一口飲むと
口当たりの良い生クリームが唇にあたり、
ほんのりとした甘さが口の中を包んだ後
ウイスキーの香りがブワッと口の中に広がる。
そしてその後コーヒーのほどよい苦味がスッときては舌に溶け込んでいく。

しばらくその余韻を感じ、
ピアノの旋律がメインの、
心地よくゆったりと流れる音楽に
耳を傾け目を瞑る。

なんて豊かな時間だと、
シンプルに、そう感じた。

前職の時はコミュニケーションを積極的に取ることが飲食店の良さだと思っていた部分が、
今ではそうではないと強く感じる。

もちろん、会話も大事。だが、いわゆる"コミュニケーション"は、「豊かさ」という面では大して重要ではないのだ。それよりも、気を回してもらえている、ということが豊かさを生み出すコミュニケーションな気がする。
常にお客さんの行動の機微を捉え、言わんとしていることを先回りする。そういうお店が、良いお店なのではないかと。

例えば、注文を頼みたいと思った時に目が合う、など。別に提供が遅かろうがそんなことは関係ないのだ。気にしていてもらえているか。たかがそれだけ、されど、それなのだ。気にしてもらえている、という感情が、お客さんの心を温かくする。

そして、必要最低限のやり取りで、自分と向き合う余白を与えるのだ。スタッフと話している間はどうしても意識は外に向けられる。

会話自体は少なくとも器や空間、コミュニケーションまで細やかな配慮があるお店は、提供されたものの香りや味わいはもちろん、食器の肌触り、空間に浸る時間、自分と向き合う時間をくれる。会話はないけれども、そこに愛はあって、決して冷たいわけではない。

きている人たちも、一人で来ている人が多いからか本を読んでいたり、ぼーっとコーヒーカップを眺めていたり、、
大きな声でガヤガヤすることもなく、この落ち着いた暖かな時間を全身で感じ、お客さん自身が自律的にこの落ち着いた空間を構成している。

働いている彼らも、きっとこのコーヒーと空間と時間が好きなのだろう。

そういうナチュラルな配慮が、居心地の良さを作っているのだと、そう感じた。

イベントなどの空間づくりや企画において、どうしても内容やコミュニケーションツールみたいなコンテンツを詰め込むことをしてしまいがちだが、〈豊かさ〉をうむ目的で何かアウトプットを行う場合は、コミュニケーションやコンテンツを詰め込むのではなく、体験者が五感で感じる余白〈アクションをしない時間〉を意識して構成していきたい。

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