母の愛を思い出したくて
母が亡くなって11ヶ月。
一周忌が近くなってきた。
今、どうやって生きているかというと
仕事をしている。出来ないことにもがき苦しみながら、ときに成長を楽しみながら。
彼氏と幸せに過ごすための方法を考えている。母がいなくなって枯渇した愛情を注ぐ場所と、受け取っていた愛情がなくなって、踠いていた私は、救われようとしていないつもりで救われていた。
父が今後も元気に楽しい人生を送るには、何ができるかを考えている。母と2人で過ごすことを描いた老後の人生を、違う何かで幸せを齎すことはできるのだろうか。
たった11ヶ月で、こんな風に生きていられると思わなかった。
母を亡くしてから少なくとも7ヶ月は、いつ死んでもよかった。
母の死をもって、私は、母を愛しているという実感を、確信を、人生の中で最も強く自覚することになった。
私にとって、人生で最も生きていてほしい存在で、最も愛おしくて。
おこがましくも幸せにしてあげたいと思って、側で生きてきた。
そんな母は、病気で亡くなった。
最後まで生きることを諦めなかった母は、最期の言葉も残さなかった。
きっと何度も、死を予感して怖かっただろう。
愛おしい3人の子供に、この世を去るなら掛けたかった言葉があったのではないかと、母の性格を思い出しながら想像する。
それでも、「しんどいなあ」この一言以外弱音も吐かず、徐々に体力を無くしていきながらも生を諦めた言葉は、一切口にしなかった。
誇りに思う。でも少し寂しさに似た感情も同時に覚えた。
最期に掛けたかった言葉は、あったのだろうか。
意識が朦朧としながら、最後に確かに発した言葉は、私の名前だった。
「あやちゃん」
時間がないこと、話せなくなることを察してか、恐怖や悲しみも混じった声で、最後に私の名を呼んだその声は、今も頭から離れない。
思い出すたびに、反射的に涙がでる。
救ってあげたかった。代わってあげたかった。
愛する人が目の前で苦しむ姿は、この上なく苦しかった。
聞いたことある気持ちだと思った。
でも想像していたよりも壮絶で、
自分の命を差し出してでも、生きてて欲しい
愛する人を亡くすことは、自分が死ぬことより怖いと思った。
1ヶ月と10日の看病生活は、今思い出しても情緒が不安定になるようなシーンばかりで、書いている今も、具体的なシーンを思い出すことを拒む。
絶望するたびに、奇跡を期待して、なんとか精神を繋いでいた。
そんな状態から、母を亡くして、絶望して、精神が不安定になって、社会人としても生きていく気力もないように思えて、母を喜ばすことができない人生は、何の魅力も感じられなくて、人生を終えたいと何度も考えた。
それでもたくさんの人の暖かさに救われて、今、ちゃんと笑っている自分がいる。
こうやって言葉にすることで、悲しみに蓋をするのが上手になっていただけだったことにも気付く。しばらくの間、これらの感情と向き合うのを避けているのはわかっていた。
それが、自分を安定させる方法だった。
ただ、こうして向き合う機会を作らないと前に進めないこともわかっている。
少しずつ、自分の気持ちを整理できるよう、言葉にしたい。
それが書いている理由。
そして、母の愛情を思い出したくなった今日が、はじめるきっかけになった。
母が私を愛してくれていたことを、たくさん思い出したい。
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