カープダイアリー第8501話「日本野球150年、福山には国内で3カ所しかなかった企業敷地内球場、馬洗川河川敷には唯一の公式戦開催球場、三次プロ野球伝続編Ⅵ」(2024年1月22日)

<日本野球150年の歴史の中で、全国各地で日本の野球を支えてきた場所がある。>

<かつて大声援がこだました球場。日本野球の歴史の中で、物事が動いた欠かせない重要な役割を果たした場所・跡地…。
今の日本球界の繁栄の理由は全国各地の様々なところでの出来事から生まれ、育まれました。>
 
<今回、一般の方からの公募や日本の各野球関係団体などから寄せられた多数の候補地の中から、公益財団法人野球殿堂博物館と主催者の一般社団法人日本野球機構、一般財団法人全日本野球協会で協議の上、日本全国の野球にまつわる聖地、名所を150カ所認定いたしました。各認定地の詳細は個別ページでご覧いただけます。>
 
NPBのHPにはそんな文言が記してある。
 
「日本野球150年の歴史の中で、全国各地で日本の野球を支えてきた場所」をNPBが2022年7月に発表した。日本への野球伝来150年を記念した事業だった。
 
広島からは6球場が選出された。
 
マツダスタジアム、旧広島市民球場跡、福山三菱電機球場跡、Balcom BMW 広島総合グラウンド、そして三次市営球場跡、だ。
 
阪神甲子園球場を有する兵庫県でも選出された球場は8。ゆえに6はかなり多い。
 
福山三菱電機球場は1943年に創業した三菱電機福山製作所の敷地内にあった。企業敷地内にあった球場でプロ野球が開催されたケースは国内で3カ所しかない。
 
1リーグ時代の1948年、広島県内初のプロ野球公式戦、南海−急映(急映フライヤーズ、東急と大映経営によるチーム名で1948年のみの球団名、現日本ハム)が行われた。
 
迎えた1950年3月16日は新球団カープが公式戦5試合目の中日戦をこの地で開催した。試合は2対5で敗れたが、四回、広陵出身の白石勝巳が杉下茂からレフトスタンドに球団1号ホームラン。のちに小さな巨人と呼ばれる19歳ルーキーの長谷川良平のデビュー戦でもあった。
 
2023年に創立80周年を迎えた福山製作所はJR福山駅から車で10数分の、佐川運輸ローズアリーナやばら公園からもそう遠くない街中にあり「ファクトリーオートメーション機器」を多数、製作している。中でもブレーカーは長年、国内トップシャアとなっている。
 
福山三菱電機球場が国内で3カ所しかないレアな場所だった一方で三次市営野球場は唯一、河川敷でプロ野球の一軍公式戦が行われた貴重な歴史空間だった。
 
馬洗川、西城川、江の川の3つの河川が合流する三次市内では河川敷が貴重な市民の憩いの場にもなっている。その中で、巨人・二岡智宏ヘッド兼打撃チーフコーチや福原忍ファーム投手コーチが生まれ育った十日市町の北側、馬洗川の河川敷に広がる現在の十日市親水公園には1979年まで市営の野球場があった。
 
川土手を三塁側、左翼側スタンドに活用するという画期的アイディアで設置された野球場で、春には桜並木の下で野球観戦できるという漫画のような世界?だった。桜堤をそのまま活用したコンクリートスタンドは現存する。
 
当時、この土手スタンドから巨人戦を観戦したファンのひとりは「今でもよく覚えています。大変な賑わいで子どもたちにとってはかけがえのない経験でした」と振り返る。新球団カープを応援する声はもちろん大きかったが、川上哲治や青田昇の絶頂期!子どもたちにとっての巨人はやはり特別な存在で、その雄姿を川土手から応援することができたのである。

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