カープダイアリー第8435話「赤い龍馬伝の終わりに…」(2023年11月14日)

「お願いしまーす…」

龍馬の第一声はけっこう明るかった。

FA宣言を受けての会見は午前10時からマツダスタジアム第3会議室で、囲み取材形式で始まった。ENGカメラ―クルーはなし。放送局はデジカメ対応になった。

2018年11月の終わり。リーグ3連覇に貢献して2年連続MVPに輝いた丸佳浩がFA宣言したあと巨人移籍を明らかにした際には会見室は用意されなかった。

なぜ、そうかのか?それは松田元オーナーのみが知っている。

幹事局が代表で質問した。龍馬は戸惑うこともなく、いつもとあまり変わらない調子で受け答えした。

-どのような決断を?
先ほど申請書を球団の方へ提出しました。自分の挑戦したいという…そのことを正直に常務(鈴木清明球団本部長)と監督の方に伝えて…はい。本格的に(FA宣言の是非を)考えたのは、まあCS…の、CSぐらいですかね。
 
-相談は?
 
いえ、もう基本的に選手はなし、にして。(やや苦笑いで)選手に相談したら、やっぱりいろいろ揺れるものがあるので、そこはなしにして、監督と常務と面と向かってそこは話をして、はい。そのほかは家族ぐらいです。
 
-交渉で球団からどのような言葉を。
 
もちろん、最後まで一緒にやりたいっていうのはずっと言ってもらっていましたし、そのほか嬉しい言葉もいろいろ言っていただきました。それを言ってもらった中で、僕の思っていることも隠さず全部言った結果、こういう形になったので、今はちょっとすっきりしています。
 
-監督にはどんな形で伝えたのか。
 
えー、監督にはちょっと黙って(スタッフの)高橋さんに連絡して、直接会って話がしたいですと言って、日南まで行って監督の部屋で話をしました。
 
監督からは、もちろん一緒にこの先もやりたいと言われましたけど、そこは僕の気持ちをしっかり伝えて、お互い納得した形で話は終わりました。
 
-来季プレーする球団の決め手、ポイントは?
 
セ・リーグに行くことはないので、それも(監督や常務には)言いましたし、セ・リーグなら正直行く意味がないと思っているので、行くならパ・リーグでやってみたいです、と言って…。やっぱりセとパで野球が違うので、少なからずパの野球に興味があったので、そっちの方でもね、野球人生短いのでそっちの方でもプレーしてみたいと思いました。
 
30(歳)手前ですし、ここから良くなるのか、悪くなるのか自分しだいでもあるので、そこで環境を変えて、また新たな自分探しができたらなと思っています。
 
-カープでの思い出。
 
8年でしたけど、すごくポジティブな…意外と合っていたというか8年間で…、宣言するって言ったものの、さっき常務とも話したのですがやっぱり寂しいなっていう思いが一番ですかね。3連覇した時にその場にいられたのが僕の野球人生ではいい経験になっていると思います。
 
-ファンに向けて。
  
8年間ね、超満員で、いつも大きい声援をね、いただいていたので、すごく力になりましたし、ほんとに感謝していますし、はい。来年はね、まだどこでやるか分からないですけど、変わらずカープの応援をしていただいて、僕も陰ながらチェックしていますし、応援もしています。その中で僕も負けないように頑張りたいなと思います。
 
……

一通り話終わってデジカメが回っていないところでは「意外と寂しいものなんよ」とも言った。仲間や後輩たちとは、もう一緒にプレーしない。

龍馬はけっきょく「環境変えて、また新たな自分探しをできたらなと思います」という道を選んだ。それも1年遅れで、だ。

1年前。

10月2日、佐々岡前監督がマツダスタジアムで自らの辞任をファンに告げた。

10月7日午前5時、スポニチが「新井新監督」第一報をネットにアップした。就任会見は12日。カープナインは一様にこのニュースを歓迎したが、龍馬は「驚いた」とだけコメントした。

それから10日後の22日、龍馬は「決め手は、新井さんです」の名セリフを残し12月8日、4400万円増の1億2000万円で単年契約した。
 
その瞬間から現役時代にビールかけし合った新井監督との間には絆が生まれた。だから開幕から五番と四番で存分に暴れた。ただ、張り切り過ぎたのか7月になって右脇腹に違和感が生じて離脱した。新井監督に「出ます」と伝えてもダメ出しされた。
 
優勝は逃したが、下剋上からの日本一のチャンスは残った。カープファンが沸き立つ中、見事な一発を放ったのは10月15日、クライマックス・シリーズ、ファーストステージ第2戦だった。

初回の第1打席で広島の強い陽射しを浴びながら、青空に舞い上がった白球はライトスタンドに飛び込んだ。結果的にはそれがカープファンと新井監督への惜別弾になった。ベストは尽くした。
 
新井監督は優しくて厳しい。龍馬が会見で「パ・リーグ」希望を強調したのは素直な思いであると同時にカープファンへの配慮だろう。広島を出た7年間で“地獄”を味わった新井監督の助言もあったのではないか…
 
数日前、わざわざ日南まで新井監督に会いに行った龍馬の思い、その意思を尊重して新井監督もまた快く送り出す決断をした。
 
「新たな自分探し」の未来は誰にも分からない。ただ、内野から外野へのコンバートによって各段に打力が向上したように、パ・リーグの野球でまた大きな化学変化が起こり可能性は大だろう。

2015年12月、クリスマスのイルミネーションに包まれた広島の街の真ん中であった新入団会見で、龍馬ははっきりこう言った。

「自分は大谷や藤浪と同い年ですが、(僕が)一番凄い選手だと思っています」

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