カープダイアリー第8257話「長良川の流れととに育っていくコイの物語」(2023年5月9日)

長良川の流れを眺めるのは新井監督も久しぶりだっただろう。1991年に完成した長良川球場。2004年6月には山本第2次政権のクリーンアップとしてそのグラウンドに立った。2017年7月には、再び赤ヘルの一員となりリーグ連覇を目指すチームのまとめ役になっていた。

1980年代に入り旧広島市民球場の入場者数が頭打ちとなる中で球団は県外エリアでの新たなファン獲得を目指さそうと東北、北陸などに主催ゲームを持ち出すようになった。放送局の協力も得て1991年から97年まで中日相手に長良川でも主催ゲームを開催した。

加えてこの日のスタメンには岐阜に縁のある選手が3人。

セカンド菊池
レフト龍馬
センター秋山
ファーストライアン
キャッチャー坂倉
ライト野間
サードマット
ショート矢野
ピッチャー床田

床田は開幕から5試合に投げて2勝負けなし、防御率1・67はリーグ3位。クオリティスタート成功4度の左腕は初回の一死一、三塁と二回の無死二塁を乗り切ると、投球テンポを上げて三回から五回までを9人で片付け、六、七回のピンチもしのいでスコアボードにゼロ7つを並べた。

「立ち上がりちょっとバタバタしてしまいましたけど、うまくマウンドでアジャストできたと思います」

中部学院大学時代と変わらないマウンドからのその風景。相手がプロに変わっても、自分のピッチングを信じて投げるその思いは変わらなかった。変わったのはスタンド風景。知人や友人がスタンドから大勢、応援してくれた。

言葉にはしなかったが前回、2017年の長良川には縁がなかった。開幕ローテ入りを果たしたルーキーイヤー。4月に左肘に違和感を覚え7月には肘の側副靱帯再建手術などを受けた。

6年遅れで巡ってきたチャンスだから最初はちょっと慎重になり過ぎたのか。地方球場だからマウンドの傾斜に合わせるのにも時間を要した。

「野間さんならやってくれると思っていたので良かったです!」

7回を投げ終え、ベンチで応援していたら、この日唯一の得点が入った。

マウンドには中日4人目の祖父江。先頭の秋山が左越え二塁打で出て一死から坂倉四球で一、二塁となり六番野間が中前に決勝打…

野間もまた、床田の2学年先輩としてこのグラウンドを駆け回ってきた。

首脳陣は「二番野間」と「二番龍馬」を状況に応じて使い分けるようになりつつある。

「攻撃的な二番なら龍馬、球数を相手に投げさせたりエンドランなら野間」との声も聞こえてくる。

この日の龍馬は、ブンブン振り回して5タコ3三振だった。

野間も3の0で最後の見せ場となるかもしれない八回の第4打席へ。ここでストライクとファウルで簡単に追い込まれながらも8球目を教科書通りショート頭上へ打ち返した。

中京学院大学OBの菊池も猛打賞の活躍でスタンドを沸かせ、地方球場ならではのエピソードがたくさん詰まった夜になった。

そんな中、試合後しきりに反省を口にしたのが新井監督だった。相手の7安打の倍近い13安打で1点止まり。初回の一死一、三塁、二回の二死一、三塁を逃してベンチワークに焦りが出た?四回の矢野と七回の龍馬の打席は、いずれも三振ゲッツーという落ちになった。

栗林不在の中、最少得点でも勝ち切れたのは八回の島内と九回の矢崎が、空振り三振、遊ゴロ、遊ゴロ、そして遊ゴロ、空振り三振、空振り三振とその役目をきっちり果たしてくれたから。

長良川での経験をプラスに変え、あすからバンテリンドームナゴヤと東京ドームで組まれえている雨天中止なし5連戦へ、勝率5割復帰まであと1勝…

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