ようやく鑑賞した「足ながおじさん」が愛すべき作品だったこと
学生時代は正に映画に溺れるような生活を送っていたが、特にMGMミュージカルには魅了されていた。次から次へと貪るように観た。特にジーン・ケリーとフレッド・アステアの映画は欠かさず観るようにしていた。
ただ、アステア主演の「足ながおじさん」だけは観る気になれなかった。
主な理由はアステアの伝記「アステア―ザ・ダンサー」を読んだせいだ。
アステアの私生活は質素なもので、撮影以外の日は妻のフィリスと慎ましい日常を送っていたが、やがて彼女は脳腫瘍に蝕まれる。そして闘病の末、46歳という若さでこの世を去った。愛妻家のアステアの憔悴は尋常ならざるもので、その経緯を読むだけで気の毒で胸が締め付けられるほどだった。
そしてアステアがそんな状態だった時に正に撮影中だったのがこの「足ながおじさん」だった。
陽気で楽しいことが信条とも言える当時のミュージカル映画の背景に、こうした悲しい物語があり、その悲しみを押し殺して恋の物語を演じるアステアの姿を見るに忍びなかった、というのが本作を敬遠していた理由だった。
それからもう30年以上の月日が流れた。
そういえばいまだに観ていなかったな…という単純な気づきが鑑賞に至った理由だ。
ところでこの映画は、黒澤明監督が選んだ「好きな映画100本」の中に入っている。その中で唯一のミュージカル作品だった。「雨に唄えば」でも「トップハット」でもなく。「ウエストサイド物語」や「サウンド・オブ・ミュージック」でもなく、だ。
実際、こうして挙げた作品に比べて「足ながおじさん」はミュージカル映画としては劣ると思う。しかし一方で一本の映画としては非常に優れたドラマであるし、愛すべき作品だった。
基本的にミュージカル映画は「ボーイ・ミーツ・ガール」の典型で男女の恋愛模様が主題となる。「足ながおじさん」も基本的には同じなんだけれど、タイトルからも分かるように「ガール」と出会うのは「ボーイ」ではなく「おじさん」だ。だから描かれる恋愛模様も通常のミュージカルとは異なる。そしてこの映画はどちらかというと「善意というもの」を描いた作品だった。厳密に言うなら「善意と愛情の境界線」についての物語だ。
人が人を愛する場合、そこには常に愛情は存在するものだし、その相手に対しては「悪意」を抱くことはなく、その振る舞いはすべてが「善意」となる。一方でまず「善意」があり、それがやがて「愛情」へと移り変わっていく場合もある。「足ながおじさん」とは正にそうした物語であり、それはジーン・ウェブスターによる原作もそうだ。
監督のジーン・ネグレスコの演出はテンポも良く、その巧みな職人芸はローレン・バコール主演でマリリン・モンローの人気をさらに飛躍させたコメディ「百万長者と結婚する方法」でも知っていたので安心してみることができた。そしてヒロインのジュリーが足ながおじさんに宛てて書いた手紙を通じて年月や周囲の人々の心境の変化をモンタージュで描く手際の良さには「これぞ映画」という巧さを感じたんだけれど、ここでオープニングのクレジットを見て気になっていたことを思い出した。
本作の脚本クレジットはフィービー・エフロンとヘンリー・エフロンとなっていた。二人とも同じ姓なので夫婦なんだろうなとは思ったけど、気になったのはエフロンという姓で、調べてみたらやっぱりノーラ・エフロンの両親だったのだ。
言わずもがなだがノーラ・エフロンは「恋人たちの予感(脚本)」「めぐり逢えたら(監督・脚本)」「ユー・ガット・メール(監督・脚本)」などで知られるロマンチックコメディの名手。その源流は両親にも辿れるのだと納得したわけだ。
そしてこの映画の場合、傷心のアステアを支えるため、というわけではないはずなのだが、実に多くの才能が結集していた。メインの音楽はアルフレッド・ニューマン。クライマックスのダンスナンバーの音楽はアレックス・ノース。その場面の振付はヒロインを演じたレスリー・キャロンの師、ローラン・プティが担当した。
さらに主題歌とも言える「サムシング・ガッタ・ギブ」を後に「ムーンリバー」や「酒とバラの日々」を手掛けたジョニー・マーサーが作詞作曲している。アカデミー歌曲賞にノミネートされたこの曲は、その後様々な歌手によってカバーされ、現在ではスタンダードナンバーとして知られている。
こうして振り返ってみても本作は佳作と呼べるレベルの作品なんだけれど、不思議と心に染み入る映画でもあった。それはやはり前述したように本作が「人々の善意」を主題にしたものであり、恋愛要素はどちらかというと二の次といった印象だからなのかもしれない。
本作の魅力について黒澤監督は、
「ボクがこれ好きだって言うとヘンに思う人も多いかもしれないけど、なかなかうまく出来ているしさ」
と語っている。元々は松竹少女歌劇団に在籍したこともある夫人が大好きだったそうだが、女優・矢口陽子だった頃に黒澤さんは何通ものラブレターを書いて、共通の知人に託して渡してもらっていたことがある。この時、その知人は黒澤さんの悪口ばかり言って結婚すべきではないと言い続けていたそうだ。陽子さんはどうすればいいのかわからなくなって母親に相談する。すると母親はこう言ったそうだ。
「友達の手紙を預かりながら、その人の悪口ばかり影で言う人と、そんなことも露知らず、友達を信じ続けて手紙を託す人と、どちらが善良かしらね」
こうして彼女は女優業を辞めて黒澤明夫人となった。
気持ちが届くまで手紙を書き続けた、という本作のストーリーにも黒澤さん自身に響くものがあったのではないだろうか。
黒澤さんは常々、「人々はなぜもっとお互いに仲良く暮らすことができなのだろうか」と問いかけ、その理想を作品に投影し続けてきた。そんな黒澤監督だからこそ、この愛らしい「足ながおじさん」を「好きな映画」として選んだことも納得できるのである。