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最後の稽古

先日、落語発表会に向けての最後の稽古があった。

ぼくの稽古は出だしはものすごく良かったようだった。勢いがあった。
文華師匠も楽しそうに観ていた。

ぼくも氣が乗っていた。世界観はあったように思う。

が、後半に入ると、世界観はなし崩しになり、勢いは失速した。

ネタが終わり、

「はい、まぁ、出だしは良かったけど、もうちょっとでんな」と文華師匠はいった。

「今日は、ほめたろと途中までおもてたけども、後半があれじゃ、ほめられんな~」ともいった。

「まぁ、自分でもわかってはるとおもうけど」と続いていった。

稽古後、文華師匠と塾生のみんなとで食事いった。

塾生のひとりがいった。

「一教さんの途中まで、ほんとよかったけど、後半から、あれ?ってなってはったのを見て、自分もこないなってんねやなと思った」と。

その塾生にとっては僕の稽古は自分のことを観ているような稽古だったようだ。

「人の稽古を見るのも稽古です。」と文華師匠は常々言っている。

ぼくは、ある意味いい見本を提供していたようだ。

そんな見本はいらない、とぼくは思った。

しっかり稽古して、本番では、喝采をつくるのだ。とちょっぴり思っている。


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