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生きているのは誰なのか?

生きているのは、勿論生き物であり、生物だが、生物が生きているというのは、観察され、推測されるだけで、本当に生きているとは限らない。普通ロボットやAIを生きているとは、言わない。ではそのロボットやAIに自意識や思考を付与したらどうなるか、これは生きていると言えば言える。つまり、もしも岩石に自意識と思考力があるなら、それは生きていると言える。逆に言うと、自意識と思考力さえ有れば、肉体や身体が無くても、生きているのである。そして、あの世とは、そういう肉体の無い自分と言う自意識なのである。それで、単に意識だと他者に認識され辛いので、一応身体のようなものをアバターとして表示する。だから、結局生きるとは、自分の意識に他ならない。この自分と言う意識が、生きていて、辛いの苦しいの痛いのと苦を訴えたり、嬉しいとか幸せとか言うのである。ゆえに、より良く生きるとは、不快や苦痛を取り除き、快と喜びを増やしましょうと言う事になる。政治や経済は、快の増進で有って欲しいが、現実は苦痛と不快に成りがちで、これは人間人類の今のレベルだからしょうが無い。自分の生きるは、自身の身辺から構築していくしか無く、それが生き様、ライフスタイル、趣味好みの明確化である。「私のこだわり」という奴だ。世界情勢が、私に快をもたらすなんて事はまず無い。


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