ボーカロイドは踏み台か否か

twitterでボカロPがボカロは踏み台と発言したらしくTLが微妙に荒れていた。
正直自分は心底どうでもいいが自分の音楽観について思うところがあったのでこの件について少し述べようかなと思う。

まず第一に、歌声は楽器の一つである

楽曲に対する多くの人の反応を見るに歌は特別なものとして捉えられているように思うが歌というのは文章的な要素を持つ点を除けば他の楽器と同じようにリズムとメロディを表現できる楽器の一つというのが私の認識である。
現にカバーソングというものは世にありふれている。これは言うならばパートの一部をピアノからギターに変更した程度の話である。
歌が特別だというのならカバーソングなんてものは成立しえない。声が似ているならまだしも性別、声質、歌い方等違ってもカバーソングが成立する以上歌声なんてものは変更可能な要素である。
歌詞の内容をもって特別であるとする意見もあるだろうがそれこそ人種も国籍も性別も、肉声か合成音声かどうかすら問わないものだ。
私は極端に言えば情緒的な歌詞もすべてラララで歌うのも音楽的には差は無いと思っている。歌詞は音楽の範囲外の要素だ。
とはいえ言葉も音である以上楽曲に影響を及ぼす。と言っても促音などの音素が関係する程度であり極端に言えば音的に聞こえがいいのならそれは意味のある単語でなくても構わない

第2に、音色による楽曲への影響は大きい

前項と矛盾するように思うかもしれないが実際に音色が変われば印象は変わる。成立はしても印象は別物なのだ。
実際にピアノソロをギターで、オルガンで、ヴァイオリンで、トランペットで演奏してもそれぞれ印象は違うしアンサンブルの中では尚のことだろう。
これは歌声に関しても言えることである。
人が歌うかボーカロイドが歌うかで印象は違うし誰が歌うか、どのボーカロイドを使用するかでもそれぞれ印象は違うものである。
声質、高低によって合う声合わない声はどうしても出てくる。野郎が無理して裏声で歌ったってキモいだけである。

第3に、音の好みは人それぞれ違うものである

これは言うまでも無いことであろう。
ピアノが好きかエレクトーンが好きかシンセ音が好きか人それぞれである。
歌声に関してもそう、バリトンボイスが好きかソプラノが好きか中世的なのが好きかかわいいのが好きか人の数だけ好みがある。そういうものだ
特に歌手のファンにはこの好みの差が激しい人が多いように思う。外見や人物性(キャラクター性)に並んで重要な要素だからだ。

第4に、作曲というものは総合的な観点で行われるものである

音楽というものはリズムだけ、メロディーやコード進行だけ、音色だけ見て成立するものではない。逆に言えばそれぞれを組み合わせて最適なものを見つけるのが作曲ともいえよう。
極論ボーカロイドを使用して作曲すればボーカロイド用の曲が出来上がるし人が歌うことを前提として作曲すれば人用の曲が生まれる。これは作曲者の匙加減次第である。

ここで一度最初の踏み台云々に関する話に戻ろう。

https://twitter.com/yoshihisahirata/status/1097759811762933761
平田の曲はボカロである意味なんかないし、ボカロを踏み台にしていますよ そもそもボーカロイド、そんなに好きじゃないんで

私の考えとしてはボーカロイドは大量にある楽器のうちの一つなので音楽家としてはこういった姿勢は一切問題無いと思うし作成した曲が好みなら聞く、そうでないなら聞かないというだけの話である。
ただ、ボーカロイドはキャラクター性を売りにしてることも多いのでそういった層からの反発は致し方無い面はある。

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