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正直、エモさはお腹いっぱいでござる。

(いつも抽象的なことをつらつら書いているのですが、今日はもっと抽象的な話になっちゃう気がします。ご了承ください。)

ぼくが文章を書いているこのnoteですが、「noteっぽい文章」というものがある気がしていて、そのひとつが「エッセイ」だと思うんですね。エッセイの定義がなにか?は難しいところですが、自分の感情をメインに日々の出来事を書くもの、という感じでしょうか。

で、noteにはたくさんの人が書いたエッセイが日々流れてくるわけですが、ちょっと最近感じていることがありまして。それが、「エモさが渋滞を起こしているなあ…」ということです。


時代の流れも後押ししているのか、「自分の体験をエモく書く」がトレンドになっている気がしています。iPhoneの純正アプリで撮った写真じゃなくて、そこにセピア色のフィルターをかける感じ。そのまま描写しても味気ないから、感傷的な表現を混ぜて文章を書く人が多いなあ…というのが最近の実感です。


ただ、本当に正直な意見を言うと。たいていの場合、そのエモさって「スベってる」ことが大半だと思うんですね。

なんとかエモい文章にしようしよう…と工夫しているのは分かるんだけど、読者をその世界観に浸らせてくれる人ってほとんどいません。ぼくも誰かのnoteを読んでいる途中、どこか白けてしまってタブを閉じてしまうことがしょっちゅうあります。


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なんか上から目線で申し訳ないのですが、ぼく自身も「エモい文章を書けない」ひとりです。これまで自分のnoteでも、エモいエッセイを書きたい!と思ってチャレンジしたことがありますが、ことごとく失敗してきました。それこそ感傷的な表現を混ぜて文章を綴るのですが、どこか白白しくなってしまうんですよね。なんか嘘くさい文章になっちゃう。

で、その原因ってシンプルに「書いているストーリー自体がエモくない」からです。別にどうってことない内容を書いているから、表現や装飾をどれだけ「エモっぽく」しても上手くいかないと。逆に、書いている内容自体がエモくて感傷的なら、文章術に頭を悩まさなくても素敵な記事に仕上がると思います。


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じゃあ、エモく書けない内容には価値がないのか?というと、もちろんそんなことはなくて。日々の出来事や考えたことを淡々と書いている、そういう文章がぼくは大好きだし、すごく素敵だと思います。要は、無理やりエモくしなくていいんだよってこと。

あなたの文章を楽しみにしている誰かも、別にエモさを求めているわけじゃないはずで。それよりも、日々あなたがどんなことを考えているのか? どういう価値観を大切にしているのか?を読みたいんじゃないでしょうか。

だったら、もっとシンプルに飾り気なく、正直に書けばいいと思うんですよね。そうやって淡々と続けていること自体が、読者にとって「エモい体験」になる気がします。


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余談ですが、ぼくは自分の書く文章に「#ミントの随筆」というハッシュタグをつけて投稿しています。それは、自分の文章が「エッセイ」ではなく「随筆」だ、という意識があるから。

ぼくの中でエッセイとは、「感情にフォーカスを当てて表現したもの」という位置づけです。そしてぼくは、自分の感情を文章に乗せて吐露することが極端に苦手なんですよね。

対して随筆は、「目の前の出来事を淡々と書いたもの」という位置づけ。ぼくの書いている文章も、ほぼすべて「随筆」に該当していると思います。心の移り変わりを表現しているのではなく、出来事に対する「考え」を書いている感じ。この違いが伝わるでしょうか。笑


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ぼくもエモい文章を書く人が大好きだし、読んでいて「どうやったらこんな風に書けるんだろう…」と嫉妬することがあります。でも結局は役割の違いかな?と思っていて、ぼくは淡々と書くほうが向いているんだろうなと。

最初に書いた通り、無理やりエモくしても上手くいかないので、これからも自分の考えをシンプルに綴っていきたいですね。

今日はめちゃくちゃ抽象的な話になってしまいました。次回に乞うご期待!


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