東京都某区、1Kの部屋から。
8月の連休を使って大阪の実家に帰省したんだけど、そこで読んだ本に印象的な一節がありました。
誕生日をお祝いする、ということの意味が、ながいことわからなかったが、やっと最近になって理解できるようになった。ずっと、どうして「ただその日に生まれただけ」で、おめでとうを言ったり言われたりしないといけないのか、判然としなかったのだけれども、その日だけは私たちは、何も成し遂げてなくても、祝福されることができる。
『断片的なものの社会学』という本の一節で、上に引用した箇所がメインテーマではないんだけど、ぼくにとってはこれが「幸せの答え」だと思った。
「幸せ」と聞いてイメージするものの中には、一流企業に勤めてバリバリやってるとか、綺麗な奥さんと二人の子どもがいるとか、場所や時間に縛られず自由に過ごせるとか、まあ色んな風景が浮かんでくる。
もちろんそれも幸せのかたちの1つだとは思うんだけど、結局のところ、「自分を無条件に受け入れてくれる人が少なくとも存在する」ことが、ぼくにとっては答えなんだろうなと。そんなことを感じたわけです。
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ぼくは就職を機に上京してもう2年半ぐらいになるんだけど、ずっとずっと「居場所がないなあ」と思っていた。
まあ会社には属しているし、たまに会う友達もいるし、世間的に見れば「普通〜ちょっと恵まれてる」ぐらいの立ち位置だとは思う。
でもなぜか、心の中にはいつも、焦りや孤独みたいな感情があって。一人暮らしをしている部屋は綺麗に整っているけれど、「ここが自分の居場所だ」と胸を張って言うことができない。
その理由を考えてみたら、たぶんだけど、「自分が受け入れられている感覚がない」ことに行き着いた。
ここにいていいよ、どんな仕事をしていても関係ないよ、あなたが存在していること自体が価値なんだよ。そんなふうに肯定される感覚がないことが、東京を自分の居場所だと思えなくさせているのかなって。
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そんなぼくも実家に帰ると、無条件な安心感に包まれている。ぼくの母や祖母は、自分の息子や孫が「〇〇の仕事をしているから」「こういうところが秀でているから」という理由で愛しているわけじゃない、って実感できるから。
たぶん、ぼくがぼくとして目の前にいること自体を幸せに感じてくれているんだと思う。ああこんなこと書いてたら涙が出てくるなあ。
で、そんなことを考えていたら、「無償の愛を感じられるか」「そして自分も無償の愛を注げる人がいるか」が、やっぱり幸せの答えなんだろうと思う。
地位とか名誉とか金とか見た目とか経歴とか、そういう「ガワ」を全部取っぱらっても、なんだか大好きで一緒にいたいと思える人がいるかどうか。そして自分も、誰かにそういう存在として受け入れてもらえること。
よく考えたら奇跡みたいなことなんだけど、だからこそぼくは、それを渇望してしまう。
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そんなこんなで大阪から東京に戻ってきたわけだけど、やっぱり一人暮らしの1Kで寂しさを紛らわせられず、こんな文章を書いてしまっている。
だけど、できることなら、この東京もぼくの居場所になれば嬉しい。
「ガワ」を全部無視しても大切だと思う人に、ちゃんとその気持ちを伝えること。自分も相手にそんな存在だと思ってもらえること。幸せになるのってめちゃくちゃ大変そうだけど、ぼちぼちやっていきたいです。
めちゃ面白いですよ、この本。
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