自己×肯定×否定

 前はあったけれど、今はなくしてしまった。
そう思い込んでいるのか、事実そうなのか。

なりたいと思ったものが自分にもあった。
その挫折は、もう取り戻せない。

何をしていても、自分ではないと心の何処かで感じていて、誰とも通じ合うことがない。

いつしか何処を探しても、自分が見つからなくなった。

この道もその道も、あちらもそちらも、どこを進んでもあの日に途切れた道へは繋がらない。

どうせ才能など無かったのだし、いずれにせよ手放したのだと思わないでもない。

ふと、自分はどうしたいのだろうと考え込むと、それを見つけてしまう。

そうだった、、自分はやらなかったんだ。

そうしてまた、だから自分は何もしたくないのだなと、其処に行かなかったのだから、自分はないのだからと、そうして自分ではないものを通じて、誰かと関わり合うのが煩わしく感じるのかも知れない。

この先、自分を好きになることなどないだろう。

自己否定を積み上げて、散らかして、いつも姿を隠している。

たまに会ってもお互い気まずい。

今更どうしようもないからと言っても、それ以上のものに出会わなかった。

誰かが言っていたが、自己否定の深さと時間の長さが思考の深さらしい。

だが仮にそうだとしても興味のないことには浅いし、知識や回転の速さが悩んで向上するわけでもないだろう。

ただなんというか、ある意味で自分を肯定する為のアプローチがそうであるだけなのではないかとも思えてくる。

つまり、自己否定を通じて自分を肯定するに至る道を探しているのではないかと言うことだ。

そうであったらいいなと思った。

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