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持続可能な精神エネルギーについて(仮)雑記_4

 前回のあらすじから今回のテーマに繋ぐ。
(関連性があるかも)

人生の序盤は驚きと感動に満ち満ちている。
しかし、経験を積んだ中盤以降は既視感を覚え、同じ事を繰り返す毎日となる。

人生はつまらなくなっていくのが道理。

と、仰々しく煽りました。

ここまでが前回の話。

そして、ここから今回のテーマへ導きます。

パレートの法則よろしく、ある程度の成果を出すのに、そこまで労力は必要なかった。

自分を好きになるのは最初は簡単だった。

ようこそ。
今回のテーマは自己肯定感の必要性です。

自分は、この言葉、「自己肯定感」を知らない人はいないだろうというくらい、メジャーなものだと勝手に認識していました。

が、知らない方もおられました。

背番号51のイチローさんです。

イチローさんは自己肯定感という言葉を知らなかったそうです。
(番組で初めて聞いたようです。)

私はそれに感銘を受け、今回のテーマと相成りました。

自己肯定感の必要性。
自己肯定感っていらないようです。

なんとなく、ないといけないものだと思わされていた。

と言うと、被害者っぽくなってしまいますが。
それくらい、自己肯定感というものに悩まされた人は多いのではないでしょうか。

自己肯定感を高めよう。低いのはダメ。
自己啓発。どうすれば上がるのか。

大丈夫です。いらないです。

似たようなニュアンスで言うところの、
自信はなくていい、不安をなくそう(減らそう)という話でもないです。(多分)

いらないんです。(きっと)

もうひとつ、心に沁みたことがありまして。

プロとして野球をしていた時、楽しいと思ったことはないそうです。

手ごたえ、があるかどうかだと。

自分も仕事をしていて楽しくはないです。
真剣にやれば不安なことだらけです。
もっと出来たのではないか。

これを「自己肯定感」で語れば、自己肯定感は低い、となるのでしょう。

しかし、良い仕事が出来たとき、手ごたえは感じるのです。

自分を思うとき、もし自分を測りたくなったとき、「自己肯定感」という、ものさしはいらないのです。

そして、

楽しい時は、それは仕事でなくてよい。
それは人生でなくて良い。
それは無駄な時間であって良い。
のだと思います。

といった感じで今日は閉じたいと思います。

おやすみなさい。

         END


別な話?なんですけど、そういえば。
もし、奥さまが居なくて1人だったとしたら、
メジャーに挑戦しなかったと言っておられたのが印象的でした。
孤独には耐えられないと。トッププレイヤーであっても、夢を支えてくれるパートナーが必要なんですね。
自己肯定感は必要なくても、他者からの肯定感というものがいるのかも知れません。
必要とされたい、または承認欲求といったものとは、趣が違うと思うのですが。
機会があれば、考えてみるかもです。

  あとがき end

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