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厳しい父から学んだ「人としての正しさ」経営者を志す、僕の過去と未来。

IKK light relayをご覧の皆様こんにちは!人事戦略イノベーション室の猪熊です。ちょっとばかり投稿に時間が空いてしまいました。ごめんなさい。でも楽しみに待っています!というお声を頂いたおかげで無事にnoteに戻ってくることが出来ました!!・・・はい、これからは定期更新頑張ります^^;

さて、本日はIKKの将来を間違いなく担うメンバーであり、圧倒的存在感を放つ営業部門のエースが登場します!体育会系出身で礼儀正しく、謙虚で誠実な人柄に私もファンです★(聞いてませんね)

今日のIKK light relayも最後まで楽しんでください!

1.「1位以外有り得ない」厳しい父のもとで育った幼少期
福岡県北九州市出身で両親・弟がいます。弟は3つ下です。母親は優しい看護師さんで、父親は九州男児!という感じの厳しい人でした。そうですね…小さい頃から厳しい印象は持っていたような気がします。

小さいときは人より習い事を多くやっていました。いや、やらされていたと言う方が合っているかもしれません(笑)なので、友達と休みが合わないことも多かったので何となくですけど「うちは厳しい家庭なんだな~」なんて思ってましたね。習い事は空手・水泳・野球をしていた。今思えば…ヘビーですよね(笑)

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あと小さいときの記憶で覚えてるのは、テストをびくびくしながら父親に見せていたことです。50点以下だとグーパンチが飛んできていました(笑)勉強の中では…算数が苦手でしたね。あと、順位とかで言うと、学校のかけっこ競争とか運動会も絶対1位じゃないとダメなような環境でした。1位以外有り得ないって感じで。だからこそ、学校のことだけじゃなくて習い事は家でも練習したりしてました。まあ1番好きなのは野球でしたけど、家では空手の練習ばっかりさせられてました。何でだったんでしょう?(笑)精神力が身につくから、とかですかね?小学校までは空手と水泳メインにやってた気がします。多分精神力と持久力、体力を僕に身に着けさせたかったのかもしれません。

ただ最終的には野球を大学まで続けました。でも実は、水泳や空手は、いろいろ賞を獲ったりしていたのですが、唯一結果を残してなかったのが野球で。だからこそ、頑張りたい!って満足できないことが良いエネルギーになってたのかもしれません。あとはシンプルに野球が一番楽しかったんです。

水泳や空手は…なんか孤独な感じがして。野球のようにみんなで何かを向かっていくことの方が楽しかったです。空手と水泳は対自分のスポーツで、野球はチームの中に居れることが心地よく感じていました。

あと育った環境で覚えているのは、弟が生まれてから「兄ちゃんやけん、我慢しなさい!」と言われることが多かったことですね。父としては兄である自分を自立させて厳しく育てたかったみたいです。…こう振り返ってみると、やっぱり僕の家は厳しい家だったみたいです(笑)

3つ下の弟とはめちゃくちゃ仲良いです!友達からも「ほんと仲良いよな~!」って言われます(笑)一緒に筋トレしたり、銭湯やお風呂も一緒に仲良く入りますね!

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2.厳しさの中で「正しさ」を学び、そして「親の愛」を感じていた
名前の由来は…何だか恥ずかしいので、あんまりちゃんと聞いたことはないんですが、迅という名前は「獅子奮迅(ししふんじん)」が由来みたいです。男らしい人間に成長してほしいという気持ちがあったと聞いてます。
※獅子が奮い立って、猛進するような激しい勢い。また、そのような猛烈な勢いで活動すること。「獅子」はライオン「奮迅」は激しく奮い立つさま。

反抗期は…なかったです。逆にあったと思いますか?(笑)でも実は1回だけ、ちょっと反抗したことがあるんですよ。でも、その時にほんっっっっとに記憶が飛ぶくらいものすごく怒られてですね…(笑)それ以降、もう反抗することをやめました。はい、僕の人生の辞書から「反抗」という文字は消しましたね(笑)当時は僕が怒られているのを見て、何故か弟が泣いてましたね(笑)

たまに昔の話をすると、よく「そんなに厳しい親の元で育ったのに、なんでグレずに育ったの?」って良く聞かれるんです。で、思い返してみると、たぶん親からの愛情はとにかく感じてたからだと思うんですよね。あんなに怒られてたはずなのに、厳しかったはずなのに、一度も家に帰るのが嫌だな~なんて思ったことはないんです。それに人として、兄として正しい行動をしていれば怒られなかったんですよね。だからこそ怒られた時は「自分が悪かったな」と思えましたし、理不尽だなんて感じることはありませんでした。

父は経営者です。僕が生まれたときに実は経営を始めたんですけど、自分自身が社会人になってみて、それって本当に凄いことだなって改めて感じています。僕が生まれるまではサラリーマンをしていたのに、あえて茨の道を選んで、そして今もなお頑張っていて。その決断力と継続力を持った父のことを心から尊敬しています。何よりも、父は、仕事は仕事。家族は家族と、ちゃんと区切っている人です。だからこそ仕事も忙しいはずなのに、夜ご飯は必ず家族一緒に食べてくれていましたし、旅行も年に2回くらい連れて行ってくれました。そんなとこからも愛を感じますよね。

母も働いているんですけど、朝は自分よりも早く起きてご飯をつくってくれて、そして5日間しっかり働いたあとのせっかくの土日でも僕の野球の習い事のために時間を使ってくれていて…当時は有難いな、くらいしか分からなかったんですけど、母に対しても自分が働き始めてから、それがどれだけ大変なことかって気づきましたね。父にも母にも感謝と尊敬の気持ちを持っています。

3.「出来るなら、もう1度就職活動をしたい。」
就活時代は、とにかく色んな人との出会いを楽しみ、人との出会いを求める就活生でしたね。部活は大学3年の11月に引退したんですけど、すでにインターンは大学3年の始めから行っていました。部活生の中では珍しいタイプだったかもしれません。当時は大会前は野球を優先して、休みの日はなるべく就活をやる、みたいな感じでした。メインは変わらず野球でしたね。でも東京・大阪・福岡を飛び回っていたので、今の就活生の皆さんも凄く大変だとは思うんですが、オンライン就活ってそういう移動の負担の部分については当時の僕からしたら羨ましいと感じたと思います。

会っていたのは、社員の方はもちろん、企業の人事の方にも沢山お時間を作って頂きました。当時は選考を進むにつれて企業の上の人に会えるのが楽しくてしょうがなかったですね。自分がどのくらい通用するんだろう?ってワクワクしてたように覚えています。あと、珍しい経験だと思うんですけど、最終面接で社長の方に気に入って頂いて、ご自宅にお邪魔したこともありました。東京の高層マンションで「すっげ~!」なんて思いながらお話したのを覚えていますね(笑)本当に就活時代はご縁あって、色んな経験をさせてもらいました。

だからこそ就活は全く苦痛ではなかったですね…まあ、しいて言うならESは苦痛でしたけど、でも僕ESは変えなかったんですよ。企業に合わせるんじゃなく、この自分で勝負!みたいな感じで。尖ってますよね(笑)変だって言われるかもしれないんですけど、出来るなら就活はもう1回しても良いなって思うくらい、とにかく楽しかったです。

4.「表舞台に立たなきゃ。前に出るんだ。」
IKKとは体育会系限定の合同説明会で出会いました。そして当時告知していたIKKの「世界維新」に参加したいなと思ったんです。(前回リレーを渡した松本さんも世界維新出身ですね!)そうなんです。世界維新出身っていうだけで、すぐに仲良くなりました(笑)

世界維新に参加しようと思ったのは、ブースに行って話を聞いた後に友達3人と当時合説を担当していた猪熊CL(人事戦略イノベーション室:猪熊ちひろ)と話していたんです。会話の中で猪熊CLから「なんか杉本さん、世界維新向いてそうやね!ちょっと挑戦してみぃよ!」と言われて(笑)どこが向いてるんだろう?なんて思いながら興味本位で受けました。「挑戦」という言葉に燃えたんだと思います。…今考えたら、猪熊CLは僕を乗せるのが上手でしたね~(笑)

結果、興味本位で参加したんですけど本当に参加して良かったと思っています。自分の弱さと向き合うことはもちろん出来ましたけど、何より世界維新での時間を通して「強み」が明確に分かりました。だからこそ、世界維新を経験した後に自信をもって野球部に戻れたんですよね。そのあと結果、全国大会に行くことも出来て。本当に大きなきっかけだったと思います。

僕はそれまで、実は自分自身はサブキャラ・副キャプテンが向いてると思っていたんです。小さい頃は1位しか有り得ないって世界だったんですけど、成長していく間に「自分はサブキャラだ」って思うようになっていて。でも世界維新でリーダーをさせてもらって気づいたんです。「表舞台に立たなきゃ。自分は前に出るべきだ。」って。自信をもっていいんだって思えた瞬間でしたね。

IKKに決めた理由は、営業を学べる圧倒的環境、そして経営を学べる圧倒的環境です。おまけに人も良かった。最終選考は金子会長だったんですけど、最初は圧倒されましたね。オーラが全然違うと思いました。経営の世界で良く使われる言葉でヒト・モノ・カネ・情報って言葉がありますけど、ヒトを動かすのが一番難しいと僕は思っていて。この方から、そしてこの方が創ったIKKからそれが学べると確信しました。

5.今はどんな仕事をしているか
営業をしています。とにかく必死ですよ(笑)既に3店舗の主要店舗を経験していますが、本音を話すと目標を立てて毎日努力している分、転勤となった時は少し寂しいというか、やりきれなかった部分に何とも言えない気持ちになったりして。でも転勤を経験して、今までよりもちょっと柔軟になれた気はしてるんです。

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仕事の中で嬉しかったことは、初めてご成約をいただいた時のことです。いまだに鮮明に覚えています。当時の山川総支配人(現:人事戦略イノベーション室スーパーバイザー:山川勇之丈)に抱きしめられて(笑)本当に喜んでもらえたことがめちゃめちゃ嬉しかったんですよね。あとお客さまからプレゼントを頂くこともあって。プレゼントでペンを頂いたんですけど、それは今も大切に使っています。

今このIKKで働いていて、最初に学びたかった営業の勉強の中では結果人間性が重要なんだと感じています。そして営業で大切なことは、いかにお客さまに居心地の良い空間をつくれるか。やはり、人間力が高い人が、結果を残せるんだと働いていて感じますね。でも僕も人間なので、どうしても数字を追ってしまう時もあるんです。でも周りに素晴らしい先輩が居て、その先輩のもと今も日々勉強しています。色んな先輩が居ますが、福岡支店で一緒に働いている長岡L(福岡支店プロデューサーリーダー:長岡咲希)は本当に人間力の人です。いつも沢山ご指導頂いています!

6.どんな人財と一緒に働きたいか
そうですね…「素直な人」「必死に頑張ってる人」ですかね。やっぱりそういう人って応援したくなりますよね。今、後輩が居るんですけどとにかく可愛くて。本当に普段から素直に、そして必死に頑張っている姿を見ているので結果が出た事を報告してくれる時は毎回本当に嬉しいですね。だからこそ、素直な人、必死に頑張ってる人と一緒に働けたら良いなと思います。

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7.これからのVISION
11月までにリーダーになることです。そして25歳で支配人、26歳で総支配人、そして遅くとも30歳までには経営者になります。ずっと変わらない僕のVISIONです!

last.次にnoteで紹介したいIKKの仲間は誰?そしてその理由は?
元々の担当上司である中島代理(鳥栖支店支配人代理:中島輝一)をご紹介したいです!新入社員時代の担当上司なんですけど、振り返ってみるとまさに私の原点の方であり、人間性の大切さを教えてくださった方です。

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ご自身でも「自分はエリート街道を走ってきた訳ではなく波乱万丈な人生だった」とおっしゃられるのですが、様々な経験をされてきた中で培った素晴らしい人生観をぜひ皆さんにもお伝えしたいです。

…ちなみに、見た目はヤンキーみたいな人なんですけど(笑)本当に人間味あふれる方で、時には心を込めて強く叱ってくださいますし、時には楽しくおちゃらけてくださる。そんな僕の大好きな人です。

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