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チャンスがあるなら、全部掴む。入社3年で僕がインドネシアに行った理由。

noteをご覧いただいている皆さま、こんにちは。
アイ・ケイ・ケイ株式会社人事の猪熊(いのくま)です。本日よりIKK light relayをこのnoteで掲載していくことにしました!

IKKには、全国各地に沢山の熱い「灯=light」を持っているメンバーがいます。そんなメンバーからメンバーへ、そしてこちらをご覧いただいたみなさんに、心の灯を繋いでいきたいと思いで、これからnoteにインタビュー形式で綴っていきたいと思います。
(毎週掲載するつもりですが、出来なかったとしても温かく見守って下さい笑)

第1回目に登場するのはPT IKK INDONESIAで入社3年目にも関わらずマネージャーを務める前田マネージャーです!

1.生い立ち:オールAを取りたかったのは、おばあちゃんのため

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大阪府大阪市出身。お父さんとお母さんと僕の3人家族で、一人っ子として育ちました。
小さい頃から人と話すのが好きなタイプ。習い事も沢山させてもらいましたね。でもそれもほとんどは僕がやりたくて、やらせてもらったものばかりで。唯一やらされたのはピアノだったんですけど3歳から始めて、5歳でやめちゃいました(笑)今となっては続けておけばよかっなぁとおもいます(笑)

小さい頃は、とにかく何に対しても「誰かがやるなら、自分もやりたい!」ってタイプで、他の人に出来て自分が出来ないことがあるのはとにかく嫌でした。水泳みんなが出来るなら、自分も水泳教室行って、友達がそろばんに行くって言ったら、そろばんに行って。字が綺麗になりたいと思って、書道に通って。ちなみにバスケもやってたんですけど、それはお父さんがやってて3歳くらいから気づいたら遊びでバスケしてて小学校4年生からクラブに入れるようになったので、やり始めました。

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中学では勉強も頑張っていました。実は僕、おばあちゃんに自分の成績を見せるのが好きだったんですよ(笑)おばあちゃんがめっちゃ喜んでくれて、いつもその成績をカバンにいれてくれてて、僕と会うたびに持ってるよ~って見せてくれて。良い成績を取って、おばあちゃんの喜んだ顔見るためだけに、いい成績取ってましたね。正直、頭が良かったというよりは、上手に勉強してた感じです。前日夜に徹夜して、覚えては忘れ、覚えては忘れってしてました。点とるためだけに、勉強していたタイプですね(笑)まぁ、良く見られたいという気持ちがありました(笑)

バスケは本当に大好きで、意外と負けたくない気持ちが強かったです。ただ僕、走るのも早くないしスキルもなかったんですよ。だからそれで出来るのって何やろう?って考えて、シューターを目指しました。練習すれば何とかなる、と思って朝6時にお父さんと公園に行って練習して。そしてシューターというポジションがもらえました。走るのも速くないし、運動神経も良くないので、そこをカバー出来るようにって思ってめっちゃ練習したのも覚えてます。ちなみに練習ってところで言うと、逆上がりとかも、出来ないのが悔しすぎて朝から泣きながら逆上がり練習したりしてましたね(笑)

多分、あの頃は本当に「出来ない」のが嫌だったんでしょうね。一輪車とか竹馬もみんなが出来るのに出来ないの嫌だったからとにかく練習したし、そろばんも「1級は小学生で取れないよ」と言われたけど、とにかく勉強して練習の時は1回も合格出来なかったのに、まさかの本番で合格してそろばん1級小学生で取ったり。そういう風に、ずっと負けず嫌いで頑張ってきてましたね。

中学校でもバスケを続けましたが、めちゃめちゃ練習が厳しいところでした。大阪で1位を取るレベルの強いチームに入って、練習は朝6時から夜の10時までしたことも。朝昼夜は全部体育館で食事してましたね。休みもないし、みんなお盆休みとは休むんですけど、うちの部活は監督が「体育館使えるぞ!やったな!」って感じで(笑)引退までずっと筋肉痛でした(笑)

ただ、部活は忙しかったんですけど、勉強ができないのも嫌で、中学1年生からずっと塾も週4日くらいかな?親にお願いして通わせてもらって、みっちり勉強しました。塾で先取りで勉強して、学校の授業で復習させてもらって、学年10位以内は毎回入りたいと思って勉強してましたね。でもそれもまた、負けたくない!の気持ちが強くて。周りといつも競ってました。
まぁ相変わらず徹夜型で、定期テストは取れるけど、実力テストは取れないタイプだったんですけどね(笑)でもちゃんと定期テストを取って部活も頑張っていたので、内申で第一希望の高校に行けました。

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高校はエリアの中で、そこそこちやほやされるレベルの学校でした。ただ、そこで衝撃を受けたんですよね。自分は今までどちらかと言うと上に居るタイプだったから、初めて圧倒的にレベルの高い人たちと出会って。バスケに関しては中学で強豪校に居れたのでレギュラーには1年生から入れてたんですけど、勉強は上手くいかず怠けるようになってしまって…バスケ以外の時間は勉強せず遊んでしまっていました。

で、高校2年生になって「国語が苦手だし、理科好きだし、理系がカッコいい」という理由で理系クラスを選んだんですけど、ずっと勉強している間に「やりたいこと、なんか違うな…」となって、やる気も下がってしまって。そして自分でも本当に何で?と思うんですけど、高校3年生10月の受験ギリギリの時に僕、文転したんです。

ただ、理系クラスに居たので社会の授業を選択してなくて、受験は国語数学英語という一番自分にとって苦手な科目で受けざるを得なくなって。ただ「まぁ頑張れば、第3志望には行けるかな」なんて軽く思っていたら、まさかの第4志望まですべて落ちました。人生最大の挫折を味わいましたね。

で、結果滑り止めの大学1校しか受からず、相当落ち込みました。親には100万くらいかけて予備校通わせてもらったのにな…とか色んなこと考えて、河川敷で1人泣きながら6時間くらい歩いたりもしましたね。

大学を浪人するのか、親の仕事を継ぐのか迷ったんですけど、その時に大学の資料見てたら唯一受かってた大学に【1年間の留学コース】があるのを見つけて。それも学部で30人限定の倍率が高そうなものが。それを見て、親には「この留学コースに行けなかったら大学辞めて、家を継ぐ。だからこの大学に進ませてほしい」と約束をして進学させてもらいました。

その留学コースは300名くらい応募があったみたいなんですけど、最終的には留学に行ける15名に選ばれることが出来ました。でも、不思議なのはその時僕TOEIC300点くらいしかなかったんですよ(笑)でも一生懸命面接受けたからなのか、熱い思いが伝わったのか通りました。ただ、そんな僕も留学期間中は意欲的な仲間と頑張ったので、留学から帰ってきたらちゃんとTOEICは785点くらいになってました(笑)リスニングで満点取るくらいには力をつけて帰ってくることが出来ましたね。環境が大事なんだなぁと思いました。

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2.受験の失敗を糧に、前倒しで動いていた就活時代
受験の大失敗は「ちゃんと考えて、自分で選択しなかったこと」という点で後悔の気持ちが大きかったので、もうそういう思いはしたくないと、その当時としては動き出しが早い方だった大学3年の夏から就活準備をし始めました。外部講師が付いている大学内の就活塾(合計10回~15回)にも自分で応募して、毎週土曜日は1日中就活の勉強をしていましたね。特に僕の大学は知名度としては全然なくて、就活では大学名だけで落とされることもあると思って「人」で見てもらえるように、早めに動くしかないと当時は思ってました。

あと、正直就活生の時は「誰でも何でもできる」と思ってましたね(笑)それは「何もかも初めは誰も出来ないから、結局どのジャンルに行っても大変だし、それなら何でも出来るよ!」というマインドです。かつ留学の経験から就活では、環境を大事にしていました。留学で意欲が高い海外の人たちに囲まれた時に自分が変われると感じたので、関わる人が変われば行動も言動も変わるな、と。大事なのは環境と人だ、と考えると同時に、留学の経験から漠然と「海外で働きたい」とも思うようになりました。

3.チャンスがあるなら、全部掴む / 5次選考での運命の出会い
実は1月には留学生限定の説明会で不動産企業に内定を頂いていて、2月には入社すれば海外勤務が約束された旅行会社にも内定を頂いていました。不動産企業の方は僕以外は全員海外の方でもあったので、不動産か旅行会社かどちらかに行こうかな~と思っていました。

そんな時に、内定を頂いた旅行会社が合同説明会に出展をしていて、それだけ聞きにいくためにバイト前に合説に行ったんです。そこで帰ろうとしていた時に出口の近くにブースを構えていたIKKのスタッフさんに声をかけられて。バイトだったので、じゃあアンケートだけ、と言って書いて帰ったんです。

で、IKKからメールが届いた時に留学で学んだ「チャンスがあるなら、全部掴む」という考え方がよぎって。ウエディングは全然興味ないけど、まず行ってみよ!くらいの気持ちで説明会に行ったら、その当時は説明会当日に1次があったんですよね(笑)そしたら1次受かっちゃって、2次、3次と進んでいったんですけど、正直4次選考までは行きたい気持ちはそんなに強くなかったです。

でも5次選考の時に運命の出会いがあったんです。実は僕、5次選考で面接の場所を間違ってしまって。遅刻しないように携帯の待ち受けにまでしてたんですけど(笑)直前に送られてきた会場変更メールに気づけなくて。ビルに着いたら掃除のおばちゃんに「え!今日面接ないよ!」と言われて、慌てている間に時間も過ぎてしまって、頭が真っ白になりましたね(笑)

それでIKKに連絡して、次の面接の回に行かせてもらえるようになったんですけど、申し訳ない気持ちでみんなより早く着いて面接部屋の前でソワソワしながら待ってたら、その時面接官だった田中部長が(現IKK経営管理部部長:田中慶彦)「遅刻したからと言ってあなたの事を落とそうとも思ってないし、あなたの想いを聞かせてください」とみんなが来る前に事前に僕に声をかけてくれたんです。その後面接の時も、「緊張してるだろうから前田さんから行こうか!」と言ってくださって。本当に対応に感動しました。僕はもともと就活の時に偏見なんですけど、人事はみんな良い人だから、部署が違う他の人で見ようと決めていて。IKKの面接では支配人や現場スタッフなど色んな人に会えて、どの人もカッコいいなとは思ってたんですけど、田中部長は本当に人として凄い、って思いました。ずば抜けてカッコよかったですね。

それで、5次選考が終わった帰り道に「これで受かってたら、本気でIKK目指そう」って思ったんです。そして無事5次選考に合格して最終選考は金子会長でした。1:1でプレゼンしたんですけど、会長と僕の机の距離が凄く近くて(笑)緊張しましたね。でも会長が最後には静かに握手してくださって、人間味を感じました。

正直お金なら不動産、3年後海外と考えると旅行業界、人ならIKKという状態でした。ただ、不動産はとてもフランクだったけど、ピンとこなかったんですよね。みんな良い人だったんですけど。あと旅行会社は内定者懇親会まで行って人を見て、その時社員や社長とも喋ったんですけど、「なんでこの会社なんですか?」と聞いたら「旅行安く行けるよ~!」とか「海外行けるからね」と言われて。もちろん魅力に感じる方も居ると思うんですけど、その時に「僕の生きたい生き方とは違うな」と思って、やっぱり人が大事だと思ってIKKに決めました。正直「海外はいつか行ければいいや」と思いましたし、まずは自分を磨こうと思ってIKKしかないと確信しましたね。

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4.「俺が親友としてお前と関わるなら、絶対に海外に行った方が良い。」
PT IKK INDONESIAに行くきっかけになったのは、森田社長(現PT IKK INDONESIA取締役社長:森田康寛)との出逢いです。全支店が集まる勉強会のようなものがあって、そこで森田社長が話してて。「この人と話してみたい!」と直感的に思いました。そして、気づいたら会ったこともないですし、話したこともないのに、森田社長に直接メールを送ってました(笑)その後、こんな新人の私にも長文メールで返信してくださって、感動しました。まずはやってみるって大事なんだなぁと感じましたね。その時に、「海外で働きたい」という想いを話をしたところ、「本当に海外興味ある?」と言われて。あります!と答えたら、
一回1on1面談しようかと話す機会をもらえました。後日面談だと思ってzoomに入ったら、その当時のPT IKK INDONESIAの社長と森田社長の2人との【面接】だったんです(笑)

行きたいという想いだけで、何も準備してなくて、面接で何も答えられなくて。「本気で行きたいなら、もう一回考えておいで」と言われて、1週間でインドネシアの事を調べて、準備して再チャレンジしました。今までは「海外に行けたらいいな」くらいの気持ちでしたが、その1週間は【行くための覚悟】を決める時間になりました。でも一番大きかったのは、信頼する上司からの言葉ですね。

「上司としては、日本に残ってほしいし、これからも一緒にIKKで働きたい。でも俺が親友としてお前と関わるなら、絶対に海外に行った方が良い。」

そう言われて、はっとしました。まさに僕にとって、確信に変わった瞬間。だからこそ親には「行こうかな」という相談ではなく「行ってくる」と伝えました。小さい頃から、僕の意思が決まってたら、やりたいことをやらせてくれたので、言いきることにしたんです。そして「お前が行きたいなら、心配だけど頑張っておいで」と、背中を押してくれました。改めて、自分の為ではなく、お世話になった方に恩返ししたい、そのために成長したい!という思いでインドネシアに行くことを決意しましたね。

正直、日本での仕事は本当に楽しくて、人も良くて、お客様も素敵で不満足は1つもなかったんです。ずっと天職だ!って言ってましたから。正直、不が無かったんですよね。でも、だからこそ逆に日本でのビジョンが見えてしまったんです。日本ならそのまま頑張ればキャリアアップ出来るかもしれない思いました。でも、もう1個の選択肢を考えたときに、何も見えないインドネシアの方が間違いなくチャンスがあり、成長できると思ったんです。怖いもの知らずですよね(笑)でもそうやって、自分で決めたことなので大変なことが沢山ある今の環境の中でも「だって」という言い訳のような気持ちは生まれないですね。

今は、何もスキルが無い状態ですけど、周りを気遣ったり、笑顔で関わったり、誰にでも出来るけど誰にでも出来ないことを大切にしています。あとは言語の壁が大きい分、自分が頑張る姿をスタッフに見てもらえるようにしています。こんな何もできない私でも前向きに頑張っていたら、なんか勇気与えれるんじゃないかなって思って。インドネシアに来た日から自分との約束を作りました。自分で100冊本を読むと決めて達成したり、毎日朝5:30に起きて毎日英会話の勉強をして。最近はインドネシアがコロナで外出がそもそも出来ないので、ずっと本を読んでますね。1ヶ月で30冊とか読んだりすることもあります(笑)これはスタッフに見てもらうだけではなく、こういうルーティーンをやり続ける事で、上手くいかないことだらけの中でも自分のメンタルを維持し続けられている要因でもあると思います。継続することで自己肯定感を無理やり高めてます。

ちなみに、インドネシアに行ってから12キロのダイエットにも成功したんですよ(笑)毎朝ジムに行くルーティーンを決めて、食事も自分なりのルールを決めて、続けれる方法を考えてやるようになったら何でも出来るようになりました。継続って今まで本当に得意じゃなかったんですけど、それって何故だろう?と考えたら、結果自分に厳しすぎたからだな、と。だからこそ今は5時に起きれなくても7時に起きたら自分を褒めてあげる、とか10個くらいのルーティーンのうち1個でも出来たら自分を褒めるとか、めちゃくちゃ低いハードルにしてとにかく継続することを大事にしています。結果、「出来ない」と決めているのは、いつだって自分なんですよね。

今はインドネシアでマネージャーをやっていて、毎日チャレンジングな環境です。何もかもが新しくて、何も分からなくて、言葉も文化も宗教も違う。婚礼中にお客さまにトイレを案内するだけで緊張します(笑)それに総務経理の仕事でシフトや給料のチェックをしたり、会社全体の数字や不動産調査にも入らせてもらって、交渉も同席しています。今は年間の計画、3年間の中期計画を教えてもらいながら立てています。日本では出来ないこと、チャレンジの幅が圧倒的に大きいなと感じていますね。
それでも頑張れるのは、本当に素晴らしいスタッフとの出会いです。いつも森田社長はじめインドネシアスタッフに助けてもらってます。

5.どんな「人財」と一緒に働きたいか
①前向きで、明るい人
②素直な人
③行動する人
こういう人たちに教えたくなりますし、自分が付いていきたいと思っている人たちはそういう人たちでもありますね。IKKで成果を出している人の共通点だと思います。

IKKは①②③があれば、機会を与え、期待をかけてくれる会社ですよね。僕も森田社長から「私はあなたにスキルは求めていません。応募してきた中にはスキル的に優秀な人は沢山いました。でも私はあなたの前向きで素直なところが良いと思って、期待をかけてインドネシアに呼んでいるんです」と言ってもらって。やっぱり、マインドって凄く大事で。どれだけスキルがあってもマインドがネガティブな人はネガティブな環境しか作れないと思います。

僕は1人1人強みの違いがあって、それがカバーしあうのがチームだと思っています。だからこそ大切なことは自分の強みを自分がちゃんと理解して認めてあげて、まずはやってみること。インドネシアで気づいたのは、自分が自分を認めてあげることの重要性。自分で自信を持たないと、周りからの言葉で本物の自信って生まれることは無いんですよね。僕自身、自信を持てない人間でしたが、考え方、捉え方だけを変えました。僕は自分が「自信がなくて…」と自分の大切な人に伝えたら、自分が自信が無くて悩んでいることでその人まで悲しませてしまうと思いました。だからこそ本当に大切な人には「自信がなくて…」という言葉よりも「全然出来ないけど、頑張ってるよ!」と言いたいと思うんです。謙遜は日本の美ですが、それは心の中だけに留めておいても良いんじゃないかなと思います。

6.これからのVISIONについて

①PT IKK INDONESIAでのVISION
自分が努力して、成長して、みんなに貢献したいと思っています。そして来年の2月までにはゼネラルマネージャーになりたいですね。そうすることで、インドネシアのチーフメンバーたちが僕が居た管理職のポジションにステップアップすることが出来ますし、現状維持ではなく、どんどんステップアップ出来るんだ!と思ってほしいです。

ゆくゆくはインドネシアで上場して、みんなが誇れる会社にしていきたいです。そして最終的には「インドネシアメンバーだけでも出来ますよ!」と言えるような現場にして、日本人が居なくともIKKイズムを持ったインドネシアメンバーにすべてを任せられるような基盤をこれから創っていきたいと思っています。

2.前田元春としてのVISION
僕はIKKに道を創ってもらったと思っています。本当に感謝してます。リーダーから管理職であるマネージャーに60点主義で昇格させてもらって今こうして働いていますし(※60点主義:IKKが大切にする考え方。100点を目指しつつ周りから見て60点出来ていれば、まずはステップアップさせ成長の機会を与えるという考え方)そういう僕の成長を見て、現場の皆さんに希望を持ってほしいと思っています。自分が「何かのために」という目標を持って行動をした結果、今インドネシアで働くことが出来ているので「誰でも自分が決めて行動したら、こうなれるんだよ」というメッセージを伝えて会社のメンバーに勇気を与えていきたいですね。一度きりの人生なので。そして恩返しだけではなく、「恩贈り」として、次の世代の人たちに沢山のことを与えていけるような人になりたいと思っています。

last.次にnoteで紹介したいIKKの仲間は誰?そしてその理由は?
山田 将史チーフ(広島支店プロデューサー責任者)
熱い思いを持っている人です。彼とは同期なんですけど、僕が会長秘書としてインドネシアに行く前に福岡に居た1カ月の間は毎日一緒に居ましたね(笑)毎日ずっと一緒にいる中で感じていたのは、山田チーフってずっと1日中仕事の話を楽しそうにしてるんですよ。帰り道も、ご飯食べている時も、自然と仕事の話が出てきて。熱いvisionも持っていて、自分にないものをたくさん持っている人だなと思っています。とにかくよく勉強しているし、ロジックも考えて仕事をしています。元々人事なんですけど、そのプレゼンも、熱い思いを前面に出しつつも、背景に冷静な根拠も持っていて。本当に尊敬しています。これからIKKを一緒に引っ張っていきたいと思っている仲間なので、ぜひ紹介したいですね。山田チーフへ。これから共にIKKを引っ張っていきましょう!もっともっと、みんなが働きやすい会社を一緒に創っていきましょう!

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