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目指すは、女性最速支配人。「今」が一番輝いている、そう言える人生を。

IKK light relayをご覧の皆様こんにちは!人事戦略イノベーション室の猪熊です。ちょっとばかり投稿に時間が空いて、ごめんなさい。実はワクチンを打ってベッドとお友達になる日々が続いていたのですが、おかげ様ですっかり元気になりました!

今回も先週に引き続きフレッシュな新入社員が登場します!内定者時代から圧倒的カリスマ性で同期はもちろん、会社の先輩もみんな名前を知っているIKKの未来を担うスタッフが登場します!ぜひ楽しみにお読みください!

1.「目立ちたがり屋×負けず嫌い」3人兄弟の長女として育つ。
福岡県福岡市出身です。生粋の博多っ子です。3人兄弟の長女で2個下の妹と7個下の弟がいます!兄弟は…みんな仲良しですね!あれ…?今でこそかな?(笑)小さい時は、妹とはよく喧嘩していたかもしれません(笑)ただ、弟のことは溺愛で。これは今も昔も変わらないですね。

弟は今高校1年生です。妹と私はバスケをしていたんですけど、父親が野球をしていたので、弟は野球をしています。こんな感じの家族紹介からで大丈夫ですか?(笑)

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私は…ずっと問題児だったと思います(笑)違う言葉で言い換えると、目立ちたがり屋な子でしたね。実は幼稚園の時からこの性格変わってなくて、

「目立ちたがり屋×負けず嫌い」
まさにこれですね(笑)

幼稚園の行事で言うと、音楽会とかあるじゃないですか。ああいうのも絶対に負けたくなかったんですよね。なんか音楽会とかってピアニカ出来る人が上手みたいな雰囲気あるじゃないですか?(そんなのあるかな?笑)ありますよ!!(笑)ピアニカ出来たら無敵、みたいな。

で、私ピアノを習っていたので、ピアニカは絶対他の人に負けたくないと思ってめちゃめちゃ一生懸命練習したの覚えてます。そして結果的に一番上手な人が選ばれる木琴になりました!(笑)

でもこういう目立ちたがり屋なのも、負けず嫌いなのも昔からずっと親に褒められたい気持ちがあったのかなあと思います。まぁでもこの性格は生まれつきだと思いますし、何より遺伝かなと思います。うるさいところとか、とにかく前に前に出るところとかは、本当に親の性格を兄弟の中でも自分が一番取ったんじゃないかなと思いますね。両親どっちにも似てますし、一番濃いDNAをもらった気がします。

小学校のドッジボールのときも覚えているエピソードがあって。男子に「弱いなお前」って言われたことがとにかく悔しくて泣いて。そこから猛烈に毎日ドッチボールの練習して、試合に出させてもらったこともありますね。負けず嫌いは幼稚園から引き続き、でしたね。

ちなみに私は「目立ちたがり屋×負けず嫌い」ですけど、他の兄弟は全然違うんです。兄弟の性格としては、弟は心優しい、人の心が分かるタイプ。妹も優しいんですよね。頑固で自分が決めたことは曲げないんですけど、とにかく2人とも優しい。ただ、みんな違うから喧嘩するかと言えばそんなことはなくて、私が変わってる人扱いをされているので、逆に平和です(笑)「さやワールド」みたいな感じですね(笑)長女だけど珍しいのかなぁと思います。

親からは「人に迷惑はかけないこと」を大切にするように教えられました。謙虚じゃないとか上っ面で何かをしたりしたときには、めちゃめちゃ怒られましたね。特に挨拶!本当に大切なことを教えてもらったと今はとても感謝しています。ただ母とはよく喧嘩しますね(笑)気の強さは母親譲りなので、気が強い同士、喧嘩します(笑)ただ、喧嘩はしますが、愛情深くて人を放っておけない母のことは、ずっと尊敬しています。本人には恥ずかしくて言わないですけど、いつかちゃんと伝えたいなとは思っています。

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バスケットボールを始めたきっかけは単純で、引越した地域にバスケがあって、母もバスケをしていたので勧められました。バスケットボールでは負けず嫌いが発揮されて、必死で頑張っていましたね。「自分はこれは頑張りたい!」と思うものは全部負けず嫌い発揮してきたと思います。…勉強はいいや、って感じでしたけどね(笑)

ただ、負けず嫌いで頑張っている中でも「評価されない時」は落ち込んだり、気持ちが弱くなることがある性格だなと思います。周りの信頼している人たちにもそう言われますね(笑)勝手に孤独を感じて、評価されない自分に落ち込んで…ただ、いろいろ悩むんですけど、結果いつも「やるしかない!」って思ってガムシャラに泥臭く努力します。立ち直るポイントは、どこかにヒントが欲しいと思って探すことですね。どこかにスイッチないかな?どこかにヒントないかな?と思ってその期間はセンサーを張り巡らせて、自分で必ず立ち上がるように心がけています。

2.「ヒントはどこ?スイッチはどこにある?」探し続けた就活時代
「就活で絶対に自分が変わりたい」と思っていました。高校までの自分とは打って変わって、大学では少し弱気な生活を送っていて。就活というターニングポイントが訪れたタイミングで、まさに「ヒントはどこ?どこにスイッチがある?」とセンサーを張り巡らせていました。

正直…何にも頑張っていない大学生活を送っていたんですよね。アメフト部のマネージャーをしてはいたものの、何か明確な目標があったかというとそうではなく、大学生らしいノリで入ったんです。

ただ、せっかく入部したんですけどあまり自分の気持ちが乗らなくて2年で辞めてしまいました。部活含め、「何かを途中で辞める」という選択は自分の人生に反していることだったので、それはそれは、本当に悩みましたね。でもその選択を取らないことよりも、マネージャーをしながら、頑張らずにぬるくやっている自分自身が嫌という理由が一番で辞めました。そんな自分の方が、辞めないことよりよっぽど嫌でしたね。

で、実はそのあとずっと部活だけの人生だったので、せっかくだから遊び散らかそうと思って遊んでいたんですよ。そしたらまさかの前十字靭帯を切ってしまって。しかも部活とかじゃなく、スポッチャのバスケで。こんな事ある!?って思いましたね。だって、スポッチャですよ…(笑)

ただ、この入院の期間が私にとってはまさに「ヒントであり、スイッチ」だったんです。入院していて、動くことも出来ない時にふと考えたんですよね。部活も辞めて、遊んでばっかりで、それに怪我までして、体もだめになって、親に手術代や装具代も払ってもらって・・・本当にこのままでは、こんな自分ではだめだと強烈に思いました。

そこで入院先で始めたのが「自分史」を書くことです。それが大学3年になる前の3月の時ですね。書いてみると、自分がどれだけ良い人たちとの出逢いがあったのか、そして何より「これまでの人生で頑張ってきた期間も、自分にはちゃんとあったんだ」と思い出しました。

でも今の自分は頑張れてないなと。高校生の自分が一番輝いてると思ってることに対して、少し悲しくなりました。だからこそ、こんな人生は嫌だと思いましたし、だからこそ社会人になったら、今までで一番輝いている人生を送りたいとも思いました。そこからは何でもやってやろう、ガンガン攻めて生きて行こう、という精神で一気に走り始めました。夏にはインターンシップに30個くらい行きましたね。そこで出会ったのがIKKでした。

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3.「私は私が一番大事にしたいことを、大事にしていいんだ。」
何故IKKかと言われても…IKKが良かったんです。(それが何故か教えて下さい!笑)そうですよね、すみません(笑)でもそれくらい、理由云々とかではなく、IKKが、良かったんです。

大学3年生の夏、出逢ったIKKのインターンシップ【世界維新】がまさに私の人生のターニングポイントでした。私にとってのヒント、スイッチが世界維新だったというよりかは、ヒントを与えてもらい、スイッチを教えてもらった経験だったと感じています。

正直、こんなこと言うのもあれなんですけど、本気でインターンシップ駆け回っていたとはいえ、正直最初は「え!面白そうやん?」というくらいの遊び半分で参加しました。本当にすみません。(笑)

でも、世界維新に参加して、そんな甘い考えはすぐ吹き飛んでいって。本気で人の人生に向き合うことって、こんなにかっこいいんだな、って思いました。人って、こんなに人の心を動かすんだ、って感動しました。

世界維新インターンシップではチームが3つあるんですけど、私は青チームで。正直「え?なんでこのメンバーなんだろう?」と思うくらい、自分とは全然違うタイプの人たちとチームになりました。

仲間と過ごす時間の中で、改めて自分らしさってなんだろう?これまで自分がやってきたことって身になってないんじゃないかな?自分のリーダーシップってこんなもんだったんだろうか?と悩みに悩み、迷いに迷い、自信を失った時間も間違いなくありました。

そんな私に対して、そもそもこのインターンシップで出逢った何にも知らない学生に対して、当日のアシスタントの一戸チーフに(人事戦略イノベーション室 一戸 美紀子チーフ)たった一言、言われたんです。

「松本さんって一番大事にしたいこと情熱だったんじゃないの?
 今、あなたが一番情熱ないよ。」

その時、落ち込むとかではなく、なんか・・・ホッとした気持ちも少しあって。何とも言い表せないんですけど・・・「あぁ、私は私が一番大事にしたいことを、大事にしていいんだ」って思えたんですよね。今もその瞬間のこと、みんなの顔も鮮明に覚えています。

そしてインターンシップ最終日は、私たちのために一戸チーフが涙を流してくれたんです。このチームが本気で向き合っていることとか、3日間でチームが成長したことに対して涙を。

その時に「この人と働きたい」と思いました。

世界維新に行くまでは、正直アイ・ケイ・ケイに入りたいとは思ってなかったんですけど、その時に思いました。そして今こうして、一緒に働かせてもらって、人事の仕事も手伝わせてもらって、不思議な気持ちです。

4.今はどんな仕事をしていますか?
今、私はイノシシをやっています。(・・・と言いますと?)冗談です(笑)
プロデューサーという仕事にこだわり過ぎず、何でも屋をやっています。良くも悪くもではありますが。

支店には営業の仕事だけではなく、色んな仕事があって。その中で私は、出来る限りのことを、出来る限りやりたいと思っているんです。だからこそ色んな部門の業務を手伝ったり、走り回ったりしてます。人間関係の部分でいろいろな人と話せるし、いろんなことを出来るようになるなと思っていて。誰にでも出来ることは、全て自分がやりたい気持ちでやっています。

ただ、良くも悪くも、と言った理由としては、そんな風に色んな部門のために100%走り回る毎日を送っていると、自分の成長のために時間をつくれていないような気がする日もあってですね。そのせいにはしたくないんですけど・・・自分の努力不足だなあといつも思っています。

本当はプロデューサーの応対のロールプレイングとか、仲間や先輩と語り合うような時間を取りたいんですけどね、やりたいことが本当にありすぎて。毎日「え?瞬き?」ってくらいで1日が終わっていって。気持ちとしてはもっと、周りの為に走りつつも、ロールプレイングや語り合う時間を1年目には大事にしたいと思っています。

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5.どんな人財と一緒に働きたい?
「泥臭く、一緒に頑張っていける人」が一番ですね!折れながら、ちょっぴり腐りながらも一歩前進できるのが大事だと思います。

泥臭く、というのは誰よりも汗水かいてるか、それくらい動いてるか、誰よりも努力したって、胸を張って言えるか。終わった時に涙が出るくらいやったと言えるのか?というイメージです。なんて言いつつ、自分もまだまだですけどね。でもそれが私の理想像でもあるので、頑張りたいと思っています。

6.これからのVISIONは?
まずは、最優秀新人賞を獲ります。(まずは、というと?)うーん、ちょっと「獲らなければ!」という無駄な正義感?責任感?みたいなものもあって。これからの為にも、みんなの為にも、恩返しの為にも。ただ、本当の気持ちは、獲れるかな~というところもあって。でもだからこそあえて、意識的に周りにも「獲ります」って言いきりで言うようにしています。

とにかく、負けたくないんです。私は、社会人人生の中でも1年目の成果は、特に自分だけの成果ではないんだろうなって思っていて。私を変えるきっかけをくれて、一戸チーフみたいに学生のころから今もずっと関わってくださってる方とかもそうですし、支えてくれた沢山の人たち、関わってくださった方たちの成果が、まさに1年目の成果だと思うんです。

私が最優秀新人賞を獲ることが関わった方たちの成果になると思うので、絶対に獲りたいです。

そして私は、女性最速支配人になります。支配人になりたいです。支店はトップの人の社風。社風を創れる人になりたいんです。もちろんスタッフとして今も社風創りに関わることはできますよ。でも、それが一番できるのは支配人だと思うんですよね。

東京支店の社風も好きなんですが、私がもし支店を創るとすれば、「本当に頑張ってる人が頑張っていると認められる社風」を創っていきたいという思いがあります。楽しいって思うのって、自分が頑張っての成果へのコミットと、人を大切にするという愛情がないとだめだと思うんですよね。その二つを大事にしている人間でいたいですし、そういう人間になりたいですね。

last.次にnoteで紹介したいIKKの仲間は誰?そしてその理由は?
福岡支店プロデューサーの杉本 迅(すぎもと じん)さんです!杉本さんは、本当に熱くてストイックな大尊敬している先輩です。

私と同じく世界維新インターンシップにも参加されていて、内定期間から尊敬していました。東京支店で一緒に働いていたんですが、お兄ちゃん的な存在で、後輩の私たちの気持ちをすごく分かってくれる先輩なんです。

ロールプレイングの姿勢や、お客さまとの接し方など、いろんな部分で壁にぶつかってきましたが、そういうときに一番寄り添って話を聞いてくれた方なんです。杉本さんの熱さも、そして優しさも、皆さんにぜひお話聞いていただきたいです!



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