古語は身近に

私が古典の課題をしていた時のこと。
古語の意味を調べるもので、手持ちの古語辞典を引いていたところであった。

その時、ふとある歌が目に入った。
「神な月 降りみ降らずみ 定めなき
                          時雨ぞ冬の 始めなりける」
という後撰和歌集の歌なのだが、私の頭は違和感を感じていた。
    神な月? 神無月ではないのか?
私の知識の中には「神無月」しかなかったから
「神な月」の表記に首をかしげた。
しかし、その違和感はすぐ解消した。
和歌の左に解説が乗っていたからだ。

「神な月」の「な」は上代の格助詞で、格助詞「の」に同じ。「神な月」は「神の月」という意らしい。
との記述されていた。

   上代の格助詞「な」?!
私は私の知的好奇心が沸騰しているのを感じて、気づけば辞書の「な」のページを引いていた。
そして、更なる衝撃が私を襲う。

「港」→み(水)・・と(門)→水の門
「眼(まなこ)」
→ま(目)・・こ(子)→目の子
「掌(たなごころ)」
→た(手)・・ごころ(心)→手の心

これらの現代語は格助詞「な」の名残りだと知り鳥肌が立った。

更に、これと似たものに同じく上代の格助詞「つ」がある。
「睫毛(まつげ)」
→ま(目)・・げ(毛)→目の毛

とても身近なところだと、格助詞の「が」がある。
連隊修飾格、言い換えれば「体言+が+体言」の形を取るものは非常に身近なはずだ。
「わ家」「わ子」「○○丘」など必ず聞いたことがある言葉ばかりであろう。

ここまでを振り返れば、「掌」など聞き馴染みのない語句もあっただろうが、ほとんどが聞いたことのある身近な語句のほうが多かったはずだ。

導入に合わせて、格助詞を中心に取り上げたが、何も格助詞に限った話ではない。

「〜と思いや」の助動詞「き」
「○○にあるまじき行為」の助動詞「まじ」
「至れ尽くせ」の助動詞「り」
「〜の○○こそあれ」の係助詞「こそ」
かの有名な」の代名詞「」と格助詞「

と一度は必ず使った事のある身近な語句及び慣用句などばかりであろう。
これを見れば、思いのほか古語は身近にあるものであると感じないだろうか。

古語といえば馴染みがなく、堅苦しい雰囲気を漂わせているが、案外身近にある。
それに、古語は魅力しかない。
古語にしか表せない独特のニュアンス
儚さとレトリックの美しさ
比喩表現の豊かさや心情を表す語の豊富さ
など挙げていけばきりがない。


ここで、古語を楽しむうえでおすすめの書籍があるので紹介しておこう。
それが、堀越英美氏著「エモい古語辞典」だ。


この書籍は、名の通り古語辞典ではあるのだが、「エモい」に焦点を当てているのがポイントだ。
「エモい」は若者語だがその真髄には古語の「あはれ」に通ずるものがあるという。
この辞書はもちろん辞書としても使えるのだが、是非とも「読み物」として手に取って頂きたい。
何せ、この書籍はラフな現代語訳が魅力だからだ。
普通、現代語訳は固く訳されがちで晦渋であることが多い。しかし、この書籍は砕けた訳で書かれているから非常に分かりやすくなっている。
そのおかげで、万葉集や古今和歌集などの歌集などの魅力も伝わりやすくなっている。
また、用例は和歌だけでなく、文豪の作品や俳句、枕草子といった随筆など様々だ。


この書籍は本当に古語の魅力が詰まっている。少々値は張るが購入する価値は充分にある一冊だ。



さあ、どうであっただろうか。

学生の読者には古典などの授業において視点を少し変えることで、その魅力や美しさを感じて頂きたい。

社会人の読者様には、古語辞典や和歌、それらを題材にした書籍などであの頃を旧懐してみてはいかがだろうか。


これが言葉・古語に興味を持つきっかけになったならば幸甚です。

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