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『困ってからパスを出さない』


はじめに

 4月から新たな学年を指導し約8ヶ月。
記事投稿は滞ってはいたが、毎週末子供たちへの指導は欠かさず、私自身も新しい学年を指導させて頂く中で学ぶことが多かった。
 標題の「困ってからパスを出さない」というフレーズは、子供たちへ継続してコーチングしてきたひとつである。
 U-10は、8人制の試合形式になり1年が経つ年代。
よりサッカー的なこと、チームスポーツということへの理解を深めていかなければならないと考えている。
大分前に、『猪突猛進からの変革』というテーマで記事を投稿したが(下記リンク宜しければご覧下さい)、新しく指導させて頂いている子供たちはボールを持ったら相手に向かって猪突猛進なのである。
 そんな子供たちに対して、「困ってからパスを出さない」というフレーズは、ボールプレーの意識とチームスポーツの理解へ良い影響を与える事が出来たのではないかと感じている。
 そのようなフレーズに行き着いた経緯、効果や実感したことについて綴っていきたい。



理屈と理解の違い 

 新しく指導し始めた子供たちは、ドリブルが得意な子が多い。
第一印象は ”ボールを持てる” ということは良いことだと思った。
しかしボールを持ったらひたすらドリブル、ドリブル、ドリブル。
 ”自分がやりたいプレーが出来たら良い”
 ”やりたいプレーはドリブルシュート!”
そんな子供たちにどう伝えていけば良いだろうかと思考錯誤を繰り返した。

 ゴールをするためには、1人の力では達成出来ない。仲間と一緒にボールを運ばないと前に進めない。そんな説明を何度もコーチングをしていれば、なんとなく理解出来る子は理解をし始める。
 しかし、常にプレーの第一選択はドリブルなのだ、選択しているなら良い、そうではなくドリブルしか選択肢にないのだ。どんなに密集していても、自らこじ開けようとする。2度、3度同じところにドリブルを仕掛ける。それでも突破出来ず、ようやくパスを出すのだ。
そして大抵困ってから出すパスは通らない。
 結局は相手ゴールに前進するためには「仲間とボールを一緒に運ばないといけない」という理屈を覚えたに過ぎず、仲間と一緒にボールを運ばないとゴールに辿り着けないことを理解していないということなのだ。
いくら理屈を覚えたとしても、理解をしていないとプレー中の意識には入ってこないということだろう。
理屈を覚えることと、理解するということは全く違うことなのである。

悪循環

 プレーの選択肢がドリブルシュートのみだと、ボールを持たない子は動いても意味がないという、ボールホルダーのドリブルに任せる癖がチームとして付いてしまっていた。するとボールホルダーの状況を考慮したポジショニングを取るスキルが養われない。
常に1対8を繰り返しているような感覚だ。
 そしてボールプレーを積極的にやる子は一応、スキルは向上する。
一方で消極的な子はプレーに参加し難くなる。地域少年団クラブの問題でもある学年内でのスキル格差に繋がってしまう要因のひとつではないだろうか。
 勿論この手の問題は、この他にも沢山要因はあるのだが。。。
 

「困ってからパスを出さない」

 「困ってからパスを出さない」
 前章、前々章での経緯のように、いくら理屈で説明しても理解出来ないことには意味がなく、チームとしても悪循環に陥りつつある中、「どんなコーチングをしたら良いだろうか」と、試行錯誤している中でふと思い付いたフレーズだった。
「仲間とボールを一緒に運ばないといけない」という理解に直接繋がるかは疑問だが、ボールホルダーのプレー中の意識には入り込みやすいなと、コーチングした当初から感じる事が出来た。
 そのコーチングを行なって迎えた実戦では、今まで見られなかった効率的なプレーを随所に見る事が出来た。
 ボールをゴールへ運ぶにはドリブルだけでは辿り着けないこと。仲間と協力する必要があり、その手段の一つにパスがある理屈を覚えている中で、「困ってからパスを出さない」というフレーズはプレー選択においてドリブル以外を引き出しやすくなったのではないかと考えている。
 もちろん劇的に変わるわけではないけども、変わっていく土台、チームプレーへの理解の一歩になったのではないかと思っている。

好循環

 「困ってからパスを出さない」という意識はボールホルダーだけでなくボールホルダー以外の意識にも問い掛け易いのではないかと思う。
 ボールホルダーへの関わり方も、ボールホルダーが困らないように関わって行く意識や困らないためのポジショニングなど、コーチングの際の言語化のし易さと、子供たちの理解を助けることに繋がっているのではないだろうか。
 また、冒頭で記載したが、チームスポーツへの理解にも貢献し易いのではないか、お互い助け合う意識、協調性を生むきっかけにも繋がるのではないだろうか。

エゴイストの定義

 ”エゴイスト” 
プロサッカーの世界でも度々クローズアップされる事柄である。
彼らのプレーを観て、指導をしている中で、「エゴイストなプレーとは?」と考えた。
そして以下のようにふたつの定義をしてみた。

 ”仲間のポジショニング” ”想い” を感じたエゴイストなプレー。
 ”自分がやりたい” ”自分のための” エゴイストなプレー。

エゴイストにプレーするのでも前者と後者で意味が全く違う。
 やはり試合の中では、エゴイスティックになることも必要と個人的にも考える中で、前者のようなエゴイスティックなプレーが出来る選手に育てなければいけないと思った。
 そしてそのプレーの感情や思考を瞬時に察知して指摘できる感性をもっと養っていける指導者にならなければならないと思っている。

終わりに

 プレーを良くしていくためには、一貫して、根気強く、理解出来るように試行錯誤を繰り返すこと。そして急には変わらないことを肝に銘じることが大切と思います。継続していたら半年前よりかは必ず良い方向に変化していることに気付くと思います。
 
読んで頂けた方、有難う御座いました。

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