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”全員出場” とは


 ”全員出場”

 日本サッカーの育成年代において、よくクローズアップされるワードのひとつである。私自身も10年弱ジュニアサッカーの育成に関わってきた中で、何度も考えてきた。
 まず私は指導者として生計を立てているわけではない。そんな私が言えることではないのかもしれないが、サッカーに対して様々な意識で向き合っている子が所属するサッカー少年団で指導する中、私なりの "全員出場" についての考えを綴って見ようかと思う。


なぜ ”全員出場” という問題が起こるのか

 
この問題について、「指導者」と「非指導者」各々の立場で考えてみる。

①指導者

 こちらに関して全員出場の問題が起こる理由として先ず思うことは、
指導者が自身や指導チームの名誉の獲得を目的と考えてしまう場合か。  ”承認欲求” という言葉も伝わりやすいかと思う。
「賞賛されたい」「自慢したい」といった指導者の承認欲求が、指導者における大部分の要因ではないかと思う。
 10年弱指導者の世界に関わる中でそういった承認欲求については、プロの指導者よりもボランティアで少年団を指導している人間の方が高いのではないかと感じる。

 プロの指導者へ対する ”対抗心" だ。

 プロの指導者に比べて相対的に指導の質が劣るであろうボランティアコーチが、その対抗心と承認欲求のために指導を行う。思い通りにいかなければ文句を並べ、もしかしたら指導放棄するかもしれない。プロの指導者に比べて責任が軽いし。
 逆にプロの指導者として生計を立てている方々は、先ずビジネスを成り立たせないといけない点がある。実績とゴシップが好きな日本人に対して、実績と品格を獲得するために苦労が多いのかなと想像している。
少年団で指導している私にとっては、基本的に所属している選手全員がサッカーに向上心を持って取り組む子が多いであろう、街クラブやJ下部の環境が羨ましかったりもする。

 そんなことを考える中、私が10年弱指導者をしている中で感じることは、昨今の指導現場では、どの指導者も子どもの出場時間についてしっかり考えているのではないかと感じる。公式戦等、出場制限が掛かる場合はまた別だけども。
 それでも結果ばかりに拘る方に対しては、結果は記録には残るけれど、直ぐに過去の産物になってしまうのになと思ったりする。
 ましてや少年団レベルで考えると、大きな大会で結果を出すことなんて少年団レベルに関しては到底敵わないし。そこそこ勝ち上がったとしても然程変化などないなと。もちろん実績がステータスとなり宣伝等にはなるけど。
 ただ指導者は常に次のこと、今育成する子どもたちのことを考えることで精一杯なはずだ。どうしたら上手くなるだろうかと。
 私は巣立っていった選手が評価してくれる指導者でありたいと思っている。

②非指導者

 こちら側については、”平等意識” と "妬み” ではないかと思う。
まぁどちらにしても、いわゆる保護者の問題かと。
平等意識については、日本社会における年功序列の風潮が良くない形で影響しているのではないか。年功序列という考え自体が、現代ではよくない考えという風潮になってきたもあるけれど、そういったルールの会社がまだまだあるなかで、直ぐに拭い去ることは難しいだろうし。
あとは学校生活か。同じ服装、個性を許さない校則、私自身が学生の頃は特に何も思わなかったが、今思うと変な感じがする。変化を嫌い、変な連帯意識やはみ出すことに対しての攻撃が生まれちゃうのかなと思う。

「みんな一緒」
「歳上が偉い」
「誰かひとりの幸せ、誰かひとりの活躍が許せない」

自分だけが不幸になることが怖いのだろう、みんな平等なら安心するんだろう。外側だけを客観的に見て、自分の子どもが不平等に扱われてると感じたり、他人が活躍してチームが勝つことを妬み、足を引っ張ろうとする。
 間違った平等意識と他人への妬み。
 非指導者側についての現在私の考える問題点である。

 そんな保護者の方々に対して思うことは、サッカーに対する想いや考え方、努力の量、子どもたちそれぞれが違うのになと。
なのに全員平等出場していないことや補欠のことに対して問題にする。
全員に同じ対応をすることが平等ではなく、子どもたちのそれぞれの意識に対して応えていくことが平等なのではないでしょうかと私は思う。


子どもたちの気持ちを考えてみる

 ちょっと視点を変えてみる、主役の子どもたちに。 
子どもたち自身は試合に出ることについてどう感じているんだろうか。

試合に向けて黙々と努力してきた子は、
「試合に出たい」「交代したい」「俺を出せ」「なぜ出さないんだ」
きっとポジティブな思考だろう。

努力しているが評価されない、指導者が察知してくれない。そんな時は、
「残り数分のアリバイ出場か」「点差が開いたから出場か」
「ボロ負けしているから出場か」
チャンスの与え方によっては、出場そのものが段々とネガティヴな思考に変わっていくんじゃないだろうか。その立場に立たされた子どもたちは、きっと自分の立ち位置を理解しているはずだ。
 そして、
「そんな考えなら無理して出さなくて良いよ」
と思っているのではないだろうか。
 試合に出たいのなら自分自身で努力するし、普段の練習からアピールをするだろう。指導者はなるべく全員出場させることよりも、そういった気持ちをちゃんと察知して、ちゃんと機会を与え続けることが大切ではないだろうか。意思がある子の可能性を無くしてはいけない。
 子どもの気持ちを第一に考えられる指導者になることが大切で、体裁のために全員出場というのはなんか違う気がしている。

改善していくには

 問題を改善出来るポイントとしては、指導者の評価制度を変えていくしかないんじゃないかなと偉そうに思っている。非指導者においては最早、日本社会の問題なんじゃないか、、、。

 話を戻すと、評価の仕方を定めることで指導者側での間違った思考を正していくことが先ず出来るのではないかと思う。育成の最下層のカテゴリーをどう整備していけるか。試合結果では無い、明確な評価方法。承認欲求を良い方向へ持っていく評価システム。なにかないだろうか。
 現在も育成補償金の制度とかもあるけど、ジュニア年代からすると先の話過ぎる。直ぐに還元される評価制度。があると、特にボランティア指導者の意識がより変化しそうかなと思う。

 その中で指導者は、子どもたちの想いと努力を感じ取り応えていく。
応えていくことで子どもたちの心が充実していく。そういった面での出場機会について考えていくことを、指導者は今後もっと考えていかなければいけないのではないかと思います。

終わりに

 この問題に対する考えは、あくまでも私個人の意見ですが、全員出場という問題への考え方を今後変えていけたら良いんじゃないかなと思っている。
 そしてこのnoteは私自身に対しての戒めでもある。過去にはそういった変な対抗心を持っていたこともあったから。

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