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知らなきゃハドソン~札幌に一大ゲームメーカーがあった時代~(12)世界初!CD-ROMによるRPG『天外魔境』

※2020年3月2日に書いた記事を
 加筆修正したものです。

‘89年6月にハドソンが社運をかけた
大作 RPG が発売されます。

それが PCエンジン CD-ROM²用ソフト
『天外魔境 ZIRIA』でした。

『天外魔境 ZIRIA』('89)

この作品はハドソンと
広井王子氏が率いる
レッド・カンパニーが
(現・レッド・エンタテインメント)

協同で手掛けたもので、
広井王子氏のゲームデビュー作
でもあります。

『サクラ大戦』('96)
こちらものちに広井王子氏が手掛けた人気シリーズ

広井氏はマルチクリエーターで、
当時はハドソンが
スポンサーにもなっていた

アニメ番組『魔神英雄伝ワタル』を
プロデュースしていたのが縁で、
『天外魔境』の制作のオファーを
受けたものと思われます。

(『魔神英雄伝ワタル』のゲームも
 ハドソンから発売されていた)

『魔神英雄伝ワタル』
('88~'91)

本当にひどい話なんですが、
オファーを受けて札幌のハドソン本社に
やってきた広井氏は

ゲーム制作について叩き込まれ、
その後の制作にあたっては、
ハドソン本社に軟禁状態にされた
という話があります。

それでも、制作が予定通りに進まず、
ハドソンと取引していた
広告代理店に勤めていた
桝田省治氏も札幌に呼ばれ、

広井氏と同様に軟禁状態になったんだとか。

(桝田氏はこれがきっかけで
 広告代理店から離れ、
 ゲームクリエイターに転身。
 続編の『天外魔境II』では
 ディレクターを務めることになる)

桝田省治氏のおもな作品
『天外魔境II』('92)
『リンダーキューブ』('95)
『俺の屍を越えてゆけ』('99)

こうした過酷な制作環境で作られた
『天外魔境』は、

同じくハドソンが手掛けた
『桃太郎伝説』と
同様に和風の RPG でした。

「西洋から見た誤った日本観」を
コンセプトに、
スミソニアン博物館の東洋研究家による
架空の原作をでっち上げ、

「ジパング」という架空の国を舞台に
物語が繰り広げられました。

世界初の CD-ROM による RPG
というのもあり、
その大容量を活かし、

オープニングテーマには
坂本龍一を起用、

豪華声優陣が声を演じる
アニメーションも収録されています。

他の RPG で言えば
「魔法」にあたる「術」は、
レベルアップによって
習得するのではなく、

巻物を入手することによって
使えるようになる、

レベルアップ時に
体力が全回復するなど、

演出面のみならず
ゲームシステム的にも
それまでの RPG とは
一線を画した意欲作でした。

結果、『天外魔境』は
PCエンジンのユーザーに高く支持され、
220万本以上を売り上げるヒットを記録し、

「PCエンジンのキラータイトル」
と呼ばれるほどの成長を見せます。

【参考文献】
『ゲームデザイン脳 桝田省治の発想とワザ』‘10/桝田省治/技術評論社


※   ※   ※

連載はここでストップしています。
当時は感染症の拡大がはじまった頃で、
その影響もあったかもしれません。

このあと、PCエンジンがどのように発展し、
衰退していったのかを書くつもりでしたが、

何よりも私は PC エンジンユーザー
ではなかったので、
それを書くとなると、
調べるのにかなり時間がかかりそうです。

この後、ハドソンは、
ファミコン時代から培ってきた
メディア戦略(おもにテレビ番組)を
さらに推し進めていきました。

これもまたおもしろい話なので、
いつか書きたいと思っているのですが、
なかなか機会もありません。

お約束はできませんが、
いつか連載を完結できれば
と思っています。


ここまでのハドソンの開発史を
振り返ると、
3つの大きなエポックメイキングが
挙げられます。

①e-sports の先駆け

'80年代からはじまった
高橋名人を使ったゲームの実演、

そして、ゲームファン参加型の
全国ゲームキャラバンの実施は
今日の e-sports の
先駆けとも言えます。

'90年代に入ると、
格闘対戦ゲームの流行にともない、
他社でも全国大会が開かれることに
なりますが、

ハドソンは'80年代から
そういった大会を催していました。

②メディアミックスの先駆け

これまた'80年代から
ハドソンは自社のゲームを
原作とするアニメを展開しました。

(高橋名人の『Bugってハニー』、
 『桃太郎伝説』)

これはテレビゲーム界の王様である
任天堂でもやっていなかったことです。

残念ながらハドソンの
キャラクターを使ったアニメは
それほど大きな影響があったとは
言えませんが、

'90年代以降には
『ポケットモンスター』、

あるいは'10年代にはじまった
レベルファイブの一連の作品は、
(『妖怪ウォッチ』
『イナズマイレブン』など)

同じ手法を使って見事に作品を
ヒットさせた例と言えるでしょう。

また、'90年代以降に
任天堂が一社提供のテレビ番組に
乗り出し、

『スーパーマリオクラブ』を
はじめとする一連のシリーズを
放送したのと同じように、

ハドソンが中心となった
PCエンジンでも

『大竹まことのただいま!
 PCランド』という番組が
放送されたのも、

ハドソンが高橋名人で
テレビへの露出に経験があったことが
影響しているでしょう。

(しかも『PCランド』は
 '89年放送開始で、
 任天堂の『スーパーマリオクラブ』
 よりも一年早かった)

③CD-ROMの先駆け

ハドソンは'88年から
PCエンジンCD-ROM² で
CD を使ったソフトを提供していました。

これはのちに、
セガサターン、プレイステーションの
登場とともに、
一般的になっていきますが、

それは'90年代中盤のことなので、
ハドソンは'80年代末から
それをやっていたことになります。

CD-ROM を使うということは、
容量の大きさを生かして、
映像や音楽に力を入れることが
できたわけですから、

『天外魔境』シリーズのような
時代の先を行く演出を
可能としました。

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